prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のメモと、ツイッターのスクラップで出来ています。
時折、創作も載ります。

「TAJOMARU」

2011年03月24日 | 映画
黒澤明監督「羅生門」の“独自の解釈”によるリメーク、というのはいくつかあって、「MISTY」「藪の中」の他、日活ロマンポルノで田中登監督によって映画化されかかったのが橋本忍の抗議でぽしゃったり、木俣堯喬監督(「相棒」の和泉聖司監督の父親)がシナリオ化したのを渋谷の古本屋で見かけたりといった未映画化まで含めるとどれくらいあるのかと思うが、何を核にしてどっちに膨らませるのか、というのはそれほど違わない気がする。

ひとつには「羅生門」が日本映画と黒澤明が世界にデビューして以来積み重ねてきた伝説を背負った「世界に売れる」というビジネス上の後光であり、本来だったらそれとつながるはずのコスチュームプレイのエキゾシシズムとエロチシズムということになる。
黒澤自身、「ラショーモン」が受けた理由を冗談めかしてだが「強姦の話だからねえ」などと語っているのだが、ところがリメークとなると後者の処理に必ずといっていいくらい足をとられて失敗してきた。
要するに時代の変遷に合わせて性描写をエスカレートようとするとコスチュームプレイの格調や三者三様の証言がぶつかる硬質の構成とぶつかってしまい、どっちつかずになってうまくいかないということで、ここではそれ以前に設定や道具立てをべつのものしたところで止まってしまったみたい。

さて、「羅生門」で三船敏郎が獰猛な野獣そのものとして体現した盗賊・多譲丸は初めのうち松方弘樹が扮して出てきて、小栗旬はこれと戦う身分の高い武士・森雅之にあたる役なのが戦った後どういう理屈かキャラクターが入れ変わってTAJOMARUを襲名することになる。
オリジナルでは三者三様の証言が食い違い鋭く対立したのが、半世紀たったらキャラクターが一向にたたないまま液状化してごっちゃになったかのよう。

萩原健一と松方弘樹が全体のアンサンブルそっちのけで場面泥棒にいそしんでいる。
(☆☆★★★)




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