気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

悟りの道標 (21) 尋牛・・あれ、私ってなに?

2016-09-18 06:57:43 | 日記
あるサイトにあった十牛図の解説を、勝手ながら掲載する。

これらは決して、たんに「禅」というカテゴリーの中の話ではなく、
人生の意味、ここ、地球という世界で生きては死んでゆく、
その意味をを問いかけ、
そして、永遠の生命(いのち)の進化といわれるプロセス、
その歩いている道を見出した多くの存在たちの残した、
謙虚ながらも愛深い・・古代から続く「指南書」のようなものである。

悟りのプロセスは、生命・意識の進化・拡大のプロセスである



1.尋牛(自己とは何か、私とは何かを尋ね始めること)





ここで、牛とは・・こころであり、マインド、思考と言っていい。
牛とはつまり自由奔放なマインドであり、いつもありながら見失っているそれ、
まずこれを再発見しなければならないということだ。

思考がなければ問いかけも何も、問題の認識すらできない。
自分とは何か?という問いさえも、「思考」であることに気づけるだろう。
思考、マインドに・・殊更・・気づくこと!・・だ。

思考を垂れ流さず、すべての体験のベクトルである思考、
生死とその繰り返しの原因でもある「思考」に気づき、
これが一体何なのか?・・を訪ね始めることでもある。

世間がどうした、日本がどうする、世界がどうなる、あれがあった、これがあったは・・、
面白可笑しくて刺激的かもしれないけれども、
本質のあなたにとって・・何の解決にもならないことにすでに気づいてるはずだ。

外側の世界の興亡など、それはそれでありながら、
それぞれの人の本質にとっては、実に全くどうでもよい映画のようなもの。
さにありながら、
それにはまり込んで、気づかず知らず、何度も生き死にを繰り返しながら、

そういう世界での繰り返し人生を経てきて、人はいつか・・・、
「ところで・・、わたしとは何か・・?」
と問いかけ始める時が来るということだ。

そしてそれは・・常に・・今在ることの中で起きる。
今・・在ること・・その生活・・生きて・・活きていること、
ごく普通の有様の中でこそ、見出すことができるのだ。

だから何度でも・・それぞれのわたしは・・この世界に現れてくるのである。
それが輪廻のサイクル、今までの・・この世界の魂の修行形態であった。

ところで、「わたしとは・・何か?」・・本質のあなたとは・・何だろうか?
生きていること、死んでゆくこと、って何だろうか?

あなたはどう思う?

これが「尋牛」だ。



(つづく)
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