気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(6)幻想世界を観ている者

2017-06-19 06:05:47 | 真我実現シリーズ
人々が毎日、毎瞬経験し続けているのは「わたしの意識」である。
毎日の生活とは、人生とはそれである。
外の出来事は、わたしがいなくてどうして知覚できようか?
いいや、できはしない。

あなたが毎朝目覚めるからこそ、世界は同時に立ち上がる。
いつも同じように見えるのは、
基幹となる想念が変わらないからであり、またそれが恩寵でもある。

現実という、繰り返し現れるこの世界の体験は、
螺旋を描くように、繰り返しつつ拡大する、
氷山の一角たる・・わたし意識の成長・広がりを促している。

草木が種から成長し、優雅な花を咲かせるように、
動物が赤ん坊から成長してゆくように、
鉱物が壮大な時間の中で形を変えてゆくように、

人まで進化した魂・意識は、
大いなる意識の高みまで来ていることを自覚せねばならない。

わたし・・という自らへの気付き意識・・があることが、その証拠なのだ。

我あり!・・自己に気づき、自らを創造・観察する主体意識・・、
それが・・わたし・・意識。
わたしと言っても、分離した貴方や私個人等の・・私ではない・・。



周囲の猫や犬、動物たちを観てみよう・・
生きていることを喜ぶさまや、食べることを楽しむさま、
それを地で表現しているだろう。

人間がその歪んだ想念によって、余計な悪さをしない限り、
彼らは、生きていることを、
考えることなく楽しんでいる。

嗚呼、だからこそ人々は癒されているではないか。

とはいえ、彼らには、小さな意識はあるが、
”わたしは在る”と・・自己宣言すること能わない。

だからと言って、
愚かな人間に虐待され、利用され、あるいはその肉体を食われ、
金にするために、面白おかしく遺伝子を組み替えられている。

健気に思えないか?
愛しく思えないか?
申し訳なく感じないか?

そんなこと言っていては、人が生きてゆけないのか?
いや、
そんなこと言うばかりだからこそ、
この今までの世界が、終わりを迎えているのだ。

これ以上は、まさに「過ぎたるは、及ばざるがごとし」である。
また、それすらも気付けぬ人々も多い現状を見よ。


今まで、すべてが物質的組み合わせ、偶然の産物だと、
いつの間にかこの世界で、無意識に仕込まれた。
その観念を捨て去る時が来ている。

この観念を壊し去ること、それが真の意識革命である。

壊れ去ったあと、その後どうなるのか?・・は、
あくまでも頭の観念であり、そうではなく、
自らがどうあるべきか・・内部からの観念の崩壊と創造なのだ。

外側、世界がどうなってしまうのか?・・という不安は、
肉体の安楽や生存だけを最重要視する、物質的観念のままを示し、
自らが久遠永遠の意識たる気付きが足りないと知るべきであろう。

もともとこの世に居なかった者たちが、
つまり、生きること・死ぬことを超えていた者たちが、

この世に及び、いつのまにか、生きる事だけにしがみ付く・・・
生と死、所業無常、変化変遷、
・・一体それがどうしたというのか?

一時の身体にしがみつくこと・・そのものが、
今までの物質偏重の時代の主産物である、肉体自我を示している。


今在る・・こと、今の瞬間・・在ることは、
永遠の今であることを自覚すべし。

頭で考えるのでなく、今在ること・・それを在る・・ことだ。

今とは・・そこから、意識の展開する永遠の舞台を生み出す瞬間。
今在ること・・、失われる本質は・・「どこ」にも無い。

・・・
根源波動である純粋意識が、その波の様相を変え、
想念となって、身体、時空を描き出す。

想念は物語を描き出す、まんま・・のシナリオである。

多くの魂意識が、この世界に・・在るべく・・選択してきたように、
どのような世界を観るのかは、すべては・・わたしの想念によっている。

そうだ、
輪廻転生も、カルマも・・
深く深く、元を辿るならば、全てが・・わたしの想念作なのだ。


すべての物語の、その背後にあるのが、
すべてを貫く空(くう)という、
無限の可能性、遍在意識である。
そこから想念という波動が生まれてくる。


空(くう)は、何もないのではなく、それは、
想念による、さまざまな次元という波動帯域を蔵すところの、
極まった無限の意識の充満である。

フリー、真空のエネルギー等と言われるものは、
その理解の先に、当たり前のようにやってくる代物である。

空(くう)は根源波動で充満、満ち満ちている、
根源のそれは至福以外の何ものでもなかろう。

そうでなくで、どうして創造が出来るのか?
本来の至福、・・深く感じるべきところである。

この世界も、その1つ。

幼い意識を遊ばせ、成長させるためのこの3次元世界、
リアルな幻想世界の素子である原子、クオーク、
それらは大いなる意識によって描かれている。

リアルこの上もない幻想世界、
諸行無常、常に変化変遷しかない、
気づけば、どこにも確たるものがない世界、
ふと振り返れば、遠く過ぎ去った人生を、
いつも懐かしく、苦々しく、愛おしく思える世界、

嗚呼なぜ、そういう世界があるのだろうか?

それは、それを観ているあなたが、
一時の苦痛や快楽を経て、
いつの日にか、それらに、
感動し、成長し、気づけるために展開しているのだ。

何千年も、何万年という月日も、
意識にとっては、絵巻のように眺めるもの。
時空の変遷は・・意識にとっては「物語」なのだ。

まるで映画のように、
空(くう)という無限のスクリーンに投影された意識の綾、
マインド、想念のシナリオ、そのための素材・・
それを振動エネルギー、原子、クオークと呼んでいる。

時空の仕組みの、ちょっとそこまでたどり着き、
その時空を超えてゆくには、
あなたが「自らの作者」であることに気づかなければならない。

今、ここで・・本当のわたしである「真我」「神我」に気づき、
井戸から水をくみ上げるように、
あるいはその水で草花が開花するように、
真我という無限の意識における、わたし(顕在)意識の拡大が起きている。



「我とは、真我、神我、無限の意識なり」
その大いなる気づき、悟りが・・直通ルート・・。

天神様の通り道、古臭い表現だが、天神さまは<あなた>であり、
かつて、有限の時空にその意識を・・自己投入した者・・だ?
思い出せないだろうか?

ここで、思い出すとは・・・誤解なく表現すれば、
記憶に頼るのではなく、
それを”自覚する”ことなのである!

I am THAT I AM
ワレハ ソレ ナリ! の意味を。
気付いただろうか?

あなたの周囲、遠方、見る限りの世界は、
まさに全てを描き出す根源たる純粋意識で満たされており、
様々に観察される諸現象は、
その中に出現しているエネルギー波動である。

それを、それ・・として気づいているものは、誰か?

それぞれが、一なるものの自己投影、

わたし・・以外にないではないか。


・・・
日本の民謡・童謡には、

誰もみな、子宮の細いトンネルを通ってきたこと、
この世界への出現と帰還のありさま、生成死滅、
そして、普遍なる魂・意識の顕現と帰還のサイクル、
まるでそれを示しているかのような、
奥深く広く伝わっている、不思議な歌が残っている。


♪ ♪・・♬
とーりゃんせ、と~りゃんせ~、

こーこはどこの細道じゃ~?

天神さーまの、細道じゃー

ちーっと通してくりゃしゃんせ・・?

御用のないものとおしゃせぬ・・、

行きは良い良い、帰りは難(こわ)い・・

難(こわ)いながらも、

とーりゃんせ、とーりゃんせ ♪


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