気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

わたしとは・・何か? (18)われ・空(くう)なり

2017-04-25 16:13:28 | 意識の拡大
「色即是空」ほど森羅万象を表した言葉もないだろう。

我々すべては・・その中に在る・・。

その中といっても、<色>つまり諸現象の中にいるわけではなく、

実は空(くう)の中にいるのである。



中といっても、空(くう)には、距離も大きさもないわけで、

まさしく空(くう)という無限の中にいるということである。

さらに、無限の中に在る・・ということは、

無限”そのもの”であるということでもある。

あなたは無限そのものである。




・・

どうしてか?

例えば、物質科学になじんでいる人、学のある?人ならば、

何度もここで記事にしているが、原子核構造でいえば、

様々な物質、岩石、植物、建物、鉄構造・・あらゆる物質は、

ほんのスカスカの構造であるということだ。


スカスカというのはどの程度かといえば、10の-15乗ほどのもの、

そのスカスカの中に微小に点在するのは、エネルギー素粒子、振動エネルギーであり、

それすらも「不確定性原理」では、実体とは言えず、確率的存在であるとされている。


原子は大体が、0.000000000000001程度の密度なのである。

おいおい!、この体も環境のすべて確率存在なのか?

ああ、まったくそうだ。

全くのゼロではないが、ほとんど空(くう)と言って過言ではない。

我々の身体は・・それである。


私とは・・物質肉体だ・・というのも、この観点からして、全く変な話ではないか?


変化変遷するばかりの世界、

幻想として立ち表れている立体映像の世界で、

右往左往している人々、

なんだか世間一般の物質偏重観念が、嘘も八百どころか、

100000000000000001・・ほどの真実もないではないか。



問題なのは、いや何も問題ではないかもしれないが、

そんなことも何も知らず、真剣に考えることもなく、

ある見地からいえば、支配者に騙され続け、搾取され、

3次元的?常識の中で、自分を固い物質組成の産物だとでも信じ込んでいる、

そうい人々が多いということだろうか。

いや、あなたは違うだろうが・・。


さらには、その立体映画のような、現実という名の「幻想」世界で、

原子構造ではカスミといえるような肉体組成物を「自己」だと信じ込んで、

その肉体自我の生存のための、

様々な駆け引きや収奪、闘争、競争ゲームに明け暮れしてきたことであろうか。



我々は、肉体という形を伴って、この世界に自己顕現しているのだが、

それさえも、科学的知見でいえば、10のマイナス15乗程度の密度の存在であり、

残りの99.9999・・9パーセントは、何かといえば空(くう)に他ならない。


また実際のところ、その投影物たる肉体も、

根源の自己、神、意識、あるいは真我の発した「想念」の表現型に他ならない。



だから、・・・

わたしとは何か・・?と問いかけて、

かなり近しい回答があるとするならば、

わたしとは、それは  空(くう)・・だということだ。


私が肉体自我だ、俺だ、私よ、おいらだ、儂じゃ・・というのは、

まったくの観念ラベル張り作業、幻想のお遊びということがわかるだろう。


これは、

肉体自我をあえて否定するというわけではなく、

本当のわたしと勘違いして認識している・・その肉体自我は、

それは<もともと存在しない>ということなのだ。

肉体自我は、そう、ある時、ある所で生まれてきた・・ではないか。

そうだ、わたしの肉体は、その時空の中の・・<わたし>の1つの出現形式でしかない。


今までの、「私とはこれだ!」という観念、自画像、自己像そのもの、

自己認識像が、とんでもない虚像であったということである。

とんでもない虚像・・という表現をするのは、

それがさも、あたりまえのように、

苦痛や苦悩にゆがんだ顔をした自我映像だったからだ。




こういう観念体系で共同創造された世界での、嘘八百の幻想物語で生じた、

様々な感情のひずみ、苦痛、快楽は、それは実在か?といえば、

それすらも、さらに輪を描いたような幻想でしかない。(笑)

・・

そして、その、

幻想映画に気づいている者こそが、気づき、意識等といわれるものであり、

それ自体は認識対象、知覚対象として現れるものではない。

つまり、絵そのものではなく、画家のほうであって、

また、対象でなく、それを知覚していること・・それ、

存在と感じていること・・それ・・なのだ。

それは、まったくの根源、ソースであり、

それ自体は、決して知覚対象・・としては知覚できないものである。


またそれを根源とか真我というならば、

無限、空(くう)、全て、などしか言えないのである。

だって、見ることも聞くこともできない、それ自身、

客体、対象物でなく、それを見ている観ている・・ほうのそれ・・だからだ。



第一原因というか、何物にもよらず・・ただ在る・・としか表現できない。

しかしながら、<わたしは・・在る・・>と感じている。

ただそれだけの・・ものの中にある奇跡、いまここ・・

表現としてはなんでも「かすってしまう」が・・。

あちこちの対象や知覚、刺激を探し求めても、決して得られない、

在る・・が、まま・・とも言えよう。




わたしとは何か・・?というならば、

「特定」の答えはない・・というか、

無限というか、我々自体の存在形態を満たしている空間、空(くう)なのだ。


まことのわたしは・・空(くう)であるならば、

どうして時間・空間、場所や時間、存在諸世界に極限される必要があろう。


宇宙のすべては・・星々の存在する、

それは・それは・巨大な空間と思っているかもしれないが、

空間とされる・・・その空(くう)自体には、距離も時間も何もなく

ここからそこ、過去から未来、時間空間も何もなく

したがって、様々な惑星時空も、3次元や5次元という次元をも超えているのである。



ほんとうのわたし・・とは、それとしか・・指し示すことができない、

それ・・は何か、せんべいやサイコロのように指し示すものではなく、(笑)

あるいは、もとは空(くう)または、無限そのものであるというしかない。


そうは言うけどね・・とか、あるいは現実がね・・と言う、

その私の身体は・・、

99.9999・・・99%の空間と、0.000・・・1パーセントの素粒子エネルギー。


その素粒子エネルギー、物質波動なるものは、

元は根源意識の発する想念の波の、さらに次元降下した粗大波動、

幾重にも多重、多次元に出現、交差する定在振動、伝搬波動なのである。







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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
朗読動画を拝聴しました。 (ものぐさ)
2017-04-25 23:21:09
こんばんは。
先日は、コメントをありがとうございました。
m(_ _)m

お薦め頂いた、動画を拝聴させて頂きました。
結果、モヤモヤするのに繰り返し聴かずには
いられない衝動にかられます(笑)

命と呼ばれるものの不思議に惹かれずには
いられないと言った感じです。

木も花も虫も動物もなんで生きているの?
どうやって活動を維持しているの?
そう考えると、不思議で不思議で(笑)
と、ちょっと頭大丈夫かなって人になりかけ
てます(汗)

すみません。貧相な感想で。
でも、すごく興味を惹かれました。
ご紹介下さりありがとうございましたm(_ _)m
reご拝聴 (maccyoman)
2017-04-26 20:51:39
ものぐささん こんばんわ

ご感想ありがとうございます。
”頭大丈夫かな・・”は、正解でしょう(笑)。
でも魂にとっては、必要なことではないでしょうか。

「ラマナ・マハルシとの対話」の朗読は、実にダイレクトな内容です。
わたしも最近知って、驚いたものです。

様々な悟りの教えも、まったく同じことですが、
古い頭が、もやもや、ぐらぐらするのは当然でしょう(笑)
・・
例えばこれは180話もあり、全部は聞いていませんが、今これを通勤途上などでスマホ傾聴しています。
最初は違和感や疑問もありますが、
頭で少し考え?つつも、どんどん腑に落ちてきます。
・・これが当たり前だった・・(笑)

強い先入観があったり、一般常識でガチガチの場合などは、なかなか聞けるものではありません。
そこまで行かない、いや行けないです。

常日ごろ、
その日常にありながら、
こころ磨いて、
なお、当たり前の日々

おそまつ様です。m(_ _)m


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