Facebookのメッセンジャーの電話機能は、LINEより少し聞きづらいけど、離せないことはなかった。15階の端の自室は恐ろしく電波が悪いし。
今回受ける手術の件で、どうにも限界が来てしまった。
脳外科の先生がおっしゃるとおり、心療内科に行って、お薬を飲んでも、限界は来るもんだ。
手術は38になろうが、何回も受けようが怖いもんは怖い。
信仰があって、希望があって、方法があることに感謝しなければ。
ところが沢山の方々に支えていただいていることが分かっていても、鬱が感謝を支配することだってある。
理屈と事実は違うんだ。
ドクターに心からの信頼をおいていても、新しい病院(環境)で、苦手な人間関係を1から築かなければならない。
電極を入れたらリハビリもする様だから、リハビリの先生ともうまくやらなければならない。
幼い頃、病院で「あなたは幸せになれない」と言われたこと、その時の光景、その後看護師に叱られてひっぱたかれたこと・・・PTSDというのは厄介なものだ。
カウンセリングも何年も受けたのに、トリガーがいまいちわからない。
一生付き合っていくものなのね。
今回申請していた椅子が通らなくて、その一報を受けたとき、予想以上にがくっと落ちてしまった。普段なら「あーあダメだった。じゃあP.A.S.さんに相談にのってもらおう。野村さんが一緒に考えて下さるわ♫」って思えるはずなのに。
思考はズンズン手術どころではなく「死」の方向に向かっていき、それに逆行するだけで精一杯。
日々のレッスンや書き物をこなすために乖離までして・・・
もうこのままずるずる闇の方へ・・・という感じだったのだけど、さりげなく安否確認してくださる方、サプライズ、こどものピカ!が私を諦めさせなかった。
決して良好とはいえない親子関係の中での手術の決定はしんどい。
成人しているけれども、一番しんどいのはこれかもしれない。
乖離から戻ったとき(出たり戻ったりする)、P.A.S.の野村さんに電話してみようと思った。
お忙しいのはわかっているの。私の担当でもないのは知ってるの。
椅子が通らなかったときもすぐに「大丈夫」とメッセージをくださって、フォローもしてくださって、私は子供のように泣いたの。
(もちろん担当の方もお電話下さっていたが、弱みをみせてはいかんとか、どう反応したらいいのかわからず出ることができなかった)
野村さんに電話したいけれど電話番号がわからない。
会社にいらっしゃる確率は・・・低い。
非常に申し訳ないと思ったけれど、メッセンジャーから電話させていただくことにした。
結果、かけて良かった。
まず野村さんの声を聞いて、緊張の糸か切れた。
(YouTubeで見たらいいってわけでもない)
私の、動揺した、いつもにも増して飛躍する話し方を拾ってきて、わかってくださった。
そして、自分の意見も固まった。15日にはドクターに話せる。
支えられている愛を顧みず、信仰が薄く落ち込んでいた私自身を責めて責めた。
でも、責めなくていいと思えた。
椅子が術後にあってもなくっても、なんとかなる。
あの昔の病院の人は間違ってる。初めて思えた。
特別豊かな生活を望んでいるわけではないんだし、そのくらい私は幸せになっていいんだ。
だから私は手術を受けよう。
野村さん、ありがとうございました。
(そして神に感謝。←御降誕祭ギリギリ)