がんばろう!メロン熊!

「ほぼ週日記かも」からタイトル変更。大変なのは、敢えて東北だけではないとの思いで、変更しました。

プロ野球で出来て高校野球で出来ないこと

2016年03月29日 23時32分20秒 | 日記

ルールに沿ってやれば良い。
高校は教育でプロは社会人教育ではないのか。どこの会社でも教育していますよね。高校の教育は日本で通用することは教えるけれども、世界で通用することは教えていない。と考える事が出来るのではないでしょうか。
新聞社と放送局の都合か、その意図を汲んだ高野連が教育という名の錦の御旗を掲げて、ルールに明記されていない個人のプレーに注文を付ける。特異な技術で状況に対応していることを否定する。それは個人を尊重し、尊厳を守ることに反しているにも係わらず全体主義的な方向で一致団結する連盟という名、教育という名を借りた暴力である。日本以外にももちろん存在するが、表立って「指導」する、これは日本の組織という強固な団体の一面である。

白鵬が涙したのもそのことだったのではないでしょうか。日本にも明文化されていない、「ルールやマナー」ももちろん有ります。伝統という名の錦の御旗を掲げて、ルールに明記されていない個人のプレーに注文を付ける。

日本の国技という伝統文化も大衆向けの「スポーツ」に変わりつつある。価値観が変わっているのである。日本人だけの「組織」で伝統文化を守るという大義名分であれば、何の文句も無い。ところが「スポーツ」というルールに則った競技に明記されていない個人のプレーに注文を付ける。特異な技術で状況に対応していることを否定する。それは個人を尊重し、尊厳を守ることに反しているにも係わらず。
日本という島国の価値観はもちろん良いこともあるし、美しいこともある。それは日本以外に生まれて日本を好きになってくれている人々が沢山存在しているし、沢山出会った。

法律と言うルールに基づいて国という組織も成り立っている。法治国家と呼ばれている国々は少なくとも建前上はそうなる。ただしその法律を運用する場合、解釈というものが出来上る。そこをマスコミも突き詰めないといけない。

好き嫌いとか、個人の資質とかは表面上は出してはいけないし、そうでなくては法もルールも成り立たない。個人が出している論理は各々です。マスコミと呼ばれる組織が出すものが追随していることに危惧を憶えます。

その生い立ちや好き嫌いが論理の根底、無意識の領域に存在していることはここでは論議しませんでした。

お休みなさい。

どんどはれ


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-03-31 17:34:57
まあ、白鵬が勝利に拘ってなりふり構わない相撲をするのはルールを逸脱しないかぎりそれは白鵬の自由ですね。すきにやればいい
ただしそれとはべつに、金はらって直接見に行く客が観戦して満足するはまったくのべつ問題。
ブーイングしてだめだとかいう法律があるわけでもないしマナーの問題ではあるが、白鵬がどう相撲とろうとその自由があるのとおなじで観戦者個人のはんだんで自由にやれば良い
それだけの話

プロスポーツの興行ってのは、競技によってはスポーツの勝負に徹底的に拘ることかかならずしも興行として客を喜ばすことにつながらないということがありますからね



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