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日本軍慰安婦

2011-12-19 00:05:18 | 日記





民間文化レベルでは日韓は最近良好で、昨年8月に菅首相は日韓併合100年の期に「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」しました。また「朝鮮王朝儀軌」等の貴重図書の返還も決定されました。

 しかし、一方で日本軍が朝鮮出身の日本兵100名をマーシャル諸島で処刑してしまった事件の動機は、日本軍が当時、兵士の食事に『人肉』を食糧として提供していた行為に、朝鮮出身日本兵らが集団抗議・抵抗した結果であったと、衝撃の事実報告を韓国政府は国内で昨年受けとりました(「ミリ環礁朝鮮人抵抗事件と日本軍の弾圧真相調査報告書)
 
(マーシャル諸島チェルボン島では食糧の強制的な供出に抗議した現地の首長が日本軍に殺され、島民が朝鮮出身の日本軍と一緒に反乱を起こし朝鮮出身の日本兵と島民を鎮圧(島民は皆殺し)した事件と日本では従来知られていますが、この事件のきっかけは、ある朝鮮出身の日本兵が殺害され、それを日本人軍属二名が「くじら肉」と称して同僚に食させたことだったというのです。
 
 今年の夏にNHKがニューギニアでの日本軍の人食行為を元日本兵が実名で告発した2年前の報道の再放送をやっていましたが、当時は敵の人肉しか日本軍は許可をしていなかったはずです。朝鮮出身の日本兵は、敵ではなかったはずです。しかし、朝鮮出身の日本兵が島民と一緒に反乱を起こした動機は、敵兵ばかりか軍の『人肉』行為が朝鮮出身の日本兵にも及び始めた事に対する抵抗であったというのです・・・。とてもショックな報告でした。)

 今年5月まだ続く余震の不安を乗り越えて李明博大統領が温家宝首相とともに日本の東北被災現地を訪問するなどの友好もありましたが、7月には自民党議員らが竹島調査のため鬱陵島訪問を計画しましたが韓国から入国拒否されました。8月には野田首相はまだ財務大臣でしたが終戦記念日に「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」と発言し韓国政府は猛烈な批判をしました。戦後の歴史認識では日韓関係はこのところギクシャクしていました。

 

そんな政治状況で今年8月、韓国の憲法裁判所は韓国政府が日本政府と慰安婦問題の交渉努力をしないのは憲法違反との判断を下しました。2011年10月の国連総会第3委員会(人権問題)では、韓国は慰安婦問題について、「戦争犯罪」や「人道に対する罪」にあたると批判し、賠償請求権を主張しましたが日本は「解決済み」と答弁しました。そんな状況もあり韓国政府は日本政府に協議を申しいれていたのです。

 1992年1月に始まり、今年の12月14日で1000回目を迎えた日本軍の慰安婦被害者の抗議デモ「水曜デモ」を記念して、ソウルの日本大使館前に韓国挺身隊問題対策協議会が旧日本軍慰安婦の少女をモチーフとした「平和の碑」を建立しました。
 今回、日本を訪問した李明博大統領は、野田首相に日本の勇気を促し「この問題を解決しないなら将来に負い目を持つことになるだろう」と語ったそうです。一方、野田首相は問題は解決済みといっただけでなく「平和の碑」の撤去を主張しました。
 
 1990年10月17日韓国の女性団体37団体が挺身隊研究会とともに声明を発表し、日本の国会答弁を批判し、「慰安婦」は強制的に連行された存在であることを認めるようにとの要求からはじまる6項目の「要求」を日本政府に提起しました。公式謝罪、真相の究明と発表、犠牲者のための慰霊碑の建設、生存者遺族への補償、歴史教育での取り上げが具体的な要求でした。
 1992年には日本の当時の宮沢喜一首相が訪韓し韓国への謝罪発言があり、日本の高校・中学教科書には慰安婦の記載が当時されるようにもなりました(1997年までには中学歴史教科書のすべてに「慰安婦」問題が記述されました。)

「お詫びと反省」を表明した1993年の河野洋平内閣官房長官談話は「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。」と発表され公式な日本政府見解にもなりました。そして日本政府の慰安婦からの聞き取り調査も不十分ながら実施されました。日本軍が要請し女性が意志に反して集められ、官憲が直接加担した例も数多くあったとしているのですから日本政府が国家的意思、国家主体として拉致・人身売買に関与したことが擬制されたと明確に言えます。

1995年には日韓条約で請求権が認められない賠償問題を解決するため名目個人寄付の形でアジア女性基金を日本政府は設立しこの問題の解決を図ろうとしました。韓国の一部,フィリピン,台湾における元慰安婦認定の婦人285名に対しては、一人当たり200万円の「償い金」を支給し医療福祉支援として一人あたりフィリピンで120万円、韓国,台湾では300万円を、オランダでは79人に対して一人あたり300万円の医療福祉支援の援助がされました。インドネシアでは認定作業も困難な状況で混乱したため個人支援はせずインドネシア政府に高齢者社会福祉推進事業の支援を行いました。

 しかし各国被害者にお金の受け取りの拒否がすくなからず発生しました。韓国では日本からの「償い金」は「日本政府の責任回避のための解決金」との批判が出ました。日本の総理の遺憾であることを表した侘び文も、一部の世論からは謝罪文の内容とは認められないとの意見も出ました。韓国では認定された207人(2004年)中お金を受けとったのは当初7人で、他の被害者は受け取りを拒否するにいたります。       



また、中国は日本軍の慰安所が最初につくられたところで、日本軍が占領した地域に女性の供出を命じて女性を徴集した事例が多く、日本での訴訟提起も最高裁では事実認定はされていましたが法的請求権が認められず賠償にいたらない被害者が多くいました。
(満州に侵攻した時期に、日本海軍が上海にあった日本の妓楼を特別慰安所とした「大一サロン」を「海軍指定慰安所」としたのが始まりといわれ、上海市内には日本軍専属の「慰安所」が149箇所も設立され、日本軍直営のものもありました。)

 また、北朝鮮は2000年には被害調査委員会の被害者申告数が218名になっていました。また、ビルマやマレーシア、ミクロネシアや東チモールにも慰安婦とされた人々がいました。しかし、これらの国に対しては、結局アジア女性基金はなんの対応もしないまま、2007年に基金は解散しました。

 あるオランダ人女性の被害者は日本の措置に猛反発していました。日本からの金は慰安婦に対する侮辱だとも主張します。日本政府は未だに残虐行為の事実を認めていないからというのがその理由でした。
慰安婦が一番多かった韓国被害者にも同じ思いがあったようです。東京裁判のBC級裁判での判決文の証人・被害者に対する警察調書には、戦時中に何人かの慰安婦女性は、その報酬さえ気高く断った記載がありました。歴史事実の解明はあいまいにして、とにかく戦争被害のおわびをして、被害者には同情的にお金を払えば解決するとしか思わなかった当時の日本政府の目論見は裏目に出たのです。1992年の宮沢首相のおわび訪韓のスタンスも同様だったためでしょうか。その年に始まった韓国被害者達の怒りのデモはその後収束せず今年12月14日に1,000回に達したのです。

 しかも、日本政府は、当時宮沢首相、河野長官などの謝罪もあったその政府見解の、裏側では、その後、安倍首相時代になると「狭義の強制はなかった」「旧日本軍が慰安婦への強制性を裏付ける証言はない」と述べるに至り、日本の教科書から慰安婦の文字が消えました(2005年、中学歴史教科書から「慰安婦」の用語がなくなりました。2007年3月には「河野談話」の「資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」と社民党議員の質問に対する答弁書を閣議決定さえしました。間接強制を拉致連行問題に摩り替える詭弁を閣議決定したともいえます。)軍の組織的な関与や責任を回避して慰安婦問題の本質議論を回避し、その存在さえも否定するような世論操作が日本国内では行われました。日本は、遺憾とあいまい形式的に詫びただけで、国際法違反については認識がなく今日までついに一度も実質的に謝罪したことはありませんでした。戦前は公娼制度が日本では存在しましたが国際法違反の慰安婦は「合法」な公娼とは言えないはずです。日本の世論も自虐史観はやめろ、土下座外交はもうやめろと騒ぎたてました。しかも、一部の日本人はレイプして慰安婦強制した事実を売春だと罵倒さえします。

 日本の世論が大きくゆがめられ黒を白としていることに気がついた日本人は少数でした。それは、自主的に自爆していった日本の特攻隊員は強制されたものではないので当時の自爆攻撃は正義だ愛国行為だ、誘導した軍部は悪くないのだ・・との論理にも共通する日本人だけに通用する倫理感です。戦時下の異常な空気では「天皇陛下万歳と言って死んでいきたい」特攻隊も志願の正義で「兵隊さんのためなら」と慰安婦志願さえも美徳で「鬼畜米兵に犯されるよりは潔く死を」と集団自決さえも潔く、全ては自主行為でした。しかし、それらは、日本の特殊教育を受けていない人々にとって強制連行より遥かに卑劣で冷酷で残酷非道な行為でした。その非道が日本の名誉と誇りを失わせている事実にまだ気がつかないのです。

 
戦前に皇族資本と三菱財閥により設立された日本郵船は、明治時代に富国強兵のための欧米からの兵器購入資金に、福沢諭吉の案による「賤業婦人の海外出稼ぎ」(売春業)に実際携わりました(からゆきさん)。当時の日本では貧しい農村からの身売りが多くあり、身売りされた女性の多くは実質上強制的に「からゆきさん」として海外売春婦となり、日本国の富国政策の犠牲になりました。その累計は数十万人と言われます。
戦後も、GHQが日本に進駐したとき、最初の1か月神奈川県下だけで2900件の強姦事件が発生し、7年のGHQ占領期間中には2536件の殺人と3万件の強姦事件が起きました。日本の内務省は占領軍対策として「外国軍駐屯地における慰安施設設置に関する内務省警保局長通牒」を各県に発令し、「日本女性の防波堤たれ!」というスローガンで若い女性がアメリカ兵専用慰安婦として日本国の行政組織を通じて、半ば強制的に集められた歴史が日本にはありました。戦後も売春を国が管理・容認する特殊な伝統は引き継がれました。戦時中の女子青年団から、慰安婦に集められたケースや、警察が戦時中に青線売春での検挙歴者に対して米軍慰安婦になるよう要請した事例もありました。アメリカ大統領夫人の反対と性病の蔓延を理由としてGHQにより特殊慰安施設は廃止されましたが、日本政府は「強制はない!」「合法だった」との詭弁ばかりで、日本人の被害女性たちに補償や謝罪の意思もありません。好き好んで売春婦になる女性など誰一人いなかった当時の大和撫子のモラルも自主性の名で奪われ、その名誉も今日まで回復していません。また、日本国家が公認した売春地帯(赤線)は売春防止法の施行(1958年)まで営業されました。今日の売春防止法でさえも買春男性を罰しないザル法です!.

 1995年の国連人権委員会はクマラスワミ報告「女性への暴力に関する特別報告」として、日本、韓国、北朝鮮に調査団を派遣し慰安婦について詳しく調査し1996年1月に国連人権委員会に報告を行いました。「第二次大戦中、慰安所の設置、その施設の利用及び運営、並びに同施設の監督及び規制について、日本帝国軍に責任があったことは明らかである。慰安所に関して、大日本帝国軍将校によって命令が下されていたことを示す詳細な文書が提供された。慰安婦の徴集及び連行のための前線将校による特別の請求を含む命令原文のコピーも提供された。さらに、特別報告者は、「慰安婦」に関して日本政府の管理する全ての文書が開示されたと同政府から告げられた。特別報告者は、大部分の女性は、自らの意思に反して慰安所に置かれたこと、日本帝国軍は、大規模な慰安所網を設置し、規制し、かつ監督したこと、かつ日本政府は慰安所に責任があることについて完全に確信を得た。これに加えて、日本政府は、国際法上これが示唆するところから発生する責任を取る覚悟をすべきである」としました。

 この国連レポートでは、韓国調査の部では「少女たちはたいへん若く、大部分が14歳から18歳のあいだであった。少女たちを獲得するために学校の組織が利用された。現在、軍「慰安婦」問題に関心を高めるために活動している尹貞玉(ユン・ジョンオク)教授は、幸いにも両親の配慮によって学校から連れ出されるのを免れた例が大半だが、教授は、そのようなやり方で性病に冒されていない、就学年齢の処女が徴集された事実を証言した。」北朝鮮の調査の部ではチョン・ナムヨン博士の意見として「20万名の朝鮮女性を軍事的性奴隷として強制徴集したこと、ひどい性的暴行をしたこと及び事後的に大部分を殺害したことは、人道に対する罪に当たると論じられた」等と記載されています。

(しかし、かつてソウル新聞に挺身隊数を、総計20万、うち朝鮮人5~7万と報道されたことがありました。そして、韓国では強制徴集の挺身隊被害者と慰安婦被害者が混同されて議論がされました。正確な人数や実態も、実は戦後は資料が滅失しており、慰安婦募集などで係わった朝鮮の業者の責任、朝鮮総督府の関係者の責任、そして日本軍の責任など把握ができていませんでした。近年、日本では慰安婦は8~20万人とも推定され、その内訳も比較的朝鮮人や中国人が多かったとの兵士の証言からの推定からです。日本政府の慰安婦の認定作業も元慰安婦の記憶に頼った聞き取り調査だけで不明確なものと言われます。かつて毎日新聞記者出身の千田夏光氏が1973年に出版した「声なき声 8万人の告発」として『従軍慰安婦』を出版して、日本では広く周知されるようになったのですが、その人数や内容も、当時のソウル新聞の報道をもとに誤認と誇張を含んだものとも言われており、実態は「半ば勧誘、半ば強制」(金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』1979年)と言われます。

 また、慰安所によっては終戦時に自決殺害したのではとの疑惑に対しても日本政府は否定も肯定もできていません。日本は終戦前にポツダム宣言受理を前提に内務省指示で慰安婦や捕虜等の国際法違反行為の証拠隠滅を図っていたのです。しかし、設置させて管理して利用したのは、日本軍でした。従ってそれらの推定の反証責任は全て日本政府側にあると言えるのですが、日本は反証せず推定を受け入れ、アジア女性基金による個別認定での解決を図る道を選択したのです。

国連人権委員会は1996年への暴力撤廃に関する決議で、日本軍に奉仕を強いられた女性を「性的奴隷」と規定します。また、国際労働機関(ILO)の1996年報告は「日本軍の性的奴隷は、強制労働を禁じたILO第29号条約(1930年)に違反していたと指摘しました。                                    

 その後「強制を裏付ける証言はない」と当時の安倍首相が開き直って強言した背景には、首相をとりまく日本官僚の調査がありました。国家総動員法に基づく徴用の対象ではなかったようだ、直接日本軍が連行したのではない、との調査結果が首相に報告されました。しかし、それは、労働省を中心に、労働省勤労局、国民勤労動員署などの勤務経験者からの聞き取りを行った結果、関与していなかったと回答していただけの簡単なアンケート調査に過ぎないものでした。そして、近年一部の日本の学者達が主張していた「朝日新聞の捏造?。高額な収入を得ていた?。一部の証言がころころ変わっている。自主性もあったのでは?・・結局、終戦時に日本傀儡の朝鮮総督府や日本内務省は証拠隠滅を図ったこともあり「慰安婦強制は証明ができないはずだ」との前提があったのです。(1944年6月の日本国内務省の文書には女子挺身隊が「朝鮮では・・これらを慰安婦であるかのような荒唐無稽のうわさがある」といった記述さえあり、ブローカーを取り締まるため朝鮮総督府は「警察官」を増員した事実からも、「挺身隊」と称して、実質は慰安婦送りしたブローカーの実態があり、その慰安所の最終的な管理責任者は日本軍であり間接強制は明白でした。朝鮮では未婚女性の挺身隊が「処女供出」と実際に呼ばれました)。

 一部の日本の論者たちは1983年に、かつて済州島で「慰安婦狩り」を自ら行ったとする「私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行」を出版した吉田清治氏を唯一の加害証言だと曲解させて、その誇張記述の誤りや不備を次々を暴露し、ついに捏造を暴きこれを葬むることにも成功しました。しかし、その吉田捏造の誤りも、日本軍慰安婦の存在否定にはならないものでした。陸軍第117師団長・鈴木啓久中将の「私は巣県に於て慰安所を設置することを副官堀尾少佐に命令してこれを設置せしめ、中国人民及朝鮮人民婦女20名を誘拐して慰安婦となさしめました」「日本侵略軍の蟠居する所には私は各所(豊潤、砂河鎮、其他2,3)に慰安所を設置することを命令し、中国人民婦女を誘拐して慰安婦となしたのであります。其の婦女の数は約60名であります」(特集「侵略の証言」『世界』1998年5月号)等、元日本軍人の別証言の強制連行事実が紹介されたりしました。(中国戦線で日本軍は慰安婦を各地の一般の中国家庭の婦女子から強制調達しました。地域住民は安全を守るために、日本軍への供出に協力もさせられ、婦女子は被害者になりましたが、戦後も悲劇は続きました。新生中国の裁判所は、その被害者を日本軍の協力者として長期の強制労働刑にし、文化大革命の際は反革命主義者として投獄され犠牲になったといいます。)

  1938年3月4日付陸軍省兵務局兵務課起案の副官通達案(陸軍省公文書)が発見されると、これは、悪質な慰安業者を極力排除するように通達したもので「強制連行」しないように軍が関与して、良い意味での関与である等とかってな解釈を一部の論者達は主張しました。しかし、これは内地(日本本土)においての従業婦の募集の文書でした。先立つ、1938年2月23日内務省警補局長から各庁府県長官宛への、支那渡航婦女の取り扱いに関する件という文書では、事件が発生することの防止と共に、軍の要望による募集だと公言することを業者に固く禁じ、調査するよう求めていたものでした。軍の募集は隠すように取り締まることさえ指示しており、軍が秘密裏に関与して間接強制事実があったことは明確なものでした。また、2008年イギリス国立公文書館で発見された日本軍の電文解読には、終戦時、慰安婦を補助看護婦として登録指示したものがあったことから、慰安婦の存在を隠蔽しようとしたのだという見解もありました。


 しかし「日本国内の国営管理売春施設で金を稼いでいた婦人から転身した慰安婦」「キーセン身売り拉致され借金を負っていた慰安婦」「日本軍が戦地で獲得した捕虜・民間人収容の外国人少女から調達した慰安婦」「日本国民総動員態勢の補助として実施した「女子挺身隊」の朝鮮版として朝鮮で徴収され偽られ日本軍慰安所送りされた慰安婦」これらの事例を混在させて語られ、被害者の実情や国籍や連行の時期も様々でその内訳や人数や被害の度合(虐殺の有無)も慰安所によって格差があったことを利用したレトリックによる「慰安婦捏造説」に安倍元首相は乗せられてしまったのでしょうか。確かに経済的な理由から自ら応募した慰安婦も存在しました。(広田『証言記録従軍慰安婦・看護婦』:美貌の芸妓上がりの日本人の従軍慰安婦は「あたしたちは将校用だったため慰安婦としては恵まれていた」等、経済的に恵まれたケースの証言さえありました。)しかし、当時日本は婦女売買を禁止する国際条約や児童の売買を禁止する国際条約に加盟しており、売春を目的とした身売りの受入や金儲けの売春も本人の承諾を得た場合でも国際法の違反行為でした。

 しかも、日本人慰安婦の比較的自由な地位とは別に、朝鮮人は自由を剥奪され強制労働に連行され、戦地では中国人らが略奪・捕獲・虐殺されるのがあたりまえの状況でした。居住自由、外出自由、廃業の自由もありませんでした。性的強要行為は売春とは呼べません。16才以上の少女達の「女子愛国奉仕隊」として(名目志願で)つれてこられた先がだまされて慰安所であったとしても、募集した日本の主観的意図とは関係なく、そもそも断れない状況でしたし、慰安所から逃亡すれば、実際拷問や殺された強要状況におかれていました。また、慰安の仕事がなになのか理解せずにだまされて応募した少女もいました。応募してきた女性が「予想が狂って悲鳴をあげ」拒否したら、女性の手足をベットに縛り付けて強制した将校証言もありました(1983『南海のあけぼの』叢文社)。                  


 オランダの議員や駐日大使らは当時の問題は強制があったかどうかということではない、日本の政治家がこの問題を矮小化する動きを見せたことは容認できないと述べ、日本は謝罪をするべきだと主張しました。従軍慰安婦問題は解決したとの日本政府に2007年米国下院議会をはじめ世界で反発が起こりました。それに対して日本の一部の国会議員達はアメリカワシントンポスト紙に慰安婦問題否定の意見広告を出したためかえって波紋が広がりました。「日本軍慰安婦」について「狭義の強制はない」と主張する日本人は多くいますが、靖国に祭られた特攻隊員も「強制はない」として日本人は正義を主張します。しかし、慰安も自決もその自発を装う人生の犠牲は、強制されるよりも、残酷な非人間的行為であることも、多くの日本人は未だに気付いていません。当時、朝鮮半島を実質植民地支配し、日本本土で安価な朝鮮人労働者を酷使した日本政府は、朝鮮人の尊厳を踏みにじった「創氏」改名すら強制でなく申告制でした。当初は拒否したり、祖先に申しわけないと自殺した人など、抵抗がおこったため、「創氏」の届け出に応じなければ入学させず、内地渡航許可も与えず、役所の公的手続きに応じなかっただけでなく「反日分子」として徴用の対象にされた、間接強制政策でした。

 また、単なる戦争被害ではなく現在も傷害や後遺症さえ引きずる生存犠牲者の名誉回復の問題でもあり、女性に対する性暴力(人身売買・身請け制度、拉致、強姦、集団性暴力)の人権侵害の評価が係わる問題でもあります。

 ある慰安婦は 「日本人たちの嘘を作り上げる才は世界一」と怒りと涙で抗議します。 「小学校から家に帰って来たら日本軍人と警察 2人がトラックをひいて来て積載して行った」「慰安婦たちに与えられた軍票は監禁状態で実際にこれを両替できる道もなかったし敗戦で紙くずとなった」これらが相応の金員を与えたから強制ではない、軍の直接連行はなかったから強制ではないとの日本の意見広告の実態なのかと反論が報道され、広くアメリカ大衆に日本の戦前行為の恥部ばかりか、それをごまかす戦後の恥部をさらす結果となりました。

 2007年当時安倍首相が「狭い意味での強制性はなかった」と慰安婦問題に曲解答弁したことに世界は反発しました。当時の安倍首相が訪米した際には、国内の強言とは逆に謝罪と釈明を繰り返えさざるをえない状況になっていました。当時日本では弱腰外交と批判されましが、日米共同記者会見の質問でブッシュ大統領は「安倍の謝罪を受け入れる」と一方的に答え安倍首相は反論もできませんでした。しかし「従軍慰安婦」と呼ばれる太平洋戦争時の性暴力被害者への公式な謝罪と補償を求める決議案」等が2007年にはアメリカだけでなく、カナダ、オランダや27カ国からなるヨーロッパの欧州議会でも可決します。翌年2008年にはフィリピン、韓国、台湾のアジアの議会でも可決、国際社会は当時怒りを示しました。

 日本国内では戦時中の日本の行為をめぐって中国人が損害賠償を求めた訴訟の上告審で賠償の棄却はしましたが、日本の最高裁判所は、旧日本軍が連行、監禁、強姦した残虐行為の事実について認定するにいたりました。さらに、またかつての東京裁判資料には、オランダ政府、フランス政府、中国政府などが提出した資料に、拉致して日本軍に強制的に慰安所に連行され、無報酬で慰安婦として働かされた事例(国際法違反の犯罪行為:ジュネーヴ条約違反)や、証言や証拠がたくさん含まれていたという事実も明白になりました。地元警察に捕まってそのまま日本の収容所に連れて行かれて慰安婦にされた例や、現地の女性を拘留した理由として、売春宿に入れるための口実だったと「日本軍人」自らが答えた調書などが数多く残されていました。

 東京裁判での公文書は、日本自民党政府がサンフランシスコ講和条約によって受け入れたのですから、本来慰安婦の実質強制連行があった事実を日本国として公式に最初に認めた当事者は実は日本の自民党政府であったのです。これらの事実や従軍慰安婦の被害者に白人少女達も存在していたことを、戦後育ちの安倍元首相はどうやらすっかり失念していたようです。(アメリカの
グアム島での戦犯資料は、1995年にアメリカの国立公文書館で発見されました。日系の民間人が反逆罪にも問われ死刑になった事件ですが、日本軍の占領下で1942年現地の女性二人に「本人の同意を得ることなく売春を強制」した罪も問われていました。)

(「朝鮮の「慰安婦」が14 万2000 人死んでいる。日本軍人がやり殺してしまった」との1965年自民党代議士の故荒船清十郎議員の発言(日韓基本条約締結に携わって韓国への補償額を軽減させた荒船議員の成果の話を条約締結から半年後に自分の選挙区で報告した際の放言ですが、同議員の生存中に発言内容の否定や訂正はされませんでした。また、日本政府は日韓基本条約に係る公文書を未だに公開していません。2005年韓国において、議事録の一部が公開された際に、韓国政府は、「政府や旧日本軍が関与した反人道的不法行為は、請求権協定で解決されたとみられず、日本の法的責任が残っている」との声明が発表されましたが、両国間での決着をまだ観ていません。国際法律家委員会は当該協定は、政府に対して支払われる賠償に関連するもので、被った損害に基づく個人による請求権は含んでいないとしています。)等もどこかに忘れさられてしまったようです。また、中曽根康弘元首相は旧海軍の主計中尉のころの回顧録で「私は苦心して、慰安所をつくってやった」と記していたことが話題となったこともありましたが本人は忘れている様子です。しかし実際ボルネオのバリクパパン慰安所の設置に元首相が関与したことを示した旧海軍の資料は確認されています。)また、日本の陸軍経理学校では軍慰安所設置方法さえ教えていたのでした(桜田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』1983年)。日本軍の関与は生活物資の供給や衛生管理等にとどまるものではなかったのです。「軍が民間施設を認めた」のではなく「軍が設置させた」慰安所でした。


 
 アメリカ議会の慰安婦問題聴聞会に3名の被害者証人の一人としてたったオーストラリア国籍のジャン・ラフ・オハーン(ヤーン・ルーフオヘルン)婦人は、 修道女になるためフランシスコ会の教育大学で学んでいた17歳の学生の時に日本軍が侵攻、アンバラワ抑留所に母親と2人の妹と一緒に入れられました。2年後抑留所で日本軍から「17歳以上の独身女性は整列しろ」と命令され、16名の少女が慰安婦志願の名目でトラックで連れ出され、スマラン市内にあった4つの慰安所のひとつに彼女を含め7名が送致されました。彼女は、「日本式の花の名前が入った名前を付けられ、髪が薄い日本軍将校が待つ部屋に連れて行かれました。 彼は刀を抜いて‘殺す’と脅した後、服を破り、最も残忍に私を強姦した。その夜は何度強姦されたか分からない!」「一緒に連行されたオランダ人少女らと3年半、毎日こうした蛮行にあい、飢えて苦しみ、獣のような生活をした」と実態を証言し、「日本は1995年にアジア慰安婦財団を作って私的な補償をしたというが、これは慰安婦に対する侮辱」とも主張。 「日本は政府レベルで残虐行為を認め、行動で謝罪を立証しなければならず、後世に正しい歴史を教えなければならない」と求めたのです。形式的には志願であり、意味も分らない日本語の文書に同意サインまでさせ、日本流に言えば、強制行為ではありませんが実質的には強制連行です。当時学生の彼女を実質拉致しレイプした日本人が彼女達を売春婦呼ばわりして侮辱していいという権利は何処にもありません。

婦人は「日本人は私たちが死ぬのを待っているが、私は死なない!」と主張し、日本が正式に謝罪するまで闘争を続けると主張しました。問題はお金ではなく歴史の事実を偽る日本政府への怒りでした。

 日本軍の抑留収容所から自分の娘を連れ去られたオランダ人が、抑留所視察に来た日本軍の大佐に国際法違反と抗議した結果、日本軍は当時、国際批判をおそれ、この批判された白人慰安所を閉鎖しましたが、すぐにアジア人や混血の慰安婦の慰安所として再開もされ、実際、当時の日本軍は国際法違反の認識さえもなく自ら処分など一切しませんでした。この少女たちの慰安所送致事件(白馬事件:バタビア臨時軍法事件)は戦後1948年に被害女性たちに告発され記録も残っていたので東京裁判ではBC戦犯処罰が下されました。オランダ政府の調査では、インドネシア内のスマラン慰安所に送られた白人の17才以上の婦女総数は200から300人いたとしており、内65名は確実に慰安婦認定できるといいます。日本では1992年7月に戦争犯罪法廷関係の記録がマスコミで報道され、その後広く事件は知られるようになりました。それまでは、このBC戦犯内容は、日本軍の人食問題のBC戦犯同様、日本国内では、ほとんど報道されてこなかった戦後の日本のダブーのひとつでした。白馬事件は決して特殊な事件ではなく当時の日本軍慰安婦とはどういうものであったかが理解できる明確な公式記録とも言えます。

 

アメリカ下院議会の外交委員会は2007年6月26日、旧日本軍の「従軍慰安婦」問題で日系人の本田実議員らが議会に提出した日本政府に謝罪を求める決議を39対2の圧倒的多数で採択します。(7月本会議では共和党、民主党から167人が共同提案者となり反対意見も無く満場一致で決議を採択しています。下院121号決議)


・・以下が下院の意思であることを決議する。
 日本政府は、
(1)一九三〇年代から第二次世界大戦中を通じたアジアおよび太平洋諸島の植民地支配と戦時占領の期間、日本帝国軍隊が若い女性を「慰安婦」として世界に知られる性的奴隷となるよう強制したことを、明瞭(めいりょう)であいまいさのないやり方で、公式に認め、謝罪し、歴史的責任を受け入れるべきである。
(2)日本国首相が公的な資格での公的な声明として、このような謝罪をするなら、誠実さと、これまでの声明〔河野談話〕の地位をめぐって繰り返されてきた疑問を解くことに貢献するだろう。
(3)日本帝国軍のための「慰安婦」の性奴隷化や人身取引などはなかったといういかなる主張に対しても、明確に公式に反ばくすべきである。そして、
(4)「慰安婦」に関する国際社会の提案に従うとともに、この恐るべき犯罪について現在と将来の世代を教育すべきである

「遅すぎることはない、日本は、米国にとって死活的に重要な同盟国であり、国際社会の責任ある一員として、リーダーシップを発揮している。しかしこの問題では、日本政府にさらなる努力が求められる。第二次大戦から半世紀以上が経過したが、過去の誤りを認め、歴史が繰り返されないよう、将来の世代を教育するのに遅すぎるということはない。下院がこの決議を可決し、「慰安婦」が耐えた恐怖を忘れないという強いメッセージを送ることを期待している。彼女たちはあまりに長く待たされてきたが、その勇気を認めるのに遅すぎることはない。」(ペロシ米国下院議長声明)

 昨日の李明博大統領の「真の勇気を持たなければならない!」との言葉に当時のペロシ米国下院議長の声明を思い出した日本人はいったいどれだけいるのでしょうか?。そのあまりにも重いアメリカ議会の決議内容さえ、2007年当時の日本ではほとんど片隅でしか話題にされませんでしたから。
事実を認める勇気とごまかさない努力が必要ですね。                                  





「もう一度生まれたら花に」より


 

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