大菩薩峠へ 13年前の 1996年10月の事
長男家族と山の紅葉に染まりたいと出かけた。
雷岩はひびだらけ、落雷の残骸か?
秩父多摩国立公園 標高 1897㍍
枯葉が私のように キリキリ舞
長い長い下り まーだーーーを思い出す。
原稿無しの写真のみ、記憶は霧の彼方に霞んでしまいました。
大菩薩峠へ 13年前の 1996年10月の事
長男家族と山の紅葉に染まりたいと出かけた。
雷岩はひびだらけ、落雷の残骸か?
秩父多摩国立公園 標高 1897㍍
枯葉が私のように キリキリ舞
長い長い下り まーだーーーを思い出す。
原稿無しの写真のみ、記憶は霧の彼方に霞んでしまいました。
<有楽町線新木場下車 徒歩15分>
小雨が降り、冷たい海風の当たる、寒い下見の日でもあり、
出席は7名。
夢の島の歴史
戦前の1939年、東京湾に飛行場建設のために埋め立てられ始めたのが始まり。飛行場が完成することなく2年後の1941年には資材不足で工事は中止され、しばらくの間は海水浴場として賑わっていた。
1950年代、東京都内でゴミが急増し始め、それに対応するため都は夢の島をゴミ処分場として決定し、1957年12月には埋め立てが開始された。それ以降、ハエが大量発生する事件が発生するなど「夢の島」といえば「ゴミの島」というイメージを広めながら、1967年までこの地へのゴミの埋め立ては続いた。
埋め立て終了から11年後の1978年、都立夢の島公園が開業。整備が進み、ゴミの島という雰囲気を感じさせることはなくなっていった。現在ではスポーツ施設が建設されるなど緑の島として生まれ変わっており、京葉線の開通などにより身近な人気スポットとして親しまれている。
長男と孫の2人と私。・・・嫁が写す。
旅日記としてブログに保存したくなりました。
長くなりますので、どうぞ斜め読みにして下さい。
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平成8年8月3・4・5日の思い出
この2ヶ月身辺慌ただしく、諦めていた山行きだけに『行って来いよ』の一言は嬉しかった。手術後で動けない主人を病院に任せてまで行こうとする自分に後ろめたさはあったが、
此れを逃してはもう行かれないだろうと思う気持ちの方が強く、決心した。それなのに出発の3日前、急に後頭部が痺れ、頭痛、吐き気まで、やはり行くなと言うことかと悔しく思いながら医者へ、風邪の引きかけだと薬をもらう。 徐々に回復の兆しあり、此れなら大丈夫とサンドウイッチ・オレンジ冷凍
きゅうり・バナナ等など用意。
平成8年8月3日5時半 車はルシーダ・後ろの席には
2年生の孫 H君が横になり、真ん中に私と4年生の Mちゃん
背を倒して寝る体制、私は嬉しくてそれどころではない、
嫁が本を買いプランを練ってくれていた。
麦草峠に向かう、渋滞も無く7時半に着きお弁当だけ
持って足元を固め歩き出す、いきなりオオシラビソ・
コメツガの大木・苔むした倒木・ひんやりした風に
樹木の香がむせ返る、
右上の緑色はヒカリゴケですが、バカチョンカメラで
勉強不足を痛感
スキップしたくなる気持ちを
網目のような木の根が遮る。 必要な物だけ持ってと
注意したのに、めんどくさいと重いリュックを背負った
息子はもうハーハーして、我々と足並みが揃う。
白駒池に着く、釣りをしている人、家族ずれが多い
池を半周して、高見岩へ向かう、急な登りもクリアー
サンドウイッチ多めに持ってきた積りが全部無くなる
高見岩子屋展望台は巨岩のオブジェ,霧が出てきて
私は荷物番、H君短い足で良く附いて行く。
下りてきてMさん前に来た事があると言う、良く聞いてみると
合宿できていたらしい。池に向かって緩やかな道で下る。
車へ、メルヘン街道から蓼科高原ピラタナス駐車場へ向かう、
山は水不足と聞いて、ポリタンクへ水を汲みロープウエーで
ピラタナス山頂駅2230mへ 2時到着、重いリュックを
皆が背負って20分縞枯山荘着 8畳16人用個室がある
と言うので決める。
目の前が縞枯山 枯れた樹が横並びに立っている
百年周期でこの縞が変わるという、未だに謎の現象だそう、
Mさんと私は子屋の廻りで遊び3人は縞枯山へ向かう
直登できつく、展望台まで行ってきたと言う。
夜は真っ暗になるから、早々と蒲団を敷き明日の支度をする。
夕食はヒレカツ・こごみの胡麻和え・お茶はご飯茶碗で
お皿は重ねないで、箸袋で拭う水不足の工夫だ。
太陽発電の灯りが点いた屋内トイレで助かる。
しりとりが、尻切れトンボになって眠りにつく。
夜中雷と土砂降り屋根からの貯水槽へ沢山貯まったであろう。
朝食ハムエッグ、サラダ。
坪庭から北横岳に向かう、坪庭は波打つ溶岩の隙間にコメツガ
シャクナゲ、ガンコウラン、などが生え自然の石庭だ。
山の登りはゴゼンタチバナ、アキノキリン、圧巻は光苔
急登で頂上、13度と寒い。ある物全部着込む、霧の晴れるのを待ってヒュッテに戻り七つ池へ
神秘的で天女が舞い降りてきそう、ワタスゲが揺らめき
思わず感嘆の声が漏れる。
山は神 姿を写す、鏡は池と言う、神に導かれ、生かされている
我が身は幸せ、でも病の床に伏す妹、何を神に感謝しろと
言うのか?回復を願って祈る。
三つ岳に向かって下るが分岐を見落としたらしく戻るがない、
三つ岳止めて同じ道を4回歩き疲れがドット、下りが終わる
と言う所で前の男性が杖の先が滑ってか前かがみに転び
デングリガエシ皆如何する事も出来ず、気の毒そうに見るだけ
気の緩みは怖いとつくづく思う。
11時昼には早いので、五辻に向かうが笹原の気持ちの良い道は
僅かで、濡れた木道、倒木、ゴロ石と水溜り、眺めも無し
我慢の歩きの末やっと明るい場所に着きお弁当にする。
25分で着く筈が無いので、山荘に戻る。
右端の方はネパールのシェルパさん、 働きに来ている。
一休みして息子達は三つ岳が諦めきれず、雨池からのコースで
向かう3人は山荘の本でさっき見たのはハタザオと分かる。
息子達は2時間ほどで、戻ってきて、険しくて、怖くて、あと少しで
引き返したという。賢明だと思う。
夜中星が大きく瞬き手が届きそうに見える。本を車に置いて来て
シリウスカナ???誰も分からない
3日目はNo2 花一杯の八潮湿原に続きます。