松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま島根県を探索中。

虎図の大橋翠石と岐阜の動物画家

2015-05-27 | 画人伝・美濃、飛騨

文献:岐阜県の美術、岐阜県日本画 郷土画家・画人名簿

多くの画家たちが京都画壇を目指すなか、大垣の大橋翠石(1865-1945)は東京に出て渡辺小華に師事し南画を学び、その後、動物画を研究し、特に虎図では写実に徹した独自の画法を確立した。

虎図は、室町の雪村、桃山から江戸初期にかけての狩野永徳や探幽、江戸中期の岸駒や円山応挙など、各時代を代表する画家たちが描き名作を残しているが、彼らの「虎図」は先達の図を模しながら創意を凝らして描かれたものだった。それに対して翠石の虎図は、生きた虎の写生が基盤になっているため、それまでの虎図にみられない写実性が見られる。

翠石と虎との運命的な出合いを『岐阜県の美術』(郷土出版社)では次のように記している。
「明治20年の大垣中町(現柳原)の大火の跡地か、24年の濃尾震災による火事の跡地か定かではないが、火事の跡地に動物の見世物興業が来て、虎を見せたという。翠石ならずとも当時の人々には大変な驚きだっただろう。虎の姿に魅せられた翠石は、十日ほども通って虎を克明に写生し、たちまち人の噂になったという」

その後、翠石は明治28年、京都での第4回内国勧業博覧会に「虎図」を発表、初出品で褒状・銀牌を得て華々しいデビューを飾った。33年にはパリ万国博覧会で優等金牌を受賞、その後も内外の博覧会で受賞を重ね、「虎の翠石」としての地位を確立していった。その画風を慕い入門するものも多く、岐阜では翠石系の動物画家が多く育った。

大橋万峯(1860-1943)
万延元年大垣市生まれ。名は鎌三郎。別号に対雲がある。大橋翠石の兄。動物画、特に虎を得意とした。昭和18年、84歳で死去した。

佐々木美山(1876-不明)
明治9年広島生まれ。大垣市に住んでいた。名は鶴次郎。別号に南風、鯉城がある。大橋翠石に師事し、動物画を得意とした。

佐藤翠谿(1884-不明)
明治17年大垣市浅草生まれ。新馬場町に住み、のちに岐阜市神田町に移った。名は常吉。別号に幽棲居、翠谷、寂照がある。大橋翠石に師事した。

高木美石(1887-1951)
明治20年養老郡多良生まれ。大垣市藤江町に住んでいた。名は操。大橋翠石に師事し、虎を得意とした。昭和26年、65歳で死去した。

玉置頼石(1899-1978)
明治32年揖斐郡池田町東野生まれ。名は勝之助。玉置頼山の父。大橋翠石に師事し、虎を得意とした。昭和53年、80歳で死去した。

青木玉雲(1900-不明)
明治33年池田町池野東町生まれ。光彩会所属。玉置頼石に師事し、動物画を得意とした。

加藤玉荘(1912-不明)
大正元年揖斐郡池田町上町生まれ。名は樫夫。玉置頼石に師事し、日本動物画協会に所属していた。

堀江玉鳳(1917-不明)
大正6年岐阜市加納生まれ。玉置頼石に師事し、日本動物画協会理事を務めた。

佐久間頼峯(1920-不明)
大正9年不破郡垂井町生まれ。玉置頼石に師事し、日本動物画協会会長を務めた。

国枝佳玉(1922-1997)
大正15年揖斐郡池田町生まれ。名は文雄。玉置頼石に師事し、日本動物画協会幹事を務めた。平成9年死去。

森田玉仙(1923-1993)
大正12年揖斐川町前島生まれ。名は留男。玉置頼石に師事し、日本動物画協会理事を務めた。平成5年死去。

富田翠波(1923-不明)
大正12年不破郡垂井町生まれ。小島紫光と玉置頼石に師事した。

玉置頼山(1924-不明)
大正13年生まれ。名は保慶。玉置頼石の子。

五十川玉邦(1927-不明)
昭和2年池田町生まれ。名は義昭。鎌倉市に住んでいた。玉置頼石に師事し、動物画を得意とした。

高井康州(1927-2004)
昭和2年美濃市生まれ。名は順子。玉置頼石に師事し、光彩会に所属していた。平成16年死去。

野村玉樵(1939-不明)
昭和14年安八郡神戸町生まれ。名は数幸。玉置頼石に師事し、光彩会や日本動物画協会に所属していた。

桑原玉晃(1940-不明)
昭和15年揖斐郡池田町生まれ。名は明。玉置頼石に師事した。

原玉園(不明-不明)
揖斐郡池田町の人。名は春子。玉置頼石に師事し、日本動物画協会に所属していた。

岐阜(19)-ネット検索で出てこない画家

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