松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま佐賀県を探索中。

諸国を遊歴し多くの門人を残した堀江友声

2016-11-29 | 画人伝・島根


文献:島根の美術、島根の美術家-絵画編、島根県文化人名鑑、島根県人名事典、出雲ゆかりの芸術家たち、出雲の藩主とお抱え絵師・職人展

大原郡大東町に生まれた堀江友声(1802-1873)は、14歳の時に松江に住んでいた狩野派の竹内衡山に入門、衡山の没後は京都に出て狩野派の山本探淵に師事した。また、宋・元・明の諸名家の筆法を研究するとともに、四条派の柴田義董に私淑し画技の研鑽に励み、四条派の画風を装飾的に発展させ、独自の地位を築いた。29歳の時に海北友松の末裔・友徳に請われて養子となり、友徳に代わって海北家を継いだが、家督に関して折り合いがつかず、翌年海北家を離れた。各地を遊歴して画事に勤しみ、多くの門人を残している。

堀江友声(1802-1873)
享和2年大原郡大東町生まれ。森山勇兵衛為春の二男。長じて母方の堀江家を継いだ。幼名は森山善三郎で、のちに善之丞と改めた。字は斧厳、名は精一、初名は豊信。別号に雲峰盛伯、遷喬、豈楽斎などがある。文化12年、14歳の時に松江に住んでいた狩野派の竹内衡山に入門したが、翌年衡山が没したため、文化14年、京都に出て狩野派の山本探淵に師事した。また、宋・元・明の諸名家の筆法を研究するとともに、四条派の柴田義董に私淑して研鑽に励んだ。文政2年帰郷したのち、備後の三次、芸州広島、厳島、讃岐などを遊歴、文政3年京都に出て、文政6年には関東を目指して京都を発ち、濃州岐阜で画事に勤しんでいたとき、郷里の大東が大火に見舞われたため帰郷した。帰郷中に、出雲、伯耆の各地を遊歴、文政10年には長州萩に遊んだ。天保元年、29歳の時に、海北友松の末裔・友徳に請われて養子となり、友徳に代わって海北家の画事に従事した。この時から「友声」の画号を用いている。翌年、家督に関して折り合いがつかず、海北家を離れ、美濃、尾張を遊歴、天保3年帰郷し、出雲各地で画事に勤しんだ。嘉永4年、広瀬藩9代藩主・松平直諒のときに、広瀬藩に召抱えられた。明治6年、72歳で死去した。

堀江友節(1841-1876)
天保12年生まれ。松江藩士・上田理左衛門の子。7歳の時に堀江友声の養子となり、画を学んだ。初名は仲、のちに節と改めた。別号に九皐、得真斎がある。広瀬藩に仕え、慶応元年から江戸勤めとなった。明治9年、36歳で死去した。

堀江有声(1859-1922)
安政6年生まれ。堀江友節の長男。通称は善之丞、字は精英。別号に潜竜斎、清軒がある。祖父・友声、父・友節の教えを受け、かたわら山村勉斎に漢学を学んだ。県立師範学校を卒業して教育に従事したこともある。大正11年、64歳で死去した。

堀江和声(1887-1954)
明治20年生まれ。堀江有声の子。名は清。東京美術学校を卒業後、大正2年に広瀬町に帰って画塾を開いた。花鳥を得意とした。昭和29年、66歳で死去した。

島田英雲(1865-1930)
慶応元年能義郡広瀬町生まれ。通称は幸太郎、のちに常右衛門と改めた。堀江友声に師事した。のちに画事をやめ衣紋書を仕事とした。昭和5年、66歳で死去した。

黒田盛山(不明-不明)
出雲市今市町生まれ。堀江友声の門人。

其白(不明-不明)
姓は不明。出雲国今市の人。堀江友声の門人。

鶴原西獄(1810-1879)
文化7年大原郡大東町西阿用生まれ。医師・鶴原兵衛門の子。名は亀齢。堀江友声に学んだ。のちに京都に出て医術と画を学び、帰郷後は医術のかたわら絵筆をとった。明治12年、70歳で死去した。

小西眉山(1806-1854)
文化3年生まれ。初名は魚比呂、または魚彦、のちに眉山と改めた。神職・吉岡十二代目美濃の五男。幼いころから画を好み、堀江友声に学んだ。23歳の時から京都で3年過ごし、その後各地を旅して画技を磨いた。弘化4年に簸川郡大社町杵築の北島国造の近習となり、小西家に入籍して小西中衛と称した。安政5年、49歳で死去した。

横田鬼巌(不明-不明)
飯石郡三刀屋町の人。通称は祥介。別号に雲峯がある。堀江友声の門人。

上代栄白(不明-不明)
大原郡養賀村の人。通称は豊八郎。別号に九容斎がある。堀江友声の門人。

狩野幽谷(不明-不明)
大原郡大東町新庄の人。通称は庄十郎。堀江友声の門人。

木村青籃(不明-不明)
大原郡大東町の人。通称は忠太郎。堀江友声の門人。

佐藤壽山(不明-不明)
大原郡大東町の人。通称は市蔵。堀江友声の門人。

森山壽静(不明-不明)
大原郡大東町の人。通称は豊太郎。堀江友声の門人。

森山精玉(不明-不明)
大原郡大東町の人。堀江友声の甥。友声に師事した。

森山其声(不明-不明)
堀江友声の兄・忠蔵の長男。堀江友声の門人。松江市天神町に住んでいた。

安部掉月(1819-1851)
文政2年生まれ。通称は常四郎。別号に江濶斎がある。元は大原郡加茂町紅屋の息子だったが、のちに能義郡広瀬町布部の安部氏の養子になった。堀江友声に学んだ。嘉永4年、33歳で死去した。

清水撫玉(不明-不明)
通称は金之助。別号に皎々斎がある。片岡撫陵の門人だったが、のちに堀江友声に師事した。松江市茶町に住んでいた。

大野居巌(不明-不明)
出雲市外園町の人。通称は武一郎。堀江友声の門人。

西山松亭(不明-不明)
出雲市荻杼町の人。医師。堀江友声の門人。

鶴聲(1819-1884)
文政2年生まれ。姓は多田氏と思われる。大社町の人。堀江友声の門人。出雲神宮多田源守彦とした落款のものがある。

原田精山(1844-1910)
弘化元年能義郡広瀬町西比田生まれ。名は啓左衛門。堀江友声の門人。明治43年、67歳で死去した。

黒田椿年(不明-不明)
大原郡加茂町の人。通称は勘十郎。堀江友声の門人。

佐伯鶴友(不明-不明)
堀江友声の門人。履歴は不明。

佐伯景幽(不明-1869)
仁多郡横田町の人。通称は歓一。堀江友声の門人で、京阪地方、高野山の院内で修業した。のちに景文の門人となって画技を磨いた。安政4年法橋に叙された。明治2年死去した。

佐藤応声(不明-不明)
大原郡大東町の人。堀江友声の門人。

舟谷處節(不明-不明)
能義郡広瀬町真宗本派勝源寺の住職。堀江友声の門人。

松平玉峯(1817-1861)
広瀬藩主第九世松平直諒の画号。俳号に沾領がある。画を本多玉岡、堀江友声に学び、書は柳田適斎に学んだ。文久元年、45歳で死去した。

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