松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま島根県を探索中。

萩藩儒者・佐々木縮往と萩の初期画人

2016-10-13 | 画人伝・山口


文献:防長人物誌、防長の書画展-藩政時代から昭和前期まで

萩藩の儒者・佐々木縮往(1648-1733)は藩医の家の生まれ、経学文章を学びながら、中国明画を研究し独自の画風を確立した。儒者としてよりも画人として知られ、幕府の儒者・荻生徂徠(1666-1728)も、縮往に宛てた書簡のなかで「出来映えの素晴らしさに寝食を忘れるほど」と賞賛したという。縮往の門人、張天然(1715-1786)、井上親明(不明-不明)は師の画風を忠実に伝えており、縮往の作とされる無落款の作品も、門人による可能姓があるとされる。また、萩藩士・山県鶴江(1754-1803)は、各地を巡って諸派を学び、菅江嶺(1762-1852)、渋谷道勝(不明-1851)らの門人を育てた。

佐々木縮往(1648-1733)
慶安元年萩生まれ。萩藩儒者。藩医・佐々木道安重直の二男。通称は次郎、のちに平太夫。中国明画を研究して独自の画風を確立した。花鳥画、人物画に優れた作品が多い。儒者よりも画人として知られた。門人に張天然、井上親明がいる。享保19年、86歳で死去した。

張天然(1715-1786)
正徳5年生まれ。名は方平、通称は彦四郎、のちに半蔵。萩藩士。佐々木縮往に師事し、師の画法を忠実に守った。天明6年、72歳で死去した。

井上親明(不明-不明)
幼名は權之助、のちに彌五左衛門、さらに武兵衛と改めた。佐々木縮往に師事し、師の画風を伝えた。享保5年絵図方頭人となった。

有馬喜三太(不明-1769)
名は武春、雲谷等達に絵を習い、藩の絵図方、郡方定役となった、寛保二年萩藩主毛利宗広のために『御国廻御行程記』を作成した。明和6年、62歳で死去した。

山県鶴江(1754-1803)
宝暦4年吉敷生まれ。萩藩士。名は英、字は子粲、通称は俊平。別号に県英がある。幼いころから書画を好み、各地を巡って諸派を学び、独自の画風を確立した。書、篆刻、俳句などもよくした。享和2年、49歳で死去した。

菅江嶺(1762-1852)
宝暦12年美祢郡長田村生まれ。はじめ山県鶴江に師事し、のちに岸駒や春木南湖らに学び、諸家を統合して一家を成した。文政10年萩藩主に召し抱えられた。門人に能美鴎友、岸龍山、大野葭洲らがいる。

渋谷道勝(不明-1851)
名は章、通称は源吾。萩藩士。画を山県鶴江に学び、長南、華岳と号した。15歳で藩主斎房の近侍になった。斎房没後は武具方検使となり、上勘究役などを経て小郡宰判所務代官になった。嘉永4年、69歳で死去した。

能美鴎友(不明-1846)
名は高通、通称は源吾。初号は華山、のちに鴎友と改号した。萩藩警固方。佐波郡三田尻に住んでいた。菅江嶺に師事し、花鳥図、特に鷹を得意とした。弘化3年死去した。

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