松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま鳥取県を探索中。

尾張の復古大和絵派、森村稲とその門人

2015-02-10 | 画人伝・尾張

文献:愛知画家名鑑

尾張の復古大和絵派は、祖とされる田中訥言、それを受け継いだ渡辺清、森高雅、さらに日比野白圭、木村金秋らに続き、森村稲とその門人たちによって引き継がれた。

森村稲(1871-1938)は、名古屋梅園町に生まれ、木村雲渓に四条派を学んだのち、日比野白圭、木村金秋に師事して大和絵を修め、歴史画、花鳥風景に独自の画境を拓いた。「稲香画塾」を主宰し、多くの門人を育てるとともに、古典絵画研究に取り組み、田中訥言にはじまる復古大和絵派を世に紹介した。門人には小寺稲泉、森村紫峰、喜多村麦子、森村宜永、堀尾実らがいる。

服部芳泉
明治8年6月海部郡津島生まれ。名は経太郎、字は子徳。森村稲に師事して土佐派の画法を極め、人物、花鳥を得意とした。明治44年の名古屋勧業博覧会にを出品して褒状を受けたほか、諸展で受賞した。生地の海部郡津島に住んで画を業とした。

前田香陵
明治13年生まれ。はじめ香蘭に学び、のちに森村稲に師事して土佐派の画法を修めた。明治43年の新古美術展にを出品した。名古屋市中区御器所町北山町に住み画を業とした。

小寺稲泉
明治16年名古屋葛町生まれ。別号に公僊がある。森村稲に師事して土佐派の画法を修めた。のちに中区御器所町小針に住んだ。日本美術協会展などで受賞した。昭和20年6月5日、63歳で死去した。

岩田昇斎
明治16年生まれ。はじめ森村稲に土佐派を学び、のちに織田杏斎、毛受昇堂に学んだ。

森村紫峰
明治21年7月名古屋生まれ。名古屋伊藤家の出。名は田鶴子。別号に峯光がある。はじめ酒井道一について光琳風の画を学び、森村稲と結婚して、稲に土佐派の画法を学んだ。戦後、「稲光画塾」を主宰し駐留軍夫人に日本画の手ほどきをするなど文化交流にも尽くした。昭和31年2月、68歳で死去した。

赤堀禅稲
明治24年丹羽郡野寄村生まれ。9歳の時に桂林寺一四世森川師に得度、のちに曹洞宗大本山永平寺に修行、森村稲に土佐派を学んだ。甲府市外富士見村少林寺住職を経て、昭和17年に桂林寺住職となった。画は流派にとらわれず、歴史、美人、仏画を描き、永平寺高祖大師七百年忌に三間四面の永平寺全図を四年半の歳月をかけて描いた。昭和39年1月、73歳で死去した。

臼井応真
明治25年名古屋市生まれ。はじめ森村稲に学び、のちに京都で竹内栖鳳に師事した。名古屋在住の京都系新派として活躍した。

三輪千稲
明治29年生まれ。森村稲に師事して土佐派を学んだ。市美術展・愛知社展に出品した。

小田切春光
明治32年名古屋市生まれ。別号に春峰、春江がある。森村稲に師事して土佐派を学び、春峰と号した。

喜多村麦子
明治32年4月名古屋市生まれ。名は林吉、旧姓は内藤。18歳のころ森村稲の稲香画塾にはいり薫陶を受けた。大正9年に京都絵画専門学校別科に入学。京都時代には土田麦僊、福田平八郎に師事した。京都画壇の新潮流だった国画創作協会の影響を受けた作品を作成した。名古屋に戻り、大正13年には日本画界の革新を求め、朝見香城や渡辺幾春らと中京美術院を創設した。昭和61年、87歳で死去した。

福岡稲城
明治32年名古屋市生まれ。森村稲に師事して土佐派を学び、ついで小堀鞆音、松岡映丘について歴史・人物画を学んだ。第9回帝展に入選、のちに東京豊島区宮仲町に移ったが、戦後は名古屋に帰った。

和田比左夫
明治36年生まれ。はじめ森村稲に学び、のちに横山葩生の主宰する青樹社同人となった。風景を得意とし、戦後、日本美術院に出品して院友となった。

森村宜永
明治38年6月生まれ。名は永、通称は行雄。別号に稲門がある。森村稲の子。東京美術学校卒業後、東京都文京区根津に住み、松岡映丘に師事して歴史・人物画を修めたが、山水を得意とした。第10回帝展に初入選し、15回展まで連続入選、新文展にも2回入選している。戦後は東京と名古屋の間を往来し、東京の「稲香会」と名古屋の「稲光画塾」を主宰して門下生を育てた。日展に10回入選、日本美術協会総裁賞を受賞した。また、日本画院を創設した。文化庁の依頼で現状模写など古典美術品の保存伝承にも活躍した。昭和63年5月、83歳で死去した。

堀尾実
明治43年名古屋市生まれ。13歳の時に森村稲に師事し土佐派の技法を学んだ。昭和5年京都絵画専門学校に進み、9年卒業後上京、15年福田豊四郎、吉岡堅二らの新美術人協会に出品、24年には日本アヴァンギャルド美術クラブの会員となった。また翌年には美術文化協会日本画部の会員として参加するが、同29年に退会。以後は匹亜会などのグループ展や読売アンデパンダン展に参加し、従来の日本画の枠を超える制作をめざし意欲的な作品を出品した。昭和48年、63歳で死去した。

尾張(14)-ネット検索で出てこない画家

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