松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま佐賀県を探索中。

崋椿系が根付く前の東三河画壇(2)

2014-11-11 | 画人伝・東三河

文献:東三画人伝とよかわの美術家たち

星野田斉
関東地方の出身で、文久、慶応の頃に吉田に足を止め、本町の金子家に長く滞在した。別号に天福道人ある。鉄筆画を得意とした。

土井平所
御油の問屋役で、通称は竹屋権四郎、別号に蒲碧堂、蘭竹草堂がある。

榊原翠塘
湊町の表具屋で、名は孫兵衛。石峰門下で、表具屋の傍ら彫刻をよくした。湊町神明社の二尊の大額、悟真寺専称軒の涅槃像が代表作である。明治3年、62歳で死去した。

了覚
札木本陣・山田新右衛門の子。仁連木の臨済寺で得度し、僧籍に入った。豊橋市中八町神明社の掛額一面は了覚の筆といわれる。

佐藤梅鄰
船町の佐藤新兵衛大寛の子。佐藤新兵衛を襲名、のちに孫平とした。名は維淳、字は伯還。幼い頃から石峰について学んだ。のちに志をたて、京都の鈴木南領の門に入る。さらに岡本豊彦に師事し、四條派の画をよくした。茶道は堀田宗完に学び、豊彦の門にいた頃には、原田圭岳、柴田是真と特に親交があった。文政の頃、家政を継ぐが、終生画を描き、多くの遺墨を残している。明治6年、69歳で死去した。

夏目周岳
上伝馬町の表具師・夏目三之助の弟で、通称は重八。名古屋の渡辺清について土佐派を学び、和歌、俳句もよくした。明治8年、68歳で死去した。

山田永豊
吉田藩のお抱え絵師・山田洞雪の孫で、香雪の子。字は修、別号に秋錦堂がある。父・香雪が早逝し、9歳で家を継いだ。画筆をもって藩に仕える家柄のため、幼い頃から佐竹永海について画を学んだが、成年した頃に明治維新の廃藩のため祿を失い、画業も完成の域に達したとはいえない。明治17年11月、36歳で死去した。

内藤飛雪
豊橋上伝馬町の笹屋という金物屋で、名は源蔵。本町の大問屋で勢力のあった九文字屋源兵衛の実弟。で知られる夏目可敬の家を株付で買って別家とした。俳人・佐野蓬宇の高弟で、俳画もよくした。明治の初めに隣地に家を新築し、鋒々舎と称して、新刊書籍の販売と新聞の配達を創始した。明治19年死去。

山田太古
札木町本陣江戸屋の主人で、名は新一郎。篆刻を得意とし、墨画もよくした。明治21年、41歳で死去した。

東三河(4)-ネット検索で出てこない画家

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