松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま佐賀県を探索中。

備中から移り住み画塾を開いた塩田銕香と出雲の門人

2016-12-16 | 画人伝・島根


文献:出雲ゆかりの芸術家たち、島根の美術家-絵画編、島根県文化人名鑑、島根県人名事典

備中(岡山県)に生まれた塩田銕香(1850-1889)は、26歳の時に出雲を訪れて以来、この地に住み、画塾を開いて画技の指導をした。このため出雲市近辺では絵画に対する眼識を開いた人が多くなったといわれる。また、明治11年に出雲に逗留していた田能村直入に入門して南画を習得した。門人には大津の板倉米頓、高松の増原松湖、平田の伊藤鴎外、大社の北逸斎らがいる。

塩田銕香(1850-1889)
嘉永3年備中生まれ。塩田荘吉の子。名は瓊、字は楳郷。別号に梅郷がある。石川晃山、守山湘帆に学び、花鳥山水を得意とした。明治8年、26歳の時に簸川郡大津村に遊歴して、門人・板倉米頓家の裏に住み、制作に励むかたわら、画塾を開き地元の人たちに画を教えた。また、明治11年頃に下古志村神田に逗留していた田能村直入に入門し南画を習得した。第2回内国絵画共進会で褒賞を受けたのをはじめ、各地の共進会で受賞した。明治22年、40歳で死去した。

中村銕曹(1841-不明)
天保12年生まれ。塩田銕香に師事した。

田部香雲(1854-1930)
安政元年出雲市大津町生まれ。通称は種次郎。山田勝之助の二男で、飯石郡田部長右衛門の分家に婿として入ったが、のちに大津町に戻った。塩田銕香の高弟とされる。別号に鉄操、田美、遙碧楼主人、白梨紅榴園主人、梨雪があり、晩年には南嶺と改めた。昭和5年、77歳で死去した。

伊藤鴎外(1857-不明)
安政4年生まれ。平田の人。通称は猪一郎。塩田銕香に師事した。

松本芝巌(1865-1920)
慶応元年平田町本町生まれ。通称は善次郎。別号に鬼村外史がある。塩田銕香に学び花鳥を得意とした。明治天皇の銀婚式の際に桐樹に菊花と瑞雲を描いて献上した。四条派的色彩をよく取り入れ、花鳥を得意とした。清貧にあまんじ芸道三昧の生活を送ったという。昭和5年、56歳で死去した。

北逸斎(不明-1887)
簸川郡大社町字流れ下の医師。塩田銕香に師事し、花鳥山水の着色画を描いた。明治20年頃死去した。

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