松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま鳥取県を探索中。

制作と理論の両面で抽象絵画の可能姓を追及した長谷川三郎

2016-11-08 | 画人伝・山口


文献:山口県の美術近代洋画・中四国の画家たち展

下関に生まれ早い時期に神戸に移り住んだ長谷川三郎(1906-1957)は、東京帝国大学美術史学科卒業後にアメリカ、ヨーロッパを遊学、帰国して本格的な画家活動を開始するとともに、美術雑誌に画論や評論文を発表、制作と理論の両面でいち早く抽象絵画の可能姓を追及した。また、戦前の前衛芸術の一翼を担った二科会の前衛グループ「九室会」で活動した桂ゆき(1913-1991)は、東京生まれだが、父親は下関出身の学者で、昭和55年に山口県立美術館で「桂ゆき展」を開催、平成3年の没年には下関市立美術館で回顧展が催された。

長谷川三郎(1906-1957)
明治39年下関市生まれ。明治43年、三井物産門司支店に勤めていた父・銈五郎の転勤にともない一家は神戸に移り、さらに大正7年には芦屋市に転居した。18歳の時に大阪信濃洋画研究所に通い、小出楢重に師事した。同研究所では、仲間と「白象会」を作り、批評会を開き、文集を発行、中央美術展などに出品した。東京帝国大学文学部美学美術史学科在学中にも白象会の活動を続け、卒業論文は「雪舟研究」をテーマとした。卒業後は、アメリカ、ヨーロッパを3年間遊学し、昭和7年に帰国、同年二科展に初入選し、翌年には滞欧作品による個展を開催するなど本格的な画家活動を開始、同時に美術雑誌に画論や評論文を発表した。昭和9年、村井正誠、山口薫らと「新時代洋画展」を結成、昭和12年にはそのメンバーを中心として自由美術協会を創立し、制作と理論の両面で現代美術の先導者の一人として活躍した。戦争末期には東洋の古典の研究に専心、禅や老荘思想を根幹にした抽象的精神性をフロッタージュや墨象で表現した。それはアメリカの戦後美術の一局面とも一致し、昭和28年、47歳の時にニューヨークで個展を開催、同年、アメリカ抽象美術家協会から展覧会参加の招請を受け、山口長男、村井正誠、吉原治良らと「日本アブストラクト・アート・クラブ」を設立、日米両国で活躍した。昭和32年、サンフランシスコにおいて51歳で死去した。

桂ゆき(1913-1991)
大正2年東京生まれ。本名は雪子。下関出身の冶金学者・桂弁三の五女。池上秀畝に日本画を学び、のちに中村研一、岡田三郎助に師事、アヴァンギャルド洋画研究所でも学んだ。二科会では、同会員による前衛グループ「九室会」の結成に吉原治良、山口長男らとともに参加、女流画家協会設立にも参加した。戦前から紙やコルクを用いた実験的な作品を制作し、前衛美術運動の中心的画家の一人として活躍した。平成3年、77歳で死去した。

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