松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま福岡県を探索中。

阿波の儒者・赤松藍州と藤井藍田

2015-11-07 | 画人伝・阿波

文献:阿波画人名鑑 

阿波の儒者・赤松藍州(1787-1858)は京都で頼山陽の父・春水に儒学を、画を中井藍江に学び、阿波に戻って多くの門人を育てた。また、尊攘派の儒者・藤井藍田(1816-1865)は、書を八木巽所に、漢籍を広瀬淡窓に、画を中井藍江と田能村竹田に学んだ。藍田は勤王の志士として吉田松陰らと交わり幕府からの追捕を逃れて帰郷していた際、徳島、撫養などで門弟を教えている。

赤松藍州(1787-1858)
天明7年生まれ。本姓は太田。通称は需三郎、名は関、字は了亨。別号に含垢子がある。儒者・赤松鳩峰の門人。鳩峰の養子となった。のちに鳩峰が姓を小寺と改めたため藍州も小寺を名乗った。頼春水に5年間学び、鳩峰について徳島富田から板野郡奥野に移り多くの門人を育てた。麻植郡児島の大島家が郷土人の教育のため学舎を開いた時に招かれてその師となった。のちに招かれて撫養に移った。南画を中井藍江に学び、山水花鳥にすぐれていた。安政5年、72歳で死去した。

小寺芦屋(1827-1870)
文政10年生まれ。赤松藍州の子。名は貫、字は子道、通称は貫一郎。京都に出て貫名海屋に師事、また山本梅逸にも画を学んだ。儒者としても門人が多い。明治3年、44歳で死去した。

大島梅隠(1825-1892)
文政8年生まれ。麻植郡児島の人。名は辰、字は拱之、通称は嘉兵衛。天保年間に大島家が赤松藍州を招いて塾舎を開いた時に藍州に画を学んだ。後藤田南渓に師事し、のちに南渓と共に京都の山本梅逸につき10年学んだ。書画骨董の収集が多い。中国、九州を歴遊し五岳、石田とも交友した。柴秋邨、渡辺桂城、林玄庵、小川守黒らとも親交があった。古画の鑑定にすぐれ、廃藩の時に藩命で藩所蔵の書画の鑑識にあたったという。明治25年、68歳で死去した。

豊原南塘(不明-不明)
板野郡南浜の人。名は謙太郎。父は菊蔵。安政2年より2年間、赤松藍州に学び、のちの9年間、後藤田南渓に学んだ。明治17年の内国絵画共進会に出品した。

三木菁里(1832-1861)
天保3年生まれ。幼名は宗太郎、のちに正貢。字は子親。別号に藍廬、森斎、幹斎、芳桂などがある。赤松藍州に学び、のちに小寺芦屋に学んだ。板野郡松茂の三木家三代。文久元年、30歳で死去した。

古藤半仙(1834-1892)
天保5年生まれ。撫養黒崎の人。通称は江戸屋伝五郎。酒醸業。赤松藍州に師事し、山水、四君子を得意とした。藤井藍田、重春塘らと交友した。明治25年、59歳で死去した。

西暢実(1840-1906)
天保11年生まれ。撫養町斎田西福寺の僧。梅屋と号した。晩年には梅翁、または楳翁と号した。父は瑞音。嘉永2年より5年間赤松藍州について学んだ。明治39年、69歳で死去した。

井後楳雪(1837-1907)
天保8年生まれ。阿波郡香美の人。名は哲五郎。佐藤家に生まれたが、井後道五郎の養子となった。学を佐藤香雪、阿部椋亭、柴秋邨に、画を赤松藍州、後藤田南渓に学んだ。子に新野楳窓、矢部楳斎、加藤楳村がいる。剣道も得意だった。明治40年、71歳で死去した。

新野楳窓(1877-1945)
明治10年生まれ。井後楳雪の子。阿波郡柿原の井後家に生まれ、板野郡板野町の新野家を継いだ。昭和20年、69歳で死去した。

矢部楳斎(1880-1963)
明治13年生まれ。名は祐信。井後楳雪の子。父について書、画、詩を学んだ。のちに土成の矢部家を継いだ。農を業とした。昭和38年、84歳で死去した。

森対石(1848-1919)
嘉永元年生まれ。名は忠次郎、はじめ円石と号した。撫養町南浜の人。父は吉三郎。万延元年より4年間赤松藍州に学んだ。明治17年の内国絵画共進会に出品した。元来豪農の家だったが、財産をすべて画のためにつかってしまったという。大正8年、72歳で死去した。

藤井藍田(1816-1865)
文政13年大坂生まれ。名は徳、通称は平輔、卯右衛門、平左衛門。幼名は平三郎、字は伯恭。別号に独鶴、鸞鈿子、玉生堂主人、梅軒などがある。麻植郡牛島の人・藤井卯右衛門の子。南画を中井藍江、田能村竹田に、書を八木巽所、漢籍を広瀬淡窓に学んだ。安政の頃、勤王の志士として吉田松陰らと交わり幕府からの追捕を逃れて帰郷、牛島の西覚寺に一時滞在した。また、徳島、撫養などにも滞在し門弟を教えている。柴秋邨、新居水竹、橋本晩翠らとも交友があった。慶応元年大坂に帰り、佐幕の浪士に襲われ西奉行の獄中で50歳で死去した。

四宮藍園(1850-1926)
嘉永3年生まれ。名は竜蔵。板野郡木津の人。四宮幸吉の長男。藤井藍田に学んだ。大阪、淡路、讃岐、岡山、豊後、福岡、長崎などを遊歴、家で漢字の塾を開いた。明治17年の内国絵画共進会に出品した。大正15年、77歳で死去した。

四宮藍英(1852-1912)
嘉永5年生まれ。名は栄。板野郡木津の人。四宮幸吉の二男。藤井藍田に学んだ。京阪、伊勢、紀州、淡路、伊予、讃岐、安芸、岡山などを遊歴した。明治17年の内国絵画共進会に出品した。明治45年、61歳で死去した。

阿波(10)-ネット検索で出てこない画家

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