松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま福岡県を探索中。

ひきこもりの美学

2014-02-05 | 画家外伝

美術家調査の文献に村上護『阿佐ヶ谷文士村』を追加しました。
→『阿佐ヶ谷文士村

 

関東大震災後の阿佐ヶ谷界隈には、安いアパートが立ち並び、多くの若い文士たちが住んでいました。その住民たちは錚々たるメンバーで、本書では「この界隈に住んだ文士たちが、昭和に入って、文壇のイニシアチブを常に取りつづけている」と記しています。

そんな中でも古くからこの地に住み、中心的な存在であったのが井伏鱒二(1898-1993)と青柳瑞穂(1899-1971)で、文士たちは二人を中心に将棋をさし、酒を飲み、少なからぬ向上心を燃やしていました。

詩人の青柳瑞穂は骨董品蒐集家でもあり、尾形光琳の唯一の肖像画といわれる「中村内蔵助像」を古道具屋で見つけ出したことでも知られ、この絵はその後、重要文化財に指定され、現在は大和文華館に収蔵されています。

青柳瑞穂の骨董に対する思いは熱く、気に入った骨董を見つけるとそれを幾日も眺め続けるために、せっかく軌道に乗っていた翻訳の仕事も滞りがちだったといいます。

また、こんなエピソードもあります。

たまたま北海道に旅をすることになったので、青柳は旅の途中でも楽しめるように茶碗を二つ持っていきました。しかし、阿佐ヶ谷の家ではあれほど精彩を放っていた茶碗が、北海道では、ちっぽけで、ひねこびて、取るにたらないものに見えたそうです。このことで、青柳は改めて阿佐ヶ谷のわが家にこもって骨董を鑑賞することの楽しさを発見したそうです。

つまり、ちっぽけで、ひねこびて、取るにたらないものに見えた茶碗を嫌うのではなく、そう見せた大自然を否定したわけです。その考えはまさに「ひきこもりの美学」そのものであります。

そんな文士たちが熱烈に過ごした阿佐ヶ谷界隈ですが、多くの文士たちが貸家住まいで引越しも頻繁だったため、現在では住居跡などその面影はないものの、若いクリエーターたちが好んで住み、夕方ともなれば小さな路地が酔客で大賑わいを見せています。おそらく熱や狂気を持った文士たちの向上心が連綿としてこの地に留まり、この街の活気を導いているのでしょう。

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