松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま佐賀県を探索中。

茨城(10)-ネット検索で出てこない画家

2014-07-29 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

三好元一 みよし・げんいち
寛政5年生まれ。水戸藩士。幼名は徳太郎。公務の余暇に画を酒井抱一の門に学び、のちに尾形光琳派の花鳥を研究した。天保14年、51歳で死去した。

三浦呉舟 みうら・ごしゅう
水戸の人。早くから江戸に出て椿椿山に学び、花鳥をよくした。慶応年中頃死去。

三輪雪溪 みわ・せっけい
下館藩士。名は才次郎。竹内南圭に学び、花鳥をよくした。明治初年頃死去。

三宅拈華 みやけ・ねいか
龍ヶ崎の人。はじめ蘭台と号し、のちに拈華とした。渡辺小華の門人で花鳥を得意とした。龍ヶ崎から江戸崎あたりに作品が残っている。昭和2年死去。

皆川晩霞 みながわ・ばんか
明治25年生まれ。茨城の人。名は麓。田崎草雲に南宗画を学んだ。

村岡岳民 むらおか・がくみん
水戸の人。名は粛。萩谷☆喬(☆は「僊」からにんべんをとる)の弟で、村岡氏の養子となる。画を兄に学び、花鳥人物を得意とした。じ

森三樹 もり・さんじゅ
新治郡石岡町の人。名は昭治。山水を得意とした。明治初年に官吏となり、青森県で明治43年頃死去した。

山田遷民 やまだ・せんみん
水戸宮下の人。通称は政之助。萩谷☆喬(☆は「僊」からにんべんをとる)の門人で、花鳥人物を得意とした。明治初年頃死去。

谷島関水 やじま・かんすい
真壁郡養蚕村成田の人。菊池江外の門人。山水を得意とした。明治22年死去。

山田芝遷 やまだ・しせん
明治年間の水戸の人。名は忠文。早くから東京に出て小坂芝田の門に入り南画を学んだ。

横田一峰 よこた・いっぽう
明治14年生まれ。名は佐雄。医師を志して上京するが、医師にならずに画家となり、帰郷して画家に専念した。昭和10年死去。

横山秀暉 よこやま・しゅうき
明治33年生まれ。石塚町の人。名は徳之介。五島耕畝に師事して花鳥を学び、各地の寺院を訪ね寺院装飾を研究、文部省の嘱託をうけ社寺装飾を業とし、春衛と改めた。戦後郷里に帰り仕事を続けた。昭和55年、81歳で死去した。

六左衛門 ろくざえもん
永正元年生まれ。常陸国に住み、兄雪村の法を学んだ。

渡辺雲溪 わたなべ・うんけい
水戸の人。名は進、通称は咲兵衛。松平雪山の門人で山水を得意とした。明治初年頃死去。

亘遷幽 わたり・せんゆう
文化7年生まれ。那珂郡大宮町若林の人。名は僖左衛門。萩谷☆喬(☆は「僊」からにんべんをとる)の門人。絵の傍ら検地の仕事もした。明治10年、68歳で死去した。

茨城(10)-ネット検索で出てこない画家


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茨城(9)-ネット検索で出てこない画家

2014-07-23 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

道口雪窓 どうぐち・せっそう
水戸の人。名は貞徳。立原杏所に学び、のちに松平雪山の門人となる。杏所の偽筆をよくしたといわれる。元治元年死去。

成田益親 なりた・ますちか
名は小次郎。石岡の総社三十六歌仙の裏書に揮毫がしてある。

中村文彬 なかむら・ぶんぴん
水戸市下青物町の人。名は淑徳、通称は与一左衛門。谷文晁に学び、花鳥をよくした。天明の中頃死去。

中村竹圃 なかむら・ちくほ
天保12年生まれ。新治郡土浦の人。名は邦敬。福島柳圃に学び、花鳥山水を得意とした。明治初年頃死去。

中山蘭花 なかやま・らんか
猿島郡岩井町の人。名は盛元。漢籍に通じて詩書をよくした。文人画を描き、四君子を得意とした。明治初年頃死去。

成毛金江 なるけ・きんこう
稲敷郡金江津村の人。名は貞一、丹治ともいった。鯉魚を得意とした。明治6年死去。

生井沢霞洲 なまいざわ・かしゅう
天保元年生まれ。水戸藩御用絵師。常州土浦の人。名は也。狩野永真に学び、山水花鳥を得意とした。明治15年死去。

新堀玄道 にいぼり・げんぞう
号は翠山。北宗画、花鳥草花を得意とした。明治15年第1回内国絵画共進会に出品している。

檜垣素袋 ひがき・そたい
享保元年生まれ。常州鹿島の人。通称は庄右衛門。狩野永真安信の門人。享保20年頃死去。

檜山淡斎 ひやま・たんさい
那珂郡戸田村の人。狩野派を習得して江戸に出て活躍したが詳細は不明。天保13年死去。

平野文蔚 ひらの・ぶんい
水戸市下市の人。名は幸一、別号に暢谷がある。松平雪山の門人で、花鳥を得意とした。

平山文麗 ひらやま・ぶんれい
明治22年生まれ。名は権五郎、叔父の奥村老圃に学び、東京美術学校卒業後、横山大観が五浦に移住した際に入門して文麗と号した。中年より秩父織物会社の図案を描いた。昭和17年、54歳で死去した。

本田正貫 ほんだ・せいかん
駿河の人。名は正憲、号は雲林。画を僧鉄翁に学ぶ。山水3点を第1回内国絵画共進会に出品している。

明中 みんちゅう
常陸水戸の僧。名は如寿。書画をよくした。

茨城(9)-ネット検索で出てこない画家


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茨城(8)-ネット検索で出てこない画家

2014-07-16 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

高野天民 たかの・てんみん
明治27年生まれ。名は秀夫、別号に恒山、玉州がある。上京して滝和亭につき南画を学び、のちに古沢雪田の門人となった。郡司硯田は天民の高弟。昭和57年、89歳で死去した。

竹内柳蛙 たけうち・りゅうあ
猿島郡境町の人。名は茂。河鍋暁斎の画風を慕い、門人の真野亭に学んだ。

力石遷交 ちからいし・せんこう
水戸藩士。通称は勘五郎。花鳥人物をよくした。

辻玄順 つじ・げんじゅん
享和3年生まれ。名は安正、号は湖堂。土浦藩医の家に生まれ、紀州和歌山藩医・華岡青州の門に学び、抜擢されて塾頭になった。明治13年、78歳で死去した。

塚本万之助 つかもと・まんのすけ
現河内村平川の人。号は萍川知新。鈴木鵞古に学び、東山、北陸を周遊した。小野蓬善寺に作品が残っている。大正14年頃死去。

塚本雪湖 つかもと・せつこ
明治3年生まれ。東茨城郡稲荷村の人。名は亮、通称は亥之次郎。松平雪江に学び、のちに高久隆古を慕い、人物画をよくした。昭和8年、64歳で死去した。

坪井上之丞 つぼい・うえのじょう
明治22年生まれ。岩瀬町本郷の人。若年より絵を好み、玉水と称した。中年に至って木村武山に師事し、号をム一とした。俳人でもあり翠泉と号した。昭和50年、87歳で死去した。

寺山静峰 てらやま・せいほう
那珂郡戸田村の人。明治・大正期の四条派の画家で《軍鶏と芭蕉》などの作品が残っている。

等本 とうほん
永正年間の常陸国出身の画僧。画法は雪舟、周文の流れをくみ、花鳥をよくした。作品は扇面が多く、関東・東北地方にみられる。

富田呉舟 とみた・ごしゅう
水戸の人。松平雪山の門人。花鳥を得意とした。

戸祭友古 とまつり・りゅうこ
文政11年生まれ。名は為之介。椿椿山の門人で花鳥をよくした。また人見淇堂について画法を研究した。明治2年、42歳で死去した。

豊田笠州 とよだ・りゅうしゅう
明治7年生まれ。水戸市馬口労町の人。別号に静観などがある。はじめ松平雪江に学び、のちに上京して松本楓湖に師事した。

富永雪旦 とみなが・せったん
明治9年生まれ。名は榮松。はじめ松平雪江に学び、上京して望月玉泉に師事した。明治44年第6回美術展覧会に《西山穏栖》を出品。大正2年、38歳で死去した。

茨城(8)-ネット検索で出てこない画家


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茨城(7)-ネット検索で出てこない画家

2014-07-03 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

田原南塘 たはら・なんとう
安永6生まれ。江戸の人、鶴沢探索に学び、水戸在の勝僮寺住職に請われ仏画を描いた。円山応挙の師匠といわれる。水戸谷中の桂岸寺にも関係があり、太田屋与衛門の知遇を得て与衛門に伴われて京畿南海を遍歴した。文政7年、49歳で死去した。

竹田治右衛門 たけだ・じうえもん
龍ヶ崎の人。号は楽山。

竹山南圭 たけやま・なんけい
下館の人。名は伝。谷文晁の門人。花鳥人物をよくした。安政元年頃死去。

高野雪塘 たかの・せつとう
水戸市下市の人。林十江の従弟。松平雪山の門人。花鳥をよくした。明治初年頃死去。

高橋月庵 たかはし・げつあん
水戸の人。名は明。別号に月湾がある。春木南溟の門人。山水をよくした。

田所静山 たどころ・せいざん
天保3年生まれ。常陸太田の人。名は秀次市郎。田所静年の子、画を父に学んだ。太田近在で屏風などの作品がみらえる。明治2年、38歳で死去した。

武弓其年 たけきう・きねん
文化11年生まれ。現常陸太田市の人。名は義生。画を宇佐美太奇に学び、山水をよくした。通称「紋其」と称し家紋の師匠もした。明治26年、80歳で死去した。

竹内隆節 たけうち・りゅうせつ
天保3年生まれ。久慈郡世矢村の人。名は誠。野沢白華に師事し、医業のかたわら書画をよくした。江戸末期の検地や年貢の収納などの仕事もした。明治26年、62歳で死去した。

武石鴎崖 たけいし・おうがい
天保3年生まれ。水戸市十軒町の人。名は清。別号に李陽外史がある。水戸藩に仕え、松平雪山に学んだ。明治42年、78歳で死去した。

多田晴圃 ただ・せいほ
天保6年生まれ。名は彦兵衛。福島柳圃の門人。作品は県内の醤油醸造業者宅に残っている。

武石耕崖 たけいし・こうがい
明治4年生まれ。水戸市十軒町の人。名は胤昌。武石鴎崖の子。信越地方を遊歴し、新潟に7年留まったのちに、父の死後帰郷した。大正2年、42歳で死去した。

武石恵所 たけいし・けいしょ
水戸の人。武石耕崖の弟、武石鴎崖の子。東京に出て水野年方の門に入り、浮世絵を学んで水戸に帰り、父に花鳥を学んだ。

高島靄湖 たかしま・あいこ
明治元年生まれ。名は雪松。はじめ松本楓湖に人物画を学び、のちに京都で今尾景年の門人になった。さらに中国の元明南北両派を研究し、花鳥人物をよくした

高橋華屋 たかはし・かおく
水戸市谷中の人。名は於免。早くから東京に出て渡辺小華の門に入り、花鳥を得意とした。

茨城(7)-ネット検索で出てこない画家


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茨城(6)-ネット検索で出てこない画家

2014-06-27 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

在顔 ざいがん
元亀年間頃の人。常州真壁城主右衛門佐平宗幹の子。真壁氏の菩提寺である真言宗遍照院光明寺の住職。教学のほか兵略にも通じ、画もよくした。

性安 しゃうあん
常陸国太田村溝山寺(または耕山寺)の住職。画法を祥啓に学び、梅庵と号した。山水花鳥をよくした。明応年間、82歳で死去した。

春休 しゅんきゅう
常陸水戸の人。天正年間の人。

周黙 しゅうもく
常陸の人。文政年間の人。江戸芝山内に住んでいた。桜井雪館の門人。

島村庭暉 しまむら・ていき
水戸藩士。名は伝、号は南圭。画を内藤右膳(鳳翔)に学び、山水をよくした。安政年間に死去。

下野雪篁 しもの・せんこう
文政6年生まれ。名は遠明、通称は隼次郎。水戸藩士下野遠歴の子。金子教孝の娘婿。慶応元年、43歳で死去した。

下野九峰 しもの・きゅうほう
水戸藩士。名は仁。下野雪篁の子。画を父に学び、のちに松平雪山についた。花鳥を得意とした。

鈴木助三郎 すずき・すけさぶろう
寛政年間の人。水戸藩士桜井才治郎の門人で、桜井雪館と同門。

鈴木東海 すずき・とうかい
享保5年生まれ。名は宝鼎。桜井雪館に師事し、花鳥人物を得意とした。幼少より画を学び、故あって僧となり、奥州、長崎を遍歴し、70歳で水戸祇園寺の住職となった。特に河豚の絵を得意とし、「東海の河豚」として珍重された。享和2年、83歳で死去した。

鈴木素陵 すずき・そりょう
龍ヶ崎砂町の人。江戸に出て狩野素川、章信に師事し法眼となる。仙台侯の求めにより《関ヶ原陣営図》を描いた。嘉永2年死去。

鈴木文鴎 すずき・ぶんおう
文政6年生まれ。水戸市五軒町の人。名は文次郎。宇佐美太奇の門人。元治元年、42歳で死去した。

鈴木萬悦 すずき・まんえつ
水戸家の御絵師見習で、山内勝春の門人。明治初年頃死去。

鈴木東洋 すずき・とうよう
水戸市久保町の人。名は任。椿椿山の門人。明治初年頃死去。

杉浦溟一 すぎうら・めいいち
水戸の人。名は熈。江戸に出て春木南溟に学び、南画山水を得意とした。明治初年頃死去。

茨城(6)-ネット検索で出てこない画家


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茨城(5)-ネット検索で出てこない画家

2014-06-25 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

後藤夕山 ごとう・せきざん
水戸市下市肴町の人。名は壬介。松平雪山の門人。明治初年頃死去。

五藤自適 ごとう・じてき
天保10年生まれ。水戸仲町の人。名は近知。東照宮の神官、茨城県庁の知事官房に勤務していた。書をよくし、義烈館の太鼓の書は自適の作だとされる。画は松平雪山に学び、四君子を得意とした。大正2年、75歳で死去した。

佐々重晁 ささ・じゅうちょう
寛政5年生まれ。水戸藩の儒者。西村氏、字は明侯、別号に了斎がある。弘化3年、54歳で死去した。

佐藤松溪 さとう・しょうけい
文化8年生まれ。名は延昌、字は中卿、通称は量平。青山雲龍の子で佐藤中陵の養子となった。天保9年水戸藩に仕え、書画もよしくた。著書に『皇朝書画譜』『楷書類聚』『點画奇賞』『武器図説』『松溪文集』などがある。嘉永6年、43歳で死去した。

佐野盛致 さの・もりむね
水戸の人。松平雪山の門人。四君子と得意とした。藩主徳川斉昭の命により作成された《追鳥狩絵巻十八軸》を加藤雪潭とともに描いた。明治初年頃死去。

酒井藍山 さかい・あいざん
後藤文琳の子で酒井家を継いだ。画は父に学び山水を得意とした。明治初年頃死去。

坂場奇一 さかば・きいち
水戸市蓮池町の人。名は時成、通称が奇一で号は荷亭。松平雪山の門人で花鳥山水をよくした。明治初年頃死去。

酒巻于宜 さかまき・とくぎ
水戸市紺屋町の人。明治期の画家。はじめ一柳友善を師とし、のちに立原杏所の門人となる。人物画を得意とした。

斎藤無岳 さいとう・むがく
新治郡中家村の人。明治期の画家。名は伝。早くから東京に出て菊池容斎の門人となり歴史画を学んだ。

坂田鴎谷 さかた・おうこく
新潟蒲生郡鹿久間生まれ。名は愛、字は世誨、通称は亮八。別号に鹿園がある。奥原晴湖と特に親交があり、鈴木鵞古や介庵らとともに江戸で「下谷文人画家」を結成。《雲畑供養》の画帳の中に晴湖とともに山水画を描いている。明治14年死去。

桜井武彦 さくらい・たけひこ
嘉永5年生まれ。西茨城郡石井村の人。号桂山。幼い頃から画を好んでいたが家が貧しくて師につくことができず、独学で研究した。

桜井華水 さくらい・かすい
笠間の人。名は憲。桜井華陵の子。茨城師範を明治44年に卒業、教鞭をとった。水彩画を得意とした。

笹沼竹風 ささぬま・ちくふう
明治36年生まれ。西茨城郡笠間大字石井の人。別号に青波、静波。晩年は明峯と号した。大正8年松本楓湖の門人となり、楓湖没後は木村武山に師事した。昭和56年、79歳で死去した。

茨城(5)-ネット検索で出てこない画家


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茨城(4)-ネット検索で出てこない画家

2014-06-19 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

河西雪渚 かわにし・せつしょ
通称は蕭四。松平雪山の門人で山水をよくした。明治初年頃死去。

軽部竹堂 かるべ・ちくどう
江戸崎の人。名は愼。画を人見淇堂に学び、椿山派の花鳥を描いた。明治初年頃死去。

梶山大海 かじやま・たいかい
天保7年常陸太田市内田町生まれ。画を宇佐美太奇に学び、人物、山水を得意とした。大正12年、88歳で死去した。

金子雲英 かねこ・うんえい
明治23年下館市生まれ。名は英太郎、上京して尾竹国観に師事、土佐派を研究して山水を得意とした。明治45年日本美術協会に《嵐山の図》を出品。

菊池江外 きくち・こうがい
筑波郡真瀬村の人。名は徳。南画山水をよくした。明治初年頃死去。

栗田長 くりた・ちょうみん
宝暦2年生まれ。水戸藩士。名は吉、通称は八郎兵衛。別号に蕉鹿(一説は丘鹿)がある。南蘋の画法を学んで、密画の花鳥人物をよくした。文化5年、57歳で死去した。

久米悦之助 くめ・えつのすけ
水戸藩士。松平雪山の門に入り画を学び、人物をよくした。慶応年間に死去。

久米霞岳 くめ・かがく
文化12年生まれ。名は雅禮、通称は波衛門。14歳の時に道口雪窓につき画を学び、のちに加藤雪潭の門人となり、花鳥山水を得意とした。藩主徳川斉昭の命により作成された《追鳥狩絵巻物十八軸》を佐野盛致とともに手伝った。明治33年、86歳で死去した。

小林玄甫 こばやし・げんぽ
水戸の人。名は抱古。はじめ立原杏所に学び、のちに松平雪山の門に入った。花鳥山水をよくした。慶応年間に死去。

児玉梅坪 こだま・ばいへい
享和元年生まれ。大和国柳生の人。はじめ柳生藩学校に学び、のちに頼山陽および佐藤一斎に師事した。漢詩をよくし、柳生藩文武館の教授を務めた。書画を好み、画は倪雲林を慕い、書は顔真卿にならった。明治元年、68歳で死去した。

小杉後楽斎 こすぎ・こうらくさい
古河の人。名は長兵衛。岡野梅老に画を学び、のちに渡辺崋山の門人となり、花鳥を学んだ。明治初年頃死去。

国府田亀山 こくぶた・きざん
結城郡豊加味村の人。小林蔵六の門人で、のちに猪瀬東寧に師事した。明治17年死去。

小沢鉄巌 こざわ・てつげん
文久3年水戸市仲町生まれ。名は亮、字は子敬、別号に有竹居がある。野竹我師に師事し、竹の絵を得意とした。内務省に勤務する傍ら画技を磨いた。漢詩、和歌、琴曲も得意とした。

後藤文琳 ごとう・ぶんりん
天保年間の人。名は幸蔵。谷文晁の門人で山水を得意とした。

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茨城(3)-ネット検索で出てこない画家

2014-06-17 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

岡崎江山 おかざき・こうざん
先祖は江戸初期に近江国より来往した商人で、酒造業を営んでいたといわれる。名は邦彦。江戸崎の人で、水戸に出て松平雪山に師事。山水を得意とした。作品は菩提寺である大念寺本堂、瑞祥院本堂などに残っている。明治14年5月26日死去。

奥村永伯 おくむら・えいはく
天保2年行方郡吉川村生まれ。老圃の父。江戸に出て佐竹永海の門に入り、帰郷して私塾を開き、門下生は600人に及んだ。行方郡最初の吉川小学校校長となった。明治19年、56歳で死去した。

小笠原笠斎 おがさわら・りゅうさい
天保6年常陸国生まれ。明治年間の画家で文人画をよくした。

奥村老圃 おくむら・ろうほ
万延元年生まれ。名は亀三郎。画を父の永伯に学んだ。山水と得意とした。昭和元年死去。

大内適斎 おおうち・てきさい
慶応元年水戸備前町生まれ。水戸藩士種一の子。名は栄、通称は得斎。画を松平雪人に学び、茶を光庵に、花を本松斎一得に学んだ。古書画の鑑定と篆刻を得意とした。また、杏所の偽筆を作っては天下一品といわれたという。昭和2年、63歳で死去した。

奥村霜樹 おくむら・そうじ
明治15年生まれ。名は寅雄、奥村老圃の二男。早稲田大学を中退して、画を父に学んだ。昭和2年、46歳で死去した。

岡里古軒 おかざと・こけん
明治18年津澄村山田生まれ。名は七郎。土浦中学を中退、のちに県会議員を二期、津澄村長などを務めた。絵は達磨を得意とした。

可卜 かぼく
貞和年間の人。可木という。鎌倉建長寺の住職で、画を啓書記に学び、人物、山水などをよくした。別号に棟隠子がある。

化蔵院 かぞうえん
常州の人。詳細は不明。天正19年死去。

神谷栄春 かみや・えいしゅん
寛政2年頃の水戸藩の画員。名は惟雪。のちに養秋と号した。神谷栄秋の子。

狩野涼 かのう・りょうみん
宝暦元年生まれ。水戸藩の絵師。本姓は池田、名は貴信。池田幽石の子。はじめ狩野深信の門に学び、のちに永叔の門に入った。代表作に《日の出に大黒》がある。文化11年、64歳で死去した。

加藤文昇 かとう・ぶんしょう
水戸の人。後藤文琳の門人で、谷文晁の画法を学び、山水を得意とした。文久2年死去。

加藤礬桂 かとう・ばんけい
通称は辰蔵。加藤雪潭の子。画を父に学び、のちに松平雪山に学んだ。山水人物を得意とした。明治初年頃死去。

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茨城(2)-ネット検索で出てこない画家

2014-06-13 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

池田阿彦 いけだ・あひこ
明治年間の画家。水戸藩の画員池田養信の子。代々狩野派だったが、時の藩主の命により住吉弘定に学んだ。

岩間華仙 いわま・かせん
明治16年生まれ。名は久子。岩間東芝の孫。梅津霞峰の門に入り山水を学び、のちに相馬寛哉に花鳥を学んだ。大正13年、32歳で死去した。

飯田芳文 いいだ・ほうぶん
明治元年生まれ。鹿島郡松川藩の人。津島寿山の門人。茨城県女子師範、水戸高女の図画教師を勤め、退職後も画技を研究し茨展などに出品した。昭和15年、73歳で死去した。

磯山六郎 いそやま・ろくろう
明治40年笠間市荒町生まれ。16歳で木村武山の門に入り、青々と号した。昭和13年院展に入選、以後昭和17年まで連続入選。昭和19年5月17日、38歳でニューギニアで戦死した。

雲友 うんゆう
明和元年生まれ。常州の人。鼠除猫の絵を得意とし、京洛中この絵を描き歩いたと『白心伝』に記載されている。安永3年頃死去。

宇佐美竹城 うさみ・ちくじょう
常陸大田の宇佐美太奇の子。名は翼。水戸市雷神町前で父の画法を伝えて、花鳥を得意とした。のちに江戸に出て英語を学び、写真を研究し、明治5年に雷神前で写真館を開業した。明治22年死去。

恵鶴椿南 えつる・ちんなん
寛政6年生まれ。古河の人。早瀬清蔵の長男。名は寿、字は芥舟。椿椿山の門人で南画をよくした。妻は雲幹。明治3年、75歳で死去した。

恵鶴雲幹 えつる・うんかん
文化元年潮来生まれ。亀坂京助の長女、名はせき、女性画家として南画の山水をよくした。夫は椿南。明治22年、86歳で死去した。

海老沢柳糖 えびさわ・りゅうとう
明治20年生まれ。下館の人。橋本雅邦の長男・秀邦に絵を学んだ。

小栗宗甫 おぐり・そうほ
長禄頃の画家。小栗宗舟の弟、画を兄に学んだ。

小栗宗佐 おぐり・そうすけ
永正年間の画家。小栗宗舟の子、画を父に学び、これより代々宗佐と称した。

越智凌雲 おち・りょううん
慶応年間の人。水戸藩士。名は兼良。松平雪山の門人で、花鳥山水を得意とした。

岡野梅老 おかの・ばいろう
文化元年生まれ。古河藩士。名は為治。漢詩、和歌、俳句、南画をよくし、使番用人などを勤めた。渡辺崋山に師事した。枚田水石と親戚筋で、奥原晴湖にも影響を受けた。明治5年死去。

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茨城(1)-ネット検索で出てこない画家

2014-06-10 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

秋山蘭谷 あきやま・らんこく
水戸藩士。通称は熊之介。渡辺崋山の門人。花鳥人物を得意とした。天保年間に死去。

赤荻丹崖 あかおぎ・たんがい
文化4年生まれ。名は徹、字は元徹、通称は順平。結城の人で江戸で生まれた。代々幕府に仕えており、赤荻欣左衛門の二子。漢籍に精通した儒者で、はじめ春木南湖に、南湖没後は谷文晁に師事した。諸国を遊歴、山水を得意とした。弘化5年2月に結城をたち、江戸の兄の家で42歳で死去した。

雨宮荊城 あまみや・けいじょう
名は圭。はじめ立原杏所に学び、のちに松平雪山の門人となった。山水を得意とした。文久年間に死去。

朝倉玉蘭 あさくら・ぎょくらん
明治19年生まれ。水戸の人。朝倉政通の娘。松平雪江の門に学び、出藍の名があったが、明治39年21歳で死去した。

粟野千秋 あわの・せんしゅう
明治16年結城郡玉村大字原宿生まれ。下妻市に住み、現在の下妻一高の図画教師を務めた。水彩画を研究して山水花鳥をよくした。画道のほかに剣道、尺八もたしなんだ。

池田知足 いけだ・ちそく
水戸藩の御用絵師、阿亥といった。山内伊村の門人。安政年間に死去。

飯島鐸斎 いいじま・たくさい
水戸の人。名は金平。別号に竹外堂がある。松平雪山の門人。明治初年頃死去。

生駒月處 いこま・げつしょ
水戸の生まれ。幼名は吉五郎。生駒貞応の養子となり、安政元年家督を継いだ。名は応、通称は誠蔵。はじめ立原杏所に学び、後に椿椿山に、さらに松平雪山に師事した。人物山水を得意とした。明治初年頃死去。

石井石欄 いしい・せきらん
明治初期の久慈郡磯初村の人。名は良知。東京に出て四条派を研究した。花鳥人物を得意とした。

岩間東芝 いわま・とうし
文化8年生まれ。名は平治郎。水戸の人で、下市茅根家より養子となった。目薬北斗香の薬舗の主人。明治8年死去。

飯田晴圃 いいだ・せいほ
真壁郡下妻の人。奥原晴湖の門人。明治20年死去。

伊藤耕洲 いとう・こうしゅう
嘉永5年生まれ。現江戸崎町高田の人。本名は弥六。明治4年に福島柳圃の門に入り画の六法を研究、明治11年関西諸国を遊歴した。のちに県会議員になった。明治43年、59歳で死去した。

伊東俊了 いとう・しんりょう
天保4年生まれ。結城郡袋村に住んでいた。伊東照広の子。嘉永元年より小田寿山に学び、その皆伝を受け、文久元年に西京大谷派本願寺画師となり、雲谷と号した。

茨城(1)-ネット検索で出てこない画家


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