辰姫と私 ~石田三成の娘「辰姫」の研究~

石田三成の娘”辰姫”の存在を正しく世に残し伝え広める為の研究。あとエッセイとオマケ(管理人の日常)。

「やった事は自分に返ってくる」という”業(ごう)”について

2017年05月17日 21時07分28秒 | エッセイ (仏教・密教・経典)
 「やった事は結局自分に返ってくる」

 子供の頃に親に言われたり、理不尽な目にあった時などに慰めの言葉としてよく聞かれる言葉ではないでしょうか?
 しかし、その言葉を本当に自分の戒めや教訓として言っている人って、実は非常に少ないのではないでしょうか・・・。

 この「やった事は結局自分に返ってくる」という事、実は仏教の経典”お経”の中で説かれている事なんです。
 この「やった事は結局自分に返ってくる」という事を仏教・密教では”業(ごう)”と言います。

 
 この”業”というもの。
 かの有名なお釈迦様(釈迦如来)の残した言葉に「業から逃れるすべはない」とすらあります。

 業。すなわち「いい事をすれば、その分のいい事が。悪い事をすれば、その分の悪い事が。形を変えて自分に戻ってくるというもの」
 それがお釈迦様ですら「逃れられないもの」と言っている。・・・実に厳しいですね。

 しかも仏教・密教では、この業は自分が生まれてくる前に蓄積されたものは、それを背負って今の人生を始めなければならない、しかも死んだ後もその業は背負い続けるとあります。

 知らず知らずのうちに人を傷つけてしまっている、傷つけた事がある。誰にでもある事です。私にもあります。
 その事ですら業だといわれるのです。

 ・・・そんな事言ったら人とのかかわりなんて怖くてできなくなってしまうかもしれませんね。


 そんな業を唯一、軽減させ、または消滅できる唯一の手段が”読経”である事を仏教・密教では説かれています。

 いくつかのお経を現代語訳すると、そのお経の中で、観音様やお釈迦様がそのお経やお経の中で説かれている陀羅尼の説明をする場面で「今までの全ての業を軽減させる・・・」や「過去の一切の業を消滅させる・・・」と言っている場面があります。

 「な~んだ。じゃ、楽勝じゃん!」・・・な~んて思う方々もおられるかもしれません。
 しかし・・・一回やそこらの読経や、お経をいくつか暗記したくらいでそれが叶うなら、この世に悩みや不幸に見舞われる人間なんて誰もいないはずですね。

 いくつかのお経の現代語訳すると、そのお経の中で、「この陀羅尼を何千回となえ・・・」や「このお経の意味を真に理解し常に心に留め忘れることなく日々唱え・・・」などと、口で言うのは簡単ですが、やり続けるとなれば非常に厳しい条件が度々出ています。

 つまり・・・その経典の本当の意味を理解し、自分が守る教えとして(日々)意識し日々欠かさず口にして(何千回、何万回と唱える)、初めて業から逃れられる、業から救われるというのです。
 ・・・ただし!
 読経を繰り返す事で、人生や命にかかわるような重大な局面で「あっ!今自分は護られたんだ!」と心底から思う瞬間が訪れた時点(これが霊験と言われるものです)で、読経の効果と神仏が自分に携わるようになったとされています。それが著明に幾度もある事が「霊験あらたか」というものです。
 ・・・と、本当の信仰を持つまじめな僧侶の方々は言われています。

 効果云々はともかくとしても、功徳(善い行いと、それにより得た徳)は一種一回の読経でも確かに生じると経典の中でも説かれていますからね。


 考えてみれば人との付き合いでもそうですよね。
 例えば、「今、あなたの好きな言葉を何回か聞かせてあげるから、今の私の抱えている深刻な、自分では解決できない問題をすべて解決してくださいな」なんて言われたら、誰だって「はあ?何寝言言ってるの?・・・なんだコイツは・・・」って思ってしまうでしょうね。私ならそう思ってしまいますね。

 都合のいいものって所詮はその程度のもの。

 しっかり経典の説いている趣旨を理解し、長い日々年月を欠かす事なく、常に心に留め、口にし続け(唱え続け)る。それで初めて経典・経・陀羅尼のもつ力が発動するというのです。


 私は僧でもないし、現代宗教や仏教の宗派の一切に属していません。
 しかし、亡き祖父の日課の読経を受け継ぐと決め(私の歴史研究対象である辰姫に喜んでもらいたいというのがそもそものキッカケで根幹ですが)、仏教・密教を調べ(学び)、その事を知り、そのことを前提に日々読経をしています。
 そして、人に読経を勧めた事は一度たりともありません。勧める気もありません。
 自分の事だと割り切っています。
 自分の事だと思ってやっています。
 ただ、いくつかの(というより結構多い)経典の中で観音様やお釈迦様が「経典の教え(意味)を人に伝え、途絶えさせないようにしなさい」という場面があるので、それを愚直に受け入れ、こうしてブログで書いているだけです。


 さて、業そのものについて話を戻しますが・・・

 陰口、イヤミ、些細な嫌がらせ、イジメ、ののしり、冷笑、ちょっかい、おごり・・・
 これらは当然、いい事とは言えませんね。
 それが業。業として、自分に必ず返ってくる。しかも形を変えて・・・
 しかも、いつそれがどんな形で自分に返ってくるかわからない。

 自分自身に返ってくるだけならマシかもしれません。
 自分の生み出した業が・・・自分の大切でかけがいのない人に及び、そのかけがいのない人が不幸や命に関わる形で自分にとって負の出来事や苦しみや悲しみとなった形で返ってくると思ったら・・・
 泣くに泣ききれませんね。発狂してしまうかもしれません。

 それに・・・もし、自分が嫌な事をした相手が、実はしっかりその業を理解し真剣な信仰を持ったり(多額のお布施をしたなどういう低次元なものではなく真剣に教えを理解し守ろうとしているという事)、日々しっかり経典や読経の趣旨を理解しながら読経をしていたり・・・ましてその相手が本当の信仰を持ったまじめな僧侶だったりしたら・・・。

 でもそれが、お釈迦様や観音様が経典の中で教える”業の支配”です。

 そして善い行いを続ける人を理不尽に傷つけ、ののしるような人は人間だって「あんないい事を続ける奴にちょっかい出すなんて!」なんて思い、その人が望まなくても善い行いを続ける人を守ってやろうとか力になろうとか思ったり、行動したりするものです。
 それが神仏なら・・・。
 もし、神仏という存在があるのなら・・・もしかしたら神仏も人も、その辺は共通するのかもしれませんね。




 「やった事は自分に返ってくる」
 簡単な慰めの言葉として用いられる事のある言葉ですが・・・
 最も肝に銘じておかなければならない、しかも自分の振る舞いの根幹に常に置いておかなければならない事なのかもしれませんね。

 日々の行いや振る舞いや言動には気を付けていきたいものです・・・。
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5 コメント

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こんばんは (たにむらこうせつ)
2017-05-17 21:57:46
ご訪問ありがとうございます。
仏教の教えは深い。
さわり程度ですが本で読んだことがあります。

所で私の短歌や詩如何でしたか?
私のブログ如何でしたか。
失礼を承知の上でお願いがあります。
もし私のブログが気に入って頂けたのなら
相互読者になりませんか?
私が先に読者登録致します。
後で私のブログに来て(名前をクリック)
プロフィールの所の数字ではなく
「読者になる」をクリックして下さい。
よろしくお願いしますm(__)m
無理なようでしたら構いません。
ありがとう (たにむらこうせつ)
2017-05-17 22:10:26
読者登録ありがとうございます<(_ _)>
まだまだ未熟な詩や短歌ですが、
これからもよろしくお願いします!
たまにコメント入れますね(^-^)
たにむらこうせつ (大館平蔵)
2017-05-17 22:10:57
 相互読者登録の件、承諾致しました。
 これからも宜しくお願い致します。
登録ありがとうございます (伊賀ビート)
2017-05-18 09:54:08
「徒然幸せ日記」への読者登録ありがとうございます。
「業」について興味深く読ませてもらいました。「自業自得」としてよく使いますが、そうしたことだったのですね。
それにしても、石田三成の娘さんの研究を選ばれたのはどうしてなのでしょう。どこかに書いておられるかと思いますが。また、時間があれば、のぞいてください。
伊賀ビートさんへ (大館平蔵)
2017-05-18 10:44:25
 こちらこそ読者登録を頂きありがとうございました。
 辰姫を研究するキッカケはブログのカテゴリー”辰姫と当ブログについて”の記事に示しています(ちゃんと語ると凄まじく長くなってしまうので簡単にですが示しています)。
 これからも宜しくお願い致します。

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