辰姫と私 ~石田三成の娘「辰姫」の研究~

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”この世の地獄”と言われるものと「破地獄偈」について

2017年06月13日 19時31分30秒 | エッセイ (仏教)
 さて、エッセイとして仏教(経典・密教・信仰も含みます)について書かせて頂き、仏教そのものや信仰についてと前回と前々回の記事で書きましたが、再び経典(お経)について書こうと思います。

 今回は”破地獄偈”についてです。


 まずは”偈”について述べます。
 お経は大別して”経(教え)”と”陀羅尼(仏しか意味の分からない仏の言葉、呪文)”に分かれるという事は以前の記事の中で述べています。
 その”経”を現代語訳すると、経の中では陀羅尼の用い方や功徳や効果が述べられています。
 その陀羅尼のほかに”偈(げ)”が述べられている事があります。

 この”偈(げ)”とは、現代でいうなら”詩”です。
 ただし、ただの詩ではなく、力の備わった詩として経の中で述べられていたり、または独立して一つのお経として存在しているものもあります。

 以前記事にした”懺悔文”も、この”偈”の部類です。


 この”破地獄偈”。
 「華厳経」の「夜摩宮中偈讃品」の中に述べられている偈で、別名は”唯心偈”とも言われているものです。
 「盂蘭盆経」というお経の中に述べられ、そのお経では、餓鬼の世界に落ちて苦しむ母を息子である仏弟子の目連という人物が救い出すという物語になっています。
 その母親を餓鬼の世界から救い出す方法として、この”破地獄偈”を唱える事とされているのです。

 中国の故事では、地蔵菩薩(お地蔵様)が、死後の世界である人物にこの偈を授け、地獄より救い出したと言われています。
 また、地獄の管理人の”閻魔”に、地蔵菩薩(お地蔵様)がこの偈を授け、地獄より魂を救い出したという話も仏教には存在します。


 ”地獄”というと鬼がいっぱいいて針の山に乗せられたり、火あぶりにされたり、釜茹でにされたり・・・そんな世界を想像し描いたりする方々も多くおられるかもしれません。

 しかし、地獄とは、この世にもあるんです。

 苦しみ続け、その苦しみから抜けられない事。
 悪い事と解っていながらし続けてしまう。辞められない。
 破滅や衰退の一途と解っていながら、どうしてもその道や方法をとってしまう事。
 それこそが”この世の地獄”なんです。

 相手が嫌がる事と解っていながら、どうしてもその行動をとってしまう。結果、相手を傷つけ、総合的に多くに人を痛めつける。
 体を壊すと解っていながら、続けて、健康な体や精神を永遠に失ってしまう。結果、絶命を逃れられない。
 返せないのにお金を借り続ける。その結果、お金以外にも大切なものや人々、そして信頼もすべて失う。
 四方八方異性に手を出し、それが辞められない。結果、全ての人から相手にされなくなり、信頼も何もかもを失う。
 ・・・そしてこれらは全て、更に”業”となって追い打ちをかけるように自分に返ってくる。

 執着から抜けられない。
 崩壊の道と解っていても抜けられない。辞められない。止まらない。
 ・・・これがこの世に存在する地獄です。

 この”地獄”から救い出す力のある”偈”が”破地獄偈”というお経とされているのです。


 実のところ、この記事を書く数日前から、私はこの”破地獄偈”を先祖の仏壇に朝晩の読経に入れ捧げています。
 それは、一家の主として私の家族にある因縁から家族を救いたいという思いからです。

 ”サザ○さん一家”や”アメリカのホームドラマ”のように、何の問題もなく常に笑っていられる一家なんて、おそらく存在しないのではないでしょうか?
 ・・・あるわけないですよね。
 平和そうに見えるだけで、実は大なり小なり、皆、本当は様々な問題に直面し苦悩しながら日々を送っていると私は思ってます。

 その、抜け出せずに引きずり続けている問題も”地獄”です。

 自分だけが助かっても、自分だけが平和になっても・・・自分以外の大切な人や家族や人々が苦しみ続けるのであれば、その事で再び自分が悩み、もがき、苦しむ事になるものです。
 自分だけ、そして特定の人間のみが幸せになっても、結局、また苦しむ事になるんです。

 だったら!
 他者や大切な人や存在、周囲を救う。
 そうすれば、救われた人々や存在が自分を苦しめる要因になる事なんてないんです。
 もしかしたら、救われた人々や存在が、自分を救う大きな力になるかもしれないですよね。

 自分以外のものを救う事は、結局、自分を救う事になっているんですね。
 これも”業”です(”業”についても当ブログの”仏教・密教・信仰のカテゴリー内の記事”に書いていますので参照下さい)。


 まずは自分より大切な存在を救う。
 ・・・言うは易し、行うは難しです。これほど難しい事は無いかもしれません。
 しかし、まずはその思い・心がけを持たなければ、何も始まりません。何も救えません。
 ・・・そう、自分も救えません。自分を救う事にならないのです。


 ”仏教と密教と信仰”を多少ながら(辰姫研究と並行しながらですので・・・)研究し、調べ、学び得て、私もその事を痛感できるようになりました。


 だから・・・私は自分の先祖の仏壇には”破地獄偈”を捧げる事にしたのです。
 家族や妻が各々抱える、私が気付かない、本人しかわからない”地獄”から救われてほしいから。
 そんな思いからです。
 そして、その思いと、自分にできる日々の行動。そして、そのうえでの読経です。

 ただ願い事を熱心に祈るだけでは願いなんてかないませんからね。
 現代宗教には「幸せになる」事を第一にしているものも多くあるようですが・・・

 これは気付かない人々が非常に多いようですが・・・
 仏教、キリスト教、イスラム教など、何千年も昔から現代にしっかり伝わる宗教の信仰の対象に共通するのは、その対象(仏とかキリストとかアラーとか)は共通して「救い主」と表現されているんです。
 「幸せを与える者」ではなく「救い主」なんです。

 自分だけに都合のいい”信仰”や”宗教”なんてあるはずはないんです。現実をしっかり受け止めなければなりません。


 救われたいなら救う。
 そして自分のそれに当たる、それなりの心と行動が必要不可欠なんです。
 それこそが信仰であり修行といわれるものなんです。


 ”破地獄偈”は懺悔文より短いお経(偈)です。
 大切な人(無念を抱いているであろう故人も含む)を抜け出せない苦しみの世界から救う気持ちを込めて唱えたいお経ですね。
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4 コメント

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Unknown (蓮の花)
2017-06-13 20:18:40
偈の現代訳が『詩』だったのですね。
お寺で坐禅体験してた時、~~偈を復唱させられましたがその意味は分からなかったです。
参考までに難しい漢字にはルビをつけるか、( )つけでひらがなをふってくだされば全文読み込みできます。
不思議なことは
私も根本的に同じような生き方をしてきたので、先生系(講師系)の人は似通っていますかね?
蓮の花さんへ (大館平蔵)
2017-06-13 21:10:50
 お経の現代語訳(意味)は、現代のどんな自己啓発書(励まし系の書籍も含む)も及ばないと思えてなりません。
 般若心経秘鍵の記事にも書きましたが、お経は意味を知らなくても、まずは唱える事が大事だと空海は言っています。
 経文は、今は様々な書籍がネットやら書店で労せず購入できるでしょうから、時間をかけて経文を書くつもりはありません(辰姫研究を進めたいので・・・)。
 私はネット通販は利用しないので書籍探しに苦労しますが、その過程で「思いがけずに、とんでもなくイイ本を手に入れちゃった!ラッキー!」という事が多々あるので、その姿勢を変えるつもりはありません。
 短いお経は全文を書くかもしれませんけどね。
 これからも宜しくお願い致します。
Unknown (蓮の花)
2017-06-14 00:35:37
例えば、
>「華厳経」の「夜摩宮中偈讃品」<
かげんきょう か かごんきょう と読むか。
よまろちゅうげさんぴん と読むのは正しいですか?

上記のような難しい漢字の箇所だけ
ひらがながあれば音読できるということです。
ですが、読み方が分からなくても漢字で大概の意味は読み取れますけど。
私のコメントに少々のズレがあったようです。
蓮の花さんへ (大館平蔵)
2017-06-14 20:12:34
 私の方こそ、理解力不足で申し訳ありませんでした。
 「華厳経」は”けごんきょう”と読み、「夜摩宮中偈讃品」は”やまぐちゅうげさんぼん”と読みます。
 ブログの機能を使いこなせるよう、心がけますね。
 アドバイスありがとうございます。
 これからも宜しくお願い致します。

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