辰姫と私 ~石田三成の娘「辰姫」の研究~

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私が辰姫研究を始めたワケ

2017年05月20日 19時10分34秒 | 私が辰姫研究を始めたワケ
 私が辰姫の研究するに至った経緯、キッカケを詳しくお話しておこうと思います。


 39歳の時です(現在42歳です)。
 私は当時、とある病院で看護師として勤務していました。病棟で専門学校や看護大学の看護実習生の指導者をしていました。新人看護師の指導にも携わっていました。看護学生や新人の指導に熱意を持つ一方、自身の職場の職場の発展にも熱意を持って取り組んでいたつもりです。
 その一方、組織の汚さ、人間のもつズルさに葛藤もしていました。いや、相当葛藤していました。気が滅入るほどに・・・。

 その葛藤の中、中学生の時から歴史好きだった私は歴史の本を手にしていました。その延長から「孫子」「兵法三十六計」「呉子」「六韜」「三略」も呆れるほど読み、学び、リーダーシップや組織についても活用していました(していたつもりです)。

 そんなある日、石田三成に関心が湧きました。
 まだ世間では悪役・陰湿なイメージが拭いきれていない石田三成ですが、本当はそうではない、組織と国の平和を想い尽くしぬいた彼の生涯に、一組織に尽力する自分の姿を重ねていました。
 そして石田三成を尊敬するようになりました。子供の頃からの歴史好きがあいまって、石田三成を調べ始めました。
 20~30歳の時その10年間、段発的ではありましたが明智光秀が好きだった私は独学で明智光秀を研究していました。しかし断念したのです。
 その経緯もあって、もう自分で独学で歴史上の人物を調べる事はないと思っていました。
 しかし、石田三成への尊敬と憧れは増していく一方。石田三成に関する歴史書を読み漁るようになりました。
 そして、大抵の歴史好きが行う行為”ゆかりの地巡り”をしたくなりました。そう、石田三成のです。

 しかし、私の住まいは関東の埼玉。石田三成は滋賀県出身の人物。簡単に行ける距離ではありません。しかし、「関東にも石田三成ゆかりの地はないものか・・・」と必死に探しました。
 埼玉には秀吉の関東征伐による石田三成の水攻めで有名な忍城がある事は知っていましたし、2~3度行った事もありました。しかし忍城は石田三成の評価を下げる題材になるものです(水攻めは秀吉の命で行ったものであり、三成の本意でやった事ではありません。誤解なのです)。だから忍城には行く気になりませんでした。別の場所を探しぬきました。

 そして、群馬に”石田三成の娘の墓がある”という事を知ったのです。
 私は「尊敬する三成公の子供なら、その墓は行っておくべきだろう・・・」当時はその程度の思いでした。

 そして、その墓が石田三成の三女の辰姫の墓であると知りました。
 その辰姫の墓のある群馬県太田市にある東楊寺に向かいました。
 「三成公の娘の墓ならさぞ大きく立派なんだろうな・・・」「ギャラリーしに来てる人も多いんだろうなぁ~」なんて思っていました。

 寺に着きましたが、人気はなく、どこに辰姫の墓があるのか全く分かりませんでした。案内板も無し。本堂の脇にあるその町の解説版には”石田三成の娘”と書かれている石田三成の名前が白く塗りつぶされている在り様。
 そんな時、ある老夫婦が見えたので、石田三成の娘の墓はどれかと尋ねたら「これこれ、これだよ」と教えてくれました。

 ・・・私は愕然としました。
 墓石の材質が悪いのか、それと年月のせいか・・・傷んだ墓石、大きさも私の家のお墓よりも小さく、わかっている人に聞かないとハッキリ言って辰姫の墓だとわかる人はまず居ないと言い切れる墓。

 「嘘だろ?・・・これがあの石田三成の娘の墓?・・・なんでこんな扱いなんだ・・・教科書に載るほどの人物の娘だぞ・・・」

 私は手を合わせて、すぐ帰宅しました。
 そしてすぐ、ネットと所有している石田三成に関するすべての書物で辰姫を調べ始めました。
 しかし書物に辰姫を語る文章は一切無し。ネットにも「流されて生きた姫」や「魅力ない」などのコメントや、ものの数行にまとめられた人生のみ・・・。

 いてもたってもいられずに数日もたたないうちに私は辰姫の墓に再び向かいました。
 そして、辰姫の墓前に立った時、辰姫があまりにも可愛そうに思えてなりませんでした。
 「この人が何したっていうんだ・・・なんでこんな扱いをこの人は受けているんだよ」「この人は400年以上も今までずっとこんな扱いを受けて、しかもこの世の殆どの人に知られずにこの扱いを受けてきたのか」
 そう思って墓前を見つめていたら悲しくなり、涙が止まりませんでした。
 帰宅の途中もずっと涙が止まらずに、途中嗚咽して車が運転できなくなり、車を止めたくらいでした。

 そして、思ったのです。
 「この人(辰姫)をもっと人に知ってもらおう」と。

 この時、私はとある石田三成の研究会に籍を置いていました。しかし辰姫に関心を持つ人は皆無でした。
 どんなに探しても辰姫を研究した歴史書は無く、資料も史料もありませんでした。研究者も無し。いくつもの歴史書を書かれている歴史研究者の本を探しても辰姫の書物や記事は全く無し。ネットでも墓の紹介と数行の文章でまとまった人生ばかりが挙げられているものでした。挙句には「魅力がない」「つまらない」というコメントすら見る始末・・・。

 ・・・そして、決意したのです。

 「誰もやらないなら俺がやる!」「俺がこの人(辰姫)の史実を解明して、この世の多くの人に知ってもらう!」
「この人をこれ以上歴史の闇には埋もれさせない!」「俺がやるしかないんだ」と。

 辰姫の墓前で「今まで辛かったですよね・・・。これから私が一人でも多くの方にあなたが確かに生きていた事、あなたの本当の事を解明し後世に残し伝えます」と声にし誓いました。

 私は歴史学者ではありません。歴史に関する肩書も実績も全くありません。
 しかも夜勤のある生活リズムの不規則な職種である看護師を生業としています。
 歴史の研究をするうえで、自身の環境は条件的には決して恵まれていません。
 10年間独学で明智光秀を研究し断念した経緯を持つ私です。私にあるのは、その過程から得た史料の使い方や歴史をみる角度については多少のノウハウだけ。

 ですが、迷いはありませんでした。断念するという心配も辰姫の400年以上続いた今の扱いを思えば微塵も生じませんでした。


 これが、私の辰姫研究に至った経緯です。
 辰姫と私の出会いです。
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2 コメント

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Unknown (蓮の花)
2017-05-22 01:24:27
劇的な辰姫様との出会いですね。
筆者さまと何の縁起があるのでしょうかね。
きっと、何かで強く結ばれていると思います。
蓮の花さんへ (大館平蔵)
2017-05-22 20:37:41
 はじめまして。コメントありがとうございます。
 ありがたくうれしいコメントです。
 私がもっとしっかりとしていれば・・・もっと力があれば・・・もっと辰姫が喜べるような事や展開にもっていけるはずなのですが・・・。
 これからも宜しくお願い致します。

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