鴨が行く ver.BLOG

鴨と師匠(ベルツノガエル似)と志ん鳥のヲタク全開趣味まみれな日々

異人をめぐる物語

2009年11月15日 17時53分06秒 | ゲーム・コミック・SF
今月2冊目のSF読破です(-_☆
SF史に残るこの作家の強烈なプロフィールを知ってしまってから読んだので、感動の度合いが下がるかと思いきや、圧巻でした。粒ぞろいの短編集です。

愛はさだめ、さだめは死/ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、伊藤典夫・浅倉久志訳(ハヤカワ文庫SF)


鴨がこれまで読んだことがあるのは「接続された女」1本だけで、サイバーパンク寄りの作家だと思ってましたが、収録された全作品を読んで実は作風にかなり幅のある人なんだということがよくわかりました。「全ての種類のイエス」「アンバージャック」あたりはまるでビートニク文学のようなサイケデリックな作風ですし、一方では「恐竜の鼻は夜ひらく」(←名意訳ヽ( ´ー`)ノ)のようにロバート・シェクリイを彷彿とさせる洒落た小話タッチの掌編もお手の物です。

が、何といっても圧巻なのは、SFの体裁を取りながら個人の魂の相克へと切り込んでいく、エッジの利いた鋭い作風です。鴨が特に気に入ったのは「そしてわたしは失われた道をたどり、この場所を見いだした」「男たちの知らない女」「愛はさだめ、さだめは死」「最後の午後に」の4作。ストーリーこそ違えどもどの作品にも共通して描かれているもの、それは(一般には当たり前と思われている)世界/社会/環境への「違和感」です。登場人物はその違和感を克服しようと努力し、苦しみ、そして敗北して自滅していきます。ハッピーエンドの物語はひとつもありません。でも、後に残るのは虚無感や脱力感ではなく、何故か不思議な程に静かな諦観です。カタルシスを突き抜けた後に来る涙に似たようなものでしょうか。
この「違和感」を向けられる相手が宇宙人であったりタイムスリップ後の別世界であったり、なーんて設定ならフツーのSFにまぎれてしまうんでしょうが、ティプトリーのすごいところは「違和感」の相手が自分と同じ人間であり、自分の暮らす社会であるということです。まるで作家自身が自分の人生において感じてきた違和感を、作品の形で表現しつつ吐き出そうとしているのではないかと思えます。やはり作家の強烈なプロフィールが書かしめた作品群なんですかね。
機会があったら、他の作品にも挑戦してみたいと思います。
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