静風徒然ブログ

心の赴くままに、鳥のように、虚無の世界!

これでいいのか?アフターサービス!

2011-12-13 13:20:24 | Weblog
どうもキャノンのプリンターはインクジェットが壊れやすい。
先日はキャノンMP970のインクが詰まり、長崎の営業所に電話したら
ここでは対応できませんので福岡のサービスセンターに電話してください、という。
福岡に電話すると送ってください、という。
点検と修理代が修理の如何にかかわらず17000円程度かかるという。
修理点検には1週間程度時間がかかり、それに2万円近くの修理代がかかるというので
急遽同一機種のMP960中古を購入することにした。
だが3ヶ月もたたないうちにこちらも同じ状況、印刷ムラがひどく、何度調整しても直らない。
インクリボンは故障を避けるため、純正の高額なリボンを装着してきたのに、
地元の営業所に連絡しても素人ばかりで埒があかない。
持ってきてみてください、あるいはちょっと出向いて見て見ましょうか?という話にはならない。
昔なら近くの担当者が診断して、これなら部品を買えれば済みますよ、とか
簡単なメンテナンスで直る、とかの対応をしてくれたものだ。
また福岡のサービスセンターに送らなければならないみたいだ。

もうすぐ年賀状をプリントしなければならず、時間もない。
企業のコスト削減策としてこのようなシステムを作り出したのであろうが、
致命的な企業体質だ。
「もうキャノンは辞めよう」という気持ちになった。

車でも、テレビでも、携帯電話でも同じ、故障したらその内容に関わらず
地元では対応せず、遠方のサービスセンターに郵送しなければ、点検も修理も出来ないような
アフターサービス体勢では顧客は離れてしまうのでは?
キャノンさんはそのことには気づかないのだろうか?

仕方なく別機種の新品を購入する事にした。
年賀状には何とか間に合いそうだ。

二胡を中国から買うとき

2011-11-30 09:12:46 | Weblog
                        静風のホームページ  こちら
中国から直接二胡を買う場合はかなりの注意を払う必要があります。
その中でももっとも難解なものが「CITES」
日本国内で買うより遥かに安価に購入できるのですが、
いろいろな問題を克服しなければなりません。

「CITES」の申請は2005年の6月から変更になり、非常にややこしくなりました。
日本の税関は厳しく、二胡を持って帰国すると「二胡ですか?」と聞かれ
ニシキヘビの皮だとその場で剥ぎ取られるので、大損をする事になります。
当初は北京の「瀕危物種出口管理局」へ、書類を提出しなければならず、
時間も要し、また北京へ行く必要があって大変でしたが、
2009年以降は各地の林業局へ書類を提出できるようになりました。
その分物分りの悪い担当員だと(担当員は一人しかいなかったりする)非常に申請手続きが厳しくなることもあっているようです。

〜提出するもの〜

1、手書き申請証
2、出口証明書
3、ニシキ蛇の産地証明
4、国家のレシートコピー
5、パスポートコピー
6、二胡収蔵証コピー
7、収蔵番号の刻まれた二胡

産地証明とレシートはお店にもらう必要があります。
レシートの名前が持って出る人の名前と違うと、関係を証明する書類を求められたりするので注意を要します。
二胡一本につき200元を取られます。

<手書き申請書の書き方>

「私 パスポートナンバー何々は収蔵証番号何番、何番、何番、の演奏用練習用二胡を、何々に使うために、何月何日日本へ持って帰ります。」といった事を中国語で書いて印鑑を押して提出します。

<記入例>
物品名称:Python morulus bivittatus
貨物類別:二胡
海関番号:9202100019
公約級別:二
我国保護:一
目的:P
来源:W
原産地:中国

<出口証明書>
この証明書をダウンロードし、記入し、印刷して提出します。
発貨人住所などは中国語と英語で書く事をわすれないように。

<ニシキ蛇の産地>
楽器店に書いてもらい、印鑑を押してもらう必要があります。

<レシート>
中国はレシートが何種類かあり、無料の簡単なレシート、
定価の5%前後の手数料がかかる正式っぽいレシート、
定価の10%の手数料がかかる国家正式のレシート、
必ず全国統一の国家正式のレシートを貰いましょう。

<二胡収蔵証>
二胡収蔵証は、新しく加わった法律で、中国国内での使用、輸出入に関わらず
すべての新しい二胡につけなければならない番号つきカードです。
海外で演奏する可能性のある方は持っておく必要があります。

このようなことを考えると素人が中国から二胡を買うことは考えないほうがいいでしょう。
またオークションなどで「海外発送」とされている場合は
出品者が二胡売買の専門家であるかどうか、確かめましょう。

季文馨さんのお母さん

2011-11-16 11:36:57 | Weblog
今日の長崎新聞に季文馨さんの記事が掲載されていた。
感慨深く読ませていただいた。
彼女が長崎に来て以来、私なりにはできる限りの応援をさせていただいたが、
お母さんには、訪中の折々、随分とお世話になった。
そのお母さんがくも膜下で倒れ、いまだに安静の状態であるとのことを新聞で知り、
心が痛んだ。
先日季文馨さんと会い、「長崎で頑張ります」との決意を聞き、
嬉しかったのであるが、そのときはお母さんは元気になった、としか聞いていなかった。
これまで8回上海には行ったが、そのたびごとにご両親には連絡をとり、
食事を共にしたものだ。
お母さんの明るい姿が目に浮かぶ。どうか元気を回復して欲しい。

写真は平成16年、私の雲仙での退職記念コンサートにも来日してくれた。
  
平成16年の11月、2度目の訪中の際「玉仏寺」や「龍華寺」を案内してもらった。

平成19年の元旦、上海市内のレストランでご両親(右側)と楽しく会食した。

ぶらさがり棒

2011-10-31 10:12:01 | Weblog
原爆の影響なのだろうか、骨が弱く25,6歳の頃から脊椎狭窄、
頚椎狭窄に悩まされてきた。
そして地元に戻って3年を過ぎた頃、ついに朝起きることもできないほど
首が痛くなった。
三菱病院で首の手術の宣告を受け、首を切るなら市民病院でと思い、
20日ほどの入院のあと、手術の宣告、なんと頚椎2箇所の手術、
6ヶ月の入院が必要だという。

病室の周りの手術後の患者の姿を目の辺りにすると、どうしても決断できず、
叱られながら手術を辞退し、帰宅した思い出がある。
それから自力で直そうといろいろと挑戦した。
1、夜10時以降に食べない。酒を飲まない。太らない。
2、寝る前に心配事をしない。安眠に務める。
3、下半身を鍛える。磯釣りが一番功を奏した。
4、必ず風呂に入る。そしてぶら下がる。
それから26年間、なんとか這いずり回らなくても済み、暮らしてきた。

しかし1ヶ月前、自動車に追突されて以来、また辛い日々が続いている。
朝がとても辛い。
祈るように毎日ぶら下がり棒にぶら下がっている。
写真は静風工房に吊るされている「ぶらさがり棒」、私の健康の番人である。

動画の掲載

2011-10-29 18:56:20 | Weblog

まだ私は動画をそのままブログに掲載することができない。
どうやらサイズが大きすぎるようだ。
そこで一旦、記事としてまとめ、掲載する事にした。 
さらに圧縮の方法を研究してみたい。 
タイトル 「演奏紹介」  こちら

今や火力発電の時代ではない

2011-10-19 11:44:37 | Weblog

今回の福島火力発電所の事故以来、ノーモア原子力の声が全国的に高まっています。
たしかに我々は原子力の恐ろしさを少し甘く見ていたようです。
原爆被爆者でもある私たちが最初に声を荒らげてもいい話ではあります。
しかし一方世界中の火力発電による二酸化炭素の垂れ流しによる地球の汚染、
温暖化をこれ以上広げてはならない、という深刻な地球人の命題もまだ解決は
されていません。
原子力がだめだから、火力発電で凌ぐというのが一番悪い形ではないでしょうか。

太陽光や地熱、風力などの研究はまだまだ緒についたばかり、
とうてい代替えのエネルギーにはなり得ません。
日本人は今賢明に自分の周りを観察し、答えを出さなければいけません。

長い将来の話は別として、今国際競争力をなくしては日本人は生きてはいけません。
電力不足で工場は止まります。国民は働く場を失うことになるのです。
他人ごとのように思っているかもしれませんが、すぐ近いうちに貴方自身の問題になるのです。

原子力に代わる発電のシステムが見つかるまで、慌てず賢明に電力確保の方策を
模索するしかありません。
すくなくとも、原子力がダメだから火力というのは時代に逆行した選択だと思うのです。

原子力に関わる皆さん、どうか日本を世界一の原子力先進国に育て上げてください。
安全確保の技術さえ確立できれば、素晴らしいシステムなのです。
日本なら出来ます。自信を失わず、技術立国日本を目指してください。

電気が発明された時も、自動車が出来たときも、飛行機が空をとんだ時も、
宇宙に最初に足を運んだ時も、最初は危険だったのです。

負けずに挑んだ者しか生き残れない時代がくるのです。
決して負けてはいけません。自信をなくしてはいけません。
日本人の智恵とたゆまぬ努力で、地球を素晴らしい星にできる時がくるまで、

闘魚、ベタ

2011-10-18 07:41:17 | Weblog
                        静風のホームページ  こちら

時津まで歌子と花の苗を買いに、そこで店主から勧められた「ベタ」。
「ぶくぶくが要りませんよ、コップでも飼えます」と、
1匹380円、ついつい、買ってしまった。
熱帯魚だからこれから暖かくしてやらなければならない。
夜はとりあえず、電燈を使って温めることにしたが、
なかなか22度よりあがらない。
オス同士を2匹一緒に入れたら駄目な獰猛な魚らしい。
2匹並べていると結構元気に泳ぎ回っている。
水草を少しだけ入れてみた。
水温を26度に保つ水中ヒーターが購入できたので
今日は新しい水槽を探しに行こう、

寝たきり老犬

2011-10-10 07:44:35 | Weblog
我が家の愛犬「フィオ」、平成17年5月15日生まれの16歳、
人間で言えば85歳のオスのラブラドール・リトリバーです。
もう立ち上がることができません。
散歩は女房と息子が2人がかりで担ぎ上げての重労働、
おしっこも大便もたれっぱなし、まさに寝たきり老犬です。

一番困るのは夜寂しがって、泣く事です。まさに赤ん坊と同じ、
私達もこうしてお母さんを困らせたのでしょう。

女房はその世話で大変、二胡どころではない毎日です。
いつまで介護ができるか、本当に心配な毎日ですが、できる限り
心を尽くしたいと思います。


みんなで代わるがわるに撫でてやるので、毛だけはつやつやしています。
私達家族の「心の恩犬」です。

諫早胡弓愛好会

2011-09-18 08:24:32 | Weblog
              静風のホームページ こちら
諫早胡弓愛好会の大塚会長が急遽福岡への転勤が決まり、
10月1日には単身赴任するとのことで本日9月17日、
18時半より諫早九州ガスアメニティーホールにて
お別れ演奏会をした。
現在は会を辞めている人にも声をかけ、みんなで集まり、
大塚会長へのねぎらいの念を確かめ合おうというもの。
後藤さん、辻さん、それに旧姓藤本和歌ちゃんも顔を出してくれ、懐かしかった。

長崎胡弓愛好会からも私達夫婦のほかに10名程度の有志が参加してくれた。
最初はみんな私達夫婦に手ほどきを受けた仲間達、振り返れば懐かしい。


思えば平成16年の3月、趙先生のために新しい生徒を増やそうと
諫早での教場開設を試みた。
最初のメンバーが後藤さん、辻さん、藤本(旧姓)さん、山田君、
大塚君、下村さん、松尾朝代さんだった。
歌子が九州ガス教場で懸命に「きらきら星」から指導した。
少し基本ができれば趙先生に習いなさい、といって頑張っていた。
でも趙先生はまもなく我が会を去り、ついにその願いは叶わなかった。
諫早胡弓愛好会も16名程度の会員を擁するようになり、少しずつ力をつけてきた。
大塚会長を新任し、独立させた。
ギターの平川君の協力を得るようになっていろんなところで好評を博した。
私の斡旋で一時季文馨さんの指導を受けさせたりもした。
いろんなことがあったが、本当に大塚会長は踏ん張って諫早の灯を消すことなく
今日まで頑張ってくれた。振り返れば感慨深い。

まずは大塚会長の挨拶、私からの記念品贈呈、
演奏会に入り、諫早愛好会のメンバーで「茉莉花」と「見上げてご覧夜の星を」の2曲、
次に長崎胡弓愛好会から大村郡チームの「また君に恋してる」、
大村福祉会館チームが「シルクロードのテーマ」と「長相思」
長崎南部すみれ会チームが「イマジン」、辻さんが「女人花」
あかねちゃんが「宵待ち草」とアンコールで「マイメモリー」、
私はキャッツの「メモリー」と「愛の賛歌」を弾いた。
続いて大塚会長が「太湖船」と「回家」
最後に歌子が「乾杯」とアンコールで「初恋」を弾いて
楽しいお別れ演奏会を終えた。
私は前日の大村ロングレッスン、当日の国見レッスンと連日の疲れもピークに達し、
また飲酒運転を避けるために演奏会後の酒宴は失礼した。
大塚君、本当にお疲れ様でした。

来年は創立15周年

2011-08-26 19:58:42 | Weblog
         静風のホームページ

来年の9月下旬、
我が長崎胡弓愛好会の15周年記念おさらい会を計画している。
私達夫婦もいい年になり、これが最後のビッグイベントになるかも知れない。
素晴らしいゲストを招待し、記念の演奏会にしたい。

思い起こせば波乱万丈の15年でした。
滑稽といえば滑稽な話、
虚無僧さんが二胡を教えるなんて、

平成17年の6月、わが長崎胡弓愛好会から
趙国良先生が去った。
反省するに中国からの留学生音楽家達を支援したい、
という私の立場が微妙だった。
「中国領事館創立20周年記念」という長崎にとって
記念すべきイベント、中国領事館をはじめ、県、市の後援を頂き、
市民こぞって喜び合おうと、
当時留学生二胡奏者「季文馨さん」の生徒達も一緒に
ステージに揚げたことが、致命的だった。
彼らは智多副市長を会長に「長崎ランタンフェスティバル」を懸命に
支えている「二胡弓楽会」の仲間達だった。
私にとっては「町起こしの仲間達」でも先生からすれば商売敵、
先生は憤慨し、別に自分の直門教室を作る、ということになった。
先生には本当に済まないことをした。
そこで古参メンバーに相談し、教場をひそかに探し、
ベテランメンバー20数名をそちらに行くように、
仕向けたわけである。

長崎胡弓愛好会には上級メンバーはほとんどいなくなった。
先生を最も敬愛していた妻の歌子は先生が去った衝撃で、
毎日毎日泣きくれた。

もちろんランタン祭りにも参加しなかったし、
殆どの地域のイベントにも参加しなくなった。
悲しみを忘れるまでそっとしてあげるしかなかった。
これまで汗と涙で広めてきた中国楽器の普及活動、
どうしても「長崎らしい町造り」の活力源に育てたい!
それが私の郷土人としてのロマンだった。

こんなことでやめるわけにはいかない。
歯を喰いしばって、未熟な二胡を密かに練習し、あちこちへ走り回った。
妻の穴を埋めるべく、未体験者を急場で募り、
いろんな会場で勇気を出して、二胡の指導に挑戦した。
恥をしのんで、ランタン祭りで他のフォークバンドと共演したりもした。

これまでのセダンを軽のワゴンに替え、
体験用の二胡を10丁ほど後ろに載せて、出前レッスンを重ねた。

大村にも、諌早にも、唐比にも、矢上にも、島原にも、
どうしても自宅を開けられない方には自宅まで伺い出前レッスン、
1人であろうが2人であろうが、お構いなく、どこにでも足を運んだ。
「二胡を弾いてみたい!」という人がいれば、訪ねた。
学童無料、入会金なし、月謝なし、
しかも二胡は当面レンタル、いう画期的なシステムを作り出した。

写真は大村での出張レッスン、大賑わい!


そうこうしているうちに新しい受講者が続々と増えた。
若い女性が中心だが、お年寄りや子供達も、
かえって“静風先生のレッスンは楽しい”といって
あちこちから愛好家が集まってくれた。

そして毎日教えていくうちに私自身も少しずつ上達し、
音程も安定し、運弓も軽ろやかになってきた。
習ったこともないわたしが、教えながら学べたわけだ。

この数年の苦しみの中から得た「仏様からのご加護」が、
私の晩年の幸せを創生してくれた。
もし妻がこれまで通り、元気に二胡を教え続けていたら、
今の私はない。

10周年記念のおさらい会も盛大に開催できた。
妻もまた元気を取り戻し、二胡を指導するようになった。
長崎胡弓愛好会は再生した。
専属の先生はなくしたけれども、むしろ楽しい会になった。
本当に感慨深い15年でした!!

写真は中国領事館で子供達に熱心に二胡を教える私、