静風徒然ブログ

心の赴くままに、鳥のように、虚無の世界!

叔母、逝く

2017-03-12 07:31:35 | Weblog
2013年12月の記事でした。その叔母も昨夜、3月11日、静かに旅立ちました。
これで母の兄姉妹は全員亡くなり寂しい限りです。

2013年12月7日の記事 叔母を見舞う

私の母の妹、きくえ叔母を久しぶりに歌子と見舞った。
もう母の兄弟は誰もいない。きくえ叔母が最後に残った一人、
寂しいことと思う。兄弟がもう誰もいないことは、
これからたまに見舞いに行って慰められればと思う。

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息子の決断

2016-09-15 09:07:31 | Weblog
ちょうど1年前の記事を振り返っています。
おかげさまで息子はその後、長崎諏訪神社池田宮司様、大浦諏訪神社今村宮司様の
温かいご推薦を受け、東京での一般家庭人としては超難関の神官資格講習を無事乗り越え、
資格を認定され、帰宅いたしました。今後は神に仕えるものとして、郷土のために
働くものと喜んでいます。以下は1年前の投稿です。感慨深い!!

平成27年09月18日(金)
この日をもって息子は三菱重工業㈱長崎造船所を退職した。
今後は神官をめざすという。「祈りの世界」への再出発だ。
そう簡単ではない。生計を立てられるのかどうか?
だが神様はいつも「その人に見合った加護を授ける」
父親として、やれるだけの心の支えになってあげたい。
そこで私達夫婦と大浦神社の宮司夫妻とで退職祝いの宴を設けた。
久しぶりに、食べ、飲み、歌った。






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健康であるために、

2016-08-22 09:47:33 | Weblog
最近歌子の体調がかなり回復してきた。
おそらく自宅裏の畑仕事をするようになったからだろう。
私といえば、暫く帯状疱疹で苦しんだ。
春のバードウィークで少々頑張りすぎた嫌いがある。
病気になれば健康の大事さが身に沁みる。無理は禁物だ。
最近メンバーのなかに体調を崩した人もいて、改めて健康を考えたい。

早寝早起き、快眠、快便で、疲れの溜まらない毎日、
不健康な人間との付き合いからはしばらく遠ざかる、ストレスの元、
ストレスが健康を害する最大の要因だと思う。

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佐古小跡地に「養生所遺稿」が発見されました!

2016-08-11 08:14:15 | Weblog
佐古小跡地に「養生所遺稿が発見された」ことが
          私たちに教えること。

           

 私自身、平成19年度の長崎市有識者委員として、長崎の歴史文化をどうすれば
観光資源として活用できるかという命題について市長に提案を申し上げ、
中島川河畔の尺八殿堂「松寿軒跡碑」の建立や、中国音楽の普及、日中文化交流に
努力をしてまいりました。

今回、昨年の秋、長崎市文化財課による佐古小学校跡地の発掘調査で
「養生所遺稿が発掘された」ことを知り、大変興味を持って経緯を見守っている次第です。

先に仁田・佐古地区ふれあいセンターで開催された養生所シンポジュームでは
会場を埋め尽くした文化人が、熱心に長崎大学相川名誉教授の講演に聞き入りました。
そして冒頭、現在長崎港に浮かんでいる「観光丸」が、伝習所創設時、オランダ当局から
伝習所用に寄贈されたものであることを知りました。
我が家系も鍋島藩直営時代の高島炭鉱にかかわり、4代松林源蔵はトーマス・グラバーと
共に海軍伝習所閉鎖以降、鍋島藩管理に移った観光丸に乗り、近代炭鉱創設の高島に
向かっていたと聞き及んでおり、個人的にも改めて関心を深めた次第です。

佐古に創設された伝習所は、海軍伝習と共にポンペにより医学伝習の先駆けとして
日本の近代医学を牽引した「日本近代文明発祥」の象徴です。

その遺稿をどう取り扱うか? 皆さんの知恵に大いに期待しています。
先行している学校建設計画との調整は、極めて難しい問題ですが、
まさに世界遺産を語る上で、最重要な課題であると、私は感じております。
どうかよろしくお願い申し上げます。         敬具

                平成28年 8月11日、
      
           古典尺八竹風会、長崎胡弓愛好会 会長 松林静風
               
               852-8024 長崎市花園町11-15 
               携帯   090-3986-4711
               HP   http://www1.cncm.ne.jp/~seifu/

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英国のEU離脱が教えるもの、

2016-06-25 08:36:55 | Weblog
私自身、被爆者として世界の平和について、しっかりと次世代の子供達に
自分の考えを伝えなければいけない身にあります。

二度と戦争をしない国家を目指して、日本はアメリカを頼りに、
口では綺麗なことを言いながら、実際には紛争はアメリカ頼り、という
御めかけ生活を送ってきました。いまの沖縄の問題が一番それを物語っています。

尖閣列島周辺領海に中国海軍の軍艦が最近横行するようになってきました。
いつ武力行使してくるかはわからない状況なので「日米同盟」をさらに強化して
自国を守ろうと考える。その代償が沖縄に襲い掛かる。
沖縄の県民が今回のイギリスのように「県民投票」をすれば、
「日本国政府は信用ならない」「独立したい」ということになるだろう。
中国が一番喜ぶことである。

さて今、日本人はどうあるべきか?
戦争被害者の一人として子供達にどのような「日本国」を残すべきか?
長崎県知事も基地誘致は大反対、佐賀県知事も大反対、
みんな沖縄がかわいそうだと口では言いながら、
では自分の県で少しでもその負担を受け持とうという県はない。
県民も原発は要らないといいながら、夜遊び放題、電気の使いまくり、
日本人が「腐りきってしまった」
泥棒が入っても、殺人鬼が襲っても、決して戦わない、話せばわかる、と言って
「いい人」を装う。
家庭では家長を批判し、学校では先生を批判し、会社では上司を批判し、
国ではリーダーを批判する。
それでは国も乱れ、学校にも行きたくなくなり、家庭も壊される。
国民投票というのは、そんなエゴの集計になりかねない。
今回のイギリスがその象徴になるかも、、と懸念した。

さて私の考えをそろそろ話すべきときがきました。
大前提は「自分の国は自分で守る」ということです。
アメリカのお世話になりながらも、できる限り「自立できる部分は自立し」
これまでの憲法の精神を守りながらも「防衛のための自衛隊」を強化し、
米軍基地を順次自衛隊の基地に返還していく、ということです。
戦後70年、もうアメリカの庇護の下で自国を守るというのは、
「アメリカのための戦争」に加担させられるだけです。
そんな日米同盟には私は賛成できません。

でもアメリカから見れば「何も自分は傷つかないで、なぜ日本のために
何人もの自国兵士が命を落とさなければならないのか?」という不満も高まってきているのです。

長崎県も、佐賀県も、福岡県も、すべての県が、
沖縄にある米軍基地に変わる施設を速やかに準備し、沖縄から引き受けるべきです。
そして出来れば米軍でなく自衛隊で対応すべきであると、私は思います。

将来的には自国が「真の力」を持つことによって発言力を増し、
「アジア同盟」をリードできるようになるべきです。
いろいろと理屈をつけては戦争をし続けてきたアメリカとは対立するのではなく、
双方理解のもとで、日本が事実上の「独立」をすべきときです。
そして世界中から賛辞されている「美しい国・日本」を守っていきたいのです。
そのためには国民一人ひとりが祖国を愛し、「自分で守る」という自覚を持つしか
ありません。それが「平和を守る」たった一つの手段だと思います。

その自覚を持てなければ「日米同盟」にすがるしかありません。
何もしない、というのは国を滅ぼす、ということなのです。



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野鳥写真家のマナー

2016-03-25 21:46:48 | Weblog
この事実を真摯に反省すべきだと思います。  松林静風



「綺麗な景観はマナーから」 (木村 智美さん 3月23日のフェイスブック投稿より )

路上駐車場禁止、遊歩道に乗り上げて駐車しない、道路の真ん中に三脚を立てて撮影しない
私有地に入らない、ゴミは持ち帰る…  当たり前の事が当たり前ではなくなってます!!
 これからウニ、ヒジキ、フノリなどのシーズンを迎えますが…
黒浜~田の子間にある高浜地区は、軍艦島を一望出来る為、海側に無断駐車が増え
毎年本格的な磯のシーズンはマナー違反の観光客に頭をかかえています。
海藻の集荷場所になる駐車スペースも、地元の人間が使用出来ない状態です。
特に黒浜トンネル付近で毎年多発している事故は無断駐車、路上駐車が多い為に
安全運転してる方が反対車線にはみ出して運転するしかなく、起こるものです。
海に限らず、山や田畑に無断で入る事も同じくです。

野母崎は野鳥のメッカで、最近はバズーカレンズ持った方が増えて来ました。
昨年、私の祖父母家の畑に三脚立てて写真撮ってる3人組がいたので…
何を撮ってるんですか?と話しかけたら… 静に!! 話しかけるな!!! と怒られました。

数年に1度しか見れない鳥が飛来してたらしいのですが、ここは私有地ですよ、と言ったら
舌打ちして帰って行き… とても悲しくなったのを思い出しました。

観光と地元の人達の暮らし…対策も必要です。
まずは一言、きちんと挨拶が交わせるようになるとトラブルも減るのではないかなぁと思います。
どうか1人でも多くの方々に理解して頂けますように…。

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エコキュート

2015-10-09 07:49:07 | Weblog
最近電気温水器に変わってエコキュートと称する温水システムが
普及しているが、訴訟が続出しており、1件和解が成立した。

「エコキュート」訴訟で和解 健康被害訴え、隣人らと、
  2013/11/18 21:21

群馬県高崎市の男性(52)が、隣家に設置された給湯器「エコキュート」で
不眠症などの健康被害を受けたとして、隣人に運転差し止めと
機器メーカー、住宅メーカーに計約270万円の損害賠償を求めた。

訴訟は18日、前橋地裁高崎支部(川口代志子裁判長)で和解が成立した。

原告側代理人によると、和解内容は
1、年内に撤去し、
2、別メーカーの給湯器を設置するほか、
3、費用は各メーカーが負担するという。


訴状によると、男性は2009年2月に隣家の給湯器の運転が始まると
音や振動で夜中に何度も目が覚め、頭痛や耳鳴りの症状が出た。
男性の妻は不眠症、自律神経失調症と診断された。
消費者安全調査委員会は男性の申し出を受け、
12年11月からこの給湯器の低周波音や振動と症状との因果関係などを調査している。
機器メーカーは「コメントは差し控えたい」としている。〔共同〕

実は我が家の隣でもエコキュートの設置が計画されており、
しかも睡眠障害の家族を有する我が家の寝室に隣接して計画していたので
設置箇所の変更など善処方をお願いしている。


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皆さんが知らない秀吉の素晴らしさ、

2015-08-25 18:16:10 | Weblog
豊臣秀吉については、朝鮮出兵やキリシタン迫害などのマイナスな
歴史的事実を教えられてきたが、このような素晴らしい記録も残されている。


 多くの日本人が奴隷として売りとばされ、哀しい想いをしていた。
これに関して、豊臣秀吉は激怒し、キリスト教の宣教師に対して詰問する。

「予は商用のために当地方に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、
多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、
奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。
それらは許すべからざる行為である。
よって、汝、伴天連は、現在までにインド、その他遠隔の地に 売られて行った
すべての日本人をふたたび日本に連れ戻すよう取り計らわれよ。
もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、少なくとも現在
ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。
予はそれに費やした銀子を支払うであろう。」

このことがもし放免されていたら
今の日本はアフリカやアジア後進諸国と同じように
奴隷化されていたであろう。

心から感謝したい。

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ブータン国王の言葉

2015-08-25 11:03:18 | Weblog
日本という国をこれほどまでに評価してくれているアジアの隣国が
いることに、私達は答え、さらに世界の国々から尊敬される国民に
ならなければならない。相手を正すのでなく、自らをさらに磨く必要がある。
こちら

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南京大虐殺の真相

2015-08-25 07:55:41 | Weblog
<「南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉>

1月27日に歴史評論がネット(http://www.kdne.net)で流れた。開国少将というベンネームの作者は、外祖父が自分の日で見た南京大虐殺という文章を発表している。「私は小さい頃に、外祖父が抗日戦場から何故逃げ出したのか分からなかった。逃げたことは秘密で、外祖父が死去する前年に、よく雑談の中で何時間も話すようになっていた。外祖父は、妻が早く死去したということだったが、それが逃げた理由ではないだろう。私はある日、やつと外祖父から真相を聞き出した。

彼は四川省の貧農の出身で、小さい頃から武術で鍛えていた。1928年に四川で国民党に捕らえられて兵士にさせられ、 1937年の南京大虐殺前夜に少尉にさせられて、日本軍の猛烈な攻撃を、首都を守れ・国父を守れというスローガンで防衛するよう命じられた。しかし日本軍の進政を食い止めることなど出来ないので、南京城から撤退した。

部隊は列車を何両か手配して、軍用の荷物と食料を積み込んだ。その時に周囲から、一般の民衆が老人や子供の手を引きながら列車に乗り込んできた。大勢が列車の屋根にも乗っていた。日本軍は、すぐ近くまで迫っている。このままでは、国民党の兵士たちは逃げることが出来ない。誰かが、日本軍が来たぞと叫び、国民党指揮官は列車に乗り込んだ民衆に列車から降りろと怒鳴った。

誰も従わないので、指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。兵士たちは民衆を銃殺することなど出来ないので、互いに顔を見合わせていた。指揮官は兵士たちに、もうすぐ日本軍が来るのだから、民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら良いのだと言って、一斉射撃を命じた。あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まったと言う。ここで約1千人の南京市民は、国民党の兵士たちから銃弾を浴びて死んで行った。

国民党の部隊が必死で逃げた後には死体の山が血の海の中に残され、それは日本軍の残虐行為として転嫁された。外祖父は、こんな部隊に残りたくないので、撤退途中に九江で夜陰に紛れて脱走し、長江を渡り武漢で列車を乗り換え、南の小さな山村に逃げ込んだ。

外祖父の記憶では、他の部隊も同様のことをしてきたという。全ての国民党による民衆大虐殺は、日本軍の残虐行為として転嫁されたのである。外祖父は貧農の出身だが、国民党が貧乏人を虫けらのように扱うことに抵抗があつたという。

外祖父は、国民党の軍隊に残っていれば、出世したかもしれない。また抗日戦争で戦死していれば、抗日戦闘英雄烈士との美名で呼ばれたかもしれない。しかし、逃亡する道を選んだ。そして裏切り者という悪名で呼ばれて、経歴を隠し通して逃げ回った。その過去の真実を、外祖父は死ぬ前になって初めて語ったのである。南京大虐殺は自分自身が犯した罪である。外祖父は恥ずかしくてたまらなかっただろう。

私は反日・反米の青年であり、ネットによく論評を発表していた。だが、そんな単純な反日・反米の青年たちは利用されているだけなのだ。天国にいる外祖父よ、私を許して下さい」。

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