空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「ミナの物語」 ディヴィッド・アーモンド 山田順子訳 東京創元社

2017-03-20 | 読書



「肩胛骨は翼のなごり」の女の子「ミナ」が隣に越してきた「マイケル」に勇気を出して、初めて声をかけるまでの物語。

まだお隣のうちは、以前に住んでいたおじいさんが亡くなって空き家になっている。おかあさんとどんな人が来るのか密かに話してはいるが、荒れた庭や倒れそうな物置を見ていると少し心配になる。

ミナのうちの庭には登るのに手ごろな一本の木がある。枝に座って、上にあるブラックバードの巣からかわいいヒナの声が聞こえてきたのをそっと聞いたり、猫を追い払ったり、本を読んだり、木に言葉を刻んだりしている。

ミナは少しユニークで、学校に行ってない。
賢く、好奇心がいっぱい、本が好きで考えることも好き。授業中も自分の考えにとらわれ過ぎて時々はみ出してしまう。空想や夢や自然の中に気になることが満ちていて、頭も心もいつも忙しく、くるくると動いて止まることがない。

人間が作りあげたものに目を向ける--家、道路、壁、尖塔、橋、車。歌や詩。そう、あたしはそういうものが、完璧とはほど遠いことを知っている。でも、完璧だったら退屈だろうし、完璧というのは決して長所ではない。

先生は心配するけれど、お母さんは本を読んだりお話をしたり、ミナの心に浮かぶいろいろなことを一緒に考えてくれる。勉強も教えてくれるから今は学校には行かなくても大丈夫。学校に行くと浮かんでくる大切な考えが規則に縛られて窮屈だ。お母さんと自由に暮らしながら、生きることや広い世界のこと、おとぎ話や、神話の世界や、詩の中のたくさんの言葉や、その意味について考える。

白い紙に自分の想いを言葉にするのも好きで、浮かんだテーマについて様々な言葉を書いて、書きながら感じて、考えて、成長していく。

白いところがだんだん少なくなってくるので、じきにこの文章も終わりにしなくちゃいけないのがわかるから、そうするとあたしは神さまみたいなものかしらろ思うのは、あたしが書くのはもう充分だと決めるのと同じように、神さまがもう充分だと決めて、時間を終わらせることにして、ある日、たったひとこと、<ストップ>といったら、すべてがあっさりストップするんだろう。

集団生活からはみ出していることが、すべてにはみ出しているとは限らない。ミナのようにのびのびと呼吸しながら育つことはどんなに楽しく貴重なことだろう。

個性的ということは集団生活の中では少し窮屈かもしれない。無理に押し込めないこんな生活は理解のあるお母さんがミナに与えてくれたもので、子供時代の一時期、こうして過ごせるミナは幸せかもしれない。ミナお明るい日常にはそういった作者の思いが詰まっている。

こうして暮らすことは、孤独かもしれない。いつまでも心のままに自由ではいられない。集団で暮らすのは個性を型にはめるかもしれないが、人は群れて暮らす。成長していくことは少し苦しく、経験して学ばなければいけない。こんな子供時代を過ごした賢いミナはよく考え、書いて、いつか豊な心の翼を広げてたくさんの人の中でも自由に暮らせるだろう。

お隣に越してきた「マイケル」に声をかける、今、勇気を振り絞って話しかけた方がいいとミナは思う。そうして新しい一歩が始まっていく。

読みながら、ミナはいい、お母さんも素晴らしいと思いつつ、一人でどうするのだろうと少し心配したが、「マイケル」との未来が見えるところでほっとした。


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