かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

池上本門寺 経蔵

2012-03-08 | 池上本門寺
経蔵(大田区文化財)の案内板が読めなくなっていたのですが、今回、新しくなっていたので、紹介します。




新たに「内部 輪蔵立面図」が加わっている。
大田区文化財
   経  蔵
 構造・形式は、方三間裳階(もこし)付き、宝形造(ほうぎょうづくり)、銅板瓦棒葺、輪蔵形式。
 経蔵内部に、心柱を軸に回転する八角形の書架(輪蔵)があり、かつては一切経(区指定文化財)が収められていた。
 経蔵内部の柱等には、工事に関係した職人をはじめ、講名や氏名、住所等が刻まれ、経蔵建立時の寄進者が広範囲に及んだことがうかがえる。「新編武蔵風土記稿」によれば、天明四年(一七八四)に再建されたものと伝えられる。
 昭和四六年(一九七一)境内整備により現在地に移築されたが、江戸期の輪蔵形式の経蔵は都内でも残存例が少なく貴重である。
 昭和四十九年二月二日指定
                                大田区教育委員会





上2枚は、仏像盗難(正月)前。





案内板が、新しくなる直前に貼られていた説明書きと写真。
読み比べすると、より興味がわく。
    経 蔵
 構造は、木造、方形造、銅板葺、方五間、輪蔵形式である。
 天明4年(1784)、第34世日謙聖人(1717~90)の代に、松平周防守室・浄心院らの寄進により再建された。
 内部には、心柱を軸に回転させることができる八角形輪蔵様式の書架があり、松平讃岐守室・永昌院が奉納した天海版一切経が納められていた(現在は霊宝殿で保管)。輪蔵様式の考案者、傳大士(ふだいし)(中国南北朝時代の在俗仏教者)と二童子の像も安置されており、この様式の典型例な構造といえる。
 昭和47年、寺域整備の際に原位置より若干南側に移築されたが、建造物は旧状のままであり江戸時代の遺構として貴重である。大田区の文化財に指定されている。

  



永昌院 1744(延享1)~1785(天明5) 讃岐高松藩藩主・松平讃岐守(頼真)正室。
     紀州藩第6代藩主・徳川宗直の御息女・薫姫。
     墓所 池上本門寺
松平頼真(よりざね) 1743(寛保3)~1780(安永9)
     讃岐高松藩第6代藩主。讃岐守(従四位下)。家系・水戸松平家。
徳川宗直 1682(天和2)~1757(宝暦7)
     伊予西条藩第2代藩主、のち紀州藩第6代藩主。(正徳6年・1716~)
     (第5代藩主は徳川吉宗)

永昌院 墓所
     



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。