和敬点は、十四代淡々斎が考案された茶箱点前。他の点前と違って、二碗の茶碗を仕込み、茶を客に出す際、古帛紗に乗せず、基本的に諸道具の拝見がありません。また、一碗目、二碗目いずれでお仕舞の声を受けるかによって扱いが変わってきます。
大小二碗重ねた茶碗に古帛紗を二つ折りにして入れ、その上に棗を入れる。茶筅筒、茶巾筒、振出し、茶杓を茶碗の上に伏せ、草にさばいた帛紗をのせて箱の蓋をする。箱の上に蓋と同じ大きさの薄板を重ねておく。茶碗が2碗になるだけで卯の花点と同じ。
和敬点の誕生は、第二次世界大戦がきっかけ。
昭和18年に淡々斎と奈良薬師寺の橋本凝胤管長が、海軍省に50個ほどの陣中茶箱を寄贈。卯の花点を改良した陣中点前を考案。利休形茶箱に、見込みに「慶溢万齢」と捺された美濃笠原焼の黄瀬戸茶碗の上に赤膚焼で富士山の絵が書かれた茶碗を重ね2碗とした。艦艇内の卓椅子や、野外でできるように工夫された箱点前。そして、戦後に新しい工夫を加えて誕生したのが和敬点だそうです。
鵬雲斎大宗匠は茶箱の思い出として戦時中のことをお書きになっています。学徒出陣で海軍航空隊飛行科予備学生として入隊、徳島航空隊に転属した際に父淡々斎より手持ちの茶箱をもらった。訓練の合い間に戦友に茶を点てた。出撃を前に一服所望した戦友、飲んで出陣していった顔を忘れない、その一碗を点てた時に平和への念願が生まれたと。
実は私は和敬点は先輩がなさるのを拝見しても、自分でお点前したことがありません。毎年そこまで行き着く前に茶箱のお稽古が終わってしまうのです。でも、歴史を知り、和敬点こそ、8月15日の終戦記念日を思い起こしながら夏にお稽古するにふさわしい点前であるなと感じました。今年は是非お稽古させて頂きたいと思っています。
大小二碗重ねた茶碗に古帛紗を二つ折りにして入れ、その上に棗を入れる。茶筅筒、茶巾筒、振出し、茶杓を茶碗の上に伏せ、草にさばいた帛紗をのせて箱の蓋をする。箱の上に蓋と同じ大きさの薄板を重ねておく。茶碗が2碗になるだけで卯の花点と同じ。
和敬点の誕生は、第二次世界大戦がきっかけ。
昭和18年に淡々斎と奈良薬師寺の橋本凝胤管長が、海軍省に50個ほどの陣中茶箱を寄贈。卯の花点を改良した陣中点前を考案。利休形茶箱に、見込みに「慶溢万齢」と捺された美濃笠原焼の黄瀬戸茶碗の上に赤膚焼で富士山の絵が書かれた茶碗を重ね2碗とした。艦艇内の卓椅子や、野外でできるように工夫された箱点前。そして、戦後に新しい工夫を加えて誕生したのが和敬点だそうです。
鵬雲斎大宗匠は茶箱の思い出として戦時中のことをお書きになっています。学徒出陣で海軍航空隊飛行科予備学生として入隊、徳島航空隊に転属した際に父淡々斎より手持ちの茶箱をもらった。訓練の合い間に戦友に茶を点てた。出撃を前に一服所望した戦友、飲んで出陣していった顔を忘れない、その一碗を点てた時に平和への念願が生まれたと。
実は私は和敬点は先輩がなさるのを拝見しても、自分でお点前したことがありません。毎年そこまで行き着く前に茶箱のお稽古が終わってしまうのです。でも、歴史を知り、和敬点こそ、8月15日の終戦記念日を思い起こしながら夏にお稽古するにふさわしい点前であるなと感じました。今年は是非お稽古させて頂きたいと思っています。
勉強させていただきましたぁ
今 月点前やってます
私が一番好きな茶箱の点前です
茶碗二個使うという茶箱の点前で 茶籠をしたことがありませんのでいえませんが
和敬点は便利なお点前です
卯の花のように箱の蓋の上でお茶を点てないので箱の蓋に傷を付けませんしね
今はたぶんされていないと思いますが 和敬板の代りに古帛紗二枚使ってする圓能点というのがあります
古い先生ならご存じのハズ 結構楽しいです
月点前、やはりお好きなのですね。
円能点とは初めて聞きました。色紙点とも違うんですよね??
和敬の昭和18年 陣中点前 などの、本にでていないお話、教えていただき、戦争での一期一会の一服の重さが、
ズシーンときました。
和敬を私は、拝見ないから(これでお茶やっている?)、好きなのですが、これから、練習する度、今の平和に感謝しつつ、茶箱をしますね。
和敬点、私は毎年見るばかりなので、今年はお稽古しようと思っています。
一碗に平和への気持ちを込めて。
和敬板の代りに 古帛紗使い 古帛紗の上でお茶点てます お客様にもう一枚の古帛紗で お茶碗出します
教えて下さってありがとうございます。
これから和敬点のお点前をするときに、また違った気持ちでお点前ができそうです^^
ありがとうございました。
形だけでなく、その奥にあるものを感じるというのが、茶道の魅力の一つです。私もまだまだ知らないことが沢山あり、発見するたびに感動しています。お互い楽しみましょうね。