茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

茶道における香と香合の歴史

2005-10-09 21:41:07 | 日本マメ知識
 茶道と香の関係は深い。炭点前の際に香をたき、部屋と精神を清める。どのようにして茶道に取り込まれていったのか。
 
 日本では香をたく習慣は飛鳥時代の仏教伝来と共に始まり、香をたくことで、身の穢れを取り除き、仏の功徳を受けられるという思想から盛んに行われた。香合はこの香を入れる容器として、仏教伝来と同時に伝わった。
 平安時代、仏教行事以外でも、貴族は日常的に自分の着物に香をたきしめ、また香合わせという遊びもあった。
 室町時代には、仏教上の行事であった香を茶道にも取り入れ、書院の床の正面に香炉を飾って香をたくようになった。この頃は周囲の環境をよくする為の香炉の脇役として香合は存在した。
 草庵の茶道が流行するにつれて、香合は侘び茶を盛り立てる、点前に欠かせない重要なものとなっていった。

 茶道に取り入れられた初期、香合の素材は、金器・銀器・漆器・木彫・古代蒔絵などが好まれた。
 桃山時代になり、陶磁器製の香合が使用され始める。利休様が楽焼の香合を作らせたのが焼物香合のはじまりとも言われる。やがて、織部焼、志野焼、瀬戸焼、備前焼、唐津焼などの国焼物の香合が出現する。
 徳川時代初期になると、外国製品尊重の思想から中国の古染付、祥瑞、青磁、交趾焼等の形物香合が主流となる。形物香合とは、手作りではなく型を用いて作った陶磁器の香合のこと。形物香合=交趾焼を指す場合もある。
 安政二年には京・大阪の同好者によって形物香合番付という、相撲番付のような一覧表が作られた。全230点、染付(85種)、交趾焼(64種)、青磁(29種)、祥瑞(19種)、呉州(17種)、和物(10種)、宋胡録(2種)、紅毛(2種)、南蛮(1種)、寧波染付(1種)。ちなみに、東の大関は交趾焼の大亀、西の大関は染付の辻堂である。江戸時代の相撲では大関が一番位が高く、横綱は存在しなかった為、形物香合一覧も大関から始まっている。江戸時代の人たちは遊び心にあふれている。

 茶道において、香は大事な精神性を示し、香合は小さくも茶席に彩りを添えていると思う。
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2 コメント

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お茶の花の件です。 (http://blog.so-net.ne.jp/albireo/)
2005-10-09 23:24:15
香合番付の番付もあったのですね!

江戸時代の人は、ある程度流行ったものは、なんでも番付を拵えていたような気がします。



香と香合の歴史を、分り易く書かれていらっしゃって、とても興味深く読ませて頂きました。



ところで、僕のお茶の花の記事に頂いたご質問ですが、自分の記事へのコメントバックが遅れがちになってしまっていますので、こちらへ書かせて頂きます。

僕の記事から、リンクさせて頂いているaoさんの記事に書かれていたのですが、東京では皇居の東御苑でお茶の花が見られるそうです。ただ、まだ殆ど咲いていないようです。

僕も、近いうちに東御苑へ行く予定ですから、もし見られたらまたお知らせします。

東御苑に就いては、下記のURLをご覧下さい。

http://www.kunaicho.go.jp/11/d11-03.html

↑宮内庁HPの、東居苑の案内です。

尚、僕の記事の写真は、千葉県佐倉市の「国立歴史民俗博物館」付属の「くらしの植物苑」で撮りました。
ありがとうございます。 (m-tamago)
2005-10-10 11:56:47
albireoさん、コメント、茶のお花の見られる場所の情報、ありがとうございました。

皇居なら近いので是非行ってみたいと思います。また情報宜しくお願いします。



albireoさんの写真はとても優しく美しく、文章も勉強になります。私もゆくゆくは茶花を育てたいと思っているので、勉強させて頂こうと思っています。

このブログ読んで下さっている皆様も是非一度ご覧になってください。以下のページでお茶の花、蕾、実が見られます。

http://blog.so-net.ne.jp/albireo/2005-10-08



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