*村ちゃんの古城跡散策!

村ちゃんの城跡写真の紹介!

*村ちゃんの歴史街道!     *稲沢市編!     *美濃街道・国府宮神社!

2016-11-19 | Weblog

   

国府宮第一鳥居    第一鳥居参道付近

 

  

参道        参道

 

   

第二鳥居前       参道太鼓橋

 

   

参道          楼門前

 

  

本殿前       境内大杉(旧)

 

   

大鏡餅パレード     参道パレード

 

  

大鏡餅奉納    大鏡餅奉納完了

 

    

裸集団参道       参道

 

  

楼門前      境内裸集団

 

    

境内裸集団       なお殿前

 

  

なおい殿前  愛知県知事・大村氏参加

 

(儺殿・神男最終到達場所) 写真=(愛知県知事・大村秀章参加!)

*美濃街道・国府宮神社「尾張大国御霊神社・(おおくにのみたま)!  

*住所=稲沢市国府宮1丁目1-1

*美濃街道の松並木を過ぎ左折すると、国府宮神社の第一鳥居前に出る。

  はだか祭で有名な国府宮の第一鳥居が美濃街道に面して立っている。

  第一鳥居から北を眺めると、国府宮神社「本殿」までは遥か先(900m)にある。

    国府宮はだか祭とは、今から少なくとも千三百余年前すでに、

  この付近に国衙(こくが)が置かれ、総社として国司が祭祀るした神社であるから、

  「国府宮」と呼ばれるようになりました。

  本殿は流造、拝殿は切妻造で全体の様式は尾張式と言われるもので、

  本殿、渡殿、祭文殿、東西の廻廊、拝殿、楼門と建並んでいます。

  楼門=足利初期の建立・ 正保三年(1646)の解体大修理の際、上層を改造している。

  拝殿=徳川初期の建立・ 特徴として、切妻造で内側に柱が並立する、

  又、本殿に接する形で、磐境(いわくら、又は、いわさか)と呼ばれる5個の大きな、  

  自然石が円形に立ち並び、神聖視されています。

*「はだか祭」!

 「国府宮のはだか祭」として知られるこの祭は正式には「儺追神事」(なおいしんじ)

     といい、毎年旧正月十三日に行われています。

  その起源は古く、神護景雲元年(七六七年)称徳天皇の勅命によって悪疫退散の祈祷が、

  全国の国分寺で行われました際、尾張国司が総社である当神社に於いても祈願したのに、

  始まると伝えられ、古い伝統をもった神事と言えます。

  この神事は祈祷と神籖によって選ばれた一人の儺負人(神男)を巡って、裸男達による、

  肉弾相打つ壮絶な揉み合いを繰り広げるものです。

  これは、神男に触れれば厄落としができると信仰からです。

  又、当日は早朝から厄除けの御祈祷を受ける人と、御守りの「なおいぎれ」等を、

  受ける人で雑踏し、午後には「裸男」の集団が、裸になれない老若男女が厄除けの、

  祈願を込めた布を結び付けた「なおい笹」を捧げて威勢よく拝殿へ駆け込んでいく

  姿が見られます。

 

*追加!

*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!

 

 

 

 


*村ちゃんの歴史街道!     *稲沢市編!     *美濃街道・長束村!

2016-11-05 | Weblog

     

美濃街道長束地区     美濃街道

 

   

美濃海道         稲沢市民病院付近

 

   

美濃街道(現在) 昭和30頃の松並木

*美濃街道!長束道!    

住所=稲沢市長束町鳥居先

*美濃街道は「長束正家・屋敷跡・碑」を過ぎると、左折れする。

  50m先を北折れすると、現在・稲沢市民病院・稲沢市図書館・

  稲沢市民会館(名古屋文理大学文化フォラム)ある。

  この辺りは、昭和30年頃まで、長束の松並木として、続いていました。

  美濃街道は、長束を過ぎて小池正明寺村に入り、左折れして西に向う。

 

*追加!

*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!


*村ちゃんの歴史街道!     *稲沢市編!     *美濃街道・長束正家屋敷跡(長束城)!

2016-11-04 | Weblog

     

美濃路長束地区      美濃路説明板

 

     

正家屋敷跡         正家屋敷跡碑

*長束正家屋敷跡・美濃街道!     

住所=稲沢市長束町沙弥90-2付近

*長束正家屋敷跡は、美濃街道「長束村(現在・町)」沿いにあった。

  長束正家ははじめ「丹羽長秀」に仕え、やがて「豊臣秀吉」に召し出された。

  五奉行に列し「近江・水口城主」になった。

  関ヶ原合戦で西方の「石田三成」つき、敗退し自害した。

  実際の長束正家・屋敷跡は、わからないが、現在「長束正家邸址」の碑が建てられている。

  明治初期にこの辺りから巨石が数個出土したので、その石で碑を建てたという。

*長束村では往還通左側六町三十一間のうち家居が一町余続く。

  又右側八町三十七間の内四十間余家居が存在し、並木は「左側三百五十三間、 

  右側四百七十三間」であった。(宿村大概帳)

  美濃街道は、長束村を過ぎて小池小明寺村に入り、左折れして西に向かう。

 

*追加!

*村ちゃんの妻の「パステル和」作品!


*村ちゃんの歴史街道!     *稲沢市編!     *美濃街道・浅井長勝屋敷跡!

2016-11-03 | Weblog

   

浅野長勝屋敷跡   長勝屋敷跡碑

 

*浅井長勝屋敷跡!    

 住所=稲沢市六角堂東町3-2-14

*浅野又衛門長勝・屋敷は、六角堂「長光寺」の南、美濃街道西の村の中にあった。

  長勝は「織田家」に仕えていた。 浅野長政は長勝の養子である。

  長政は天正13年(1585)五奉行の主座に列した。

  長政の子の「幸長」は紀伊和歌山城主になり、元和元年(1615)福島正則の後、

  四十二万六千石で広島城主となった。

  屋敷跡は、六角堂で有名な「長光寺」を隔てた南側の地域で東西九十米の、

  広大な敷地であったが、明治以降中央を東海道線が幅二十三米で南北に通り、

  東西を二分した。東部側は「浅野本家」の居住地。

  西側は浅野家の隠居屋敷となっていたと伝えられる。

  長光寺の南側の「武田氏宅」のフェンスの奥に、判読が難しくなった碑が建っている。

 

*追記!

*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!


*村ちゃんの歴史街道!     *稲沢市編!     *美濃街道・長光寺(信長公・臥松水)!

2016-11-02 | Weblog

     

長光寺前碑       長光寺山門

 

    

六角堂(重要文化財)地蔵菩薩鋳鉄像 

 

    

本堂         臥松水案内

 

     

臥松水碑      井戸

*美濃街道・長光寺・六角堂(地蔵堂)

*臥松水(信長公使用井戸)     

住所=稲沢市六角堂東町3-2-7

*長光寺(六角堂・臥松水「がしょうすい」)は、歴史が古く平安時代からのお寺である。

  六角堂(地蔵堂)は、室町時代の建築で国の重要文化財に指定されている。

  お堂の中に鋳造の鉄地蔵が安置されているが、大きな災害の前に「汗」をかくため、

  「汗かき地蔵」と呼ばれている。

  汗かき地蔵は太平洋戦争の前と、伊勢湾台風の前に汗をかいたと、言われている。

 

*若かりし日の「織田信長」の遊び場であり、六角堂(鉄地蔵)で後に清州城城代となる人、

 「埴原常安」と出会い家臣に取り立てている。 又、六角堂(地蔵堂)には,常安夫妻が、

 寄進した「鰐淵」が今でも掲げられている。

*本堂南奥には、信長が愛飲した「臥松水」と呼ばれる井戸があり、茶の湯や膳に、

  その水を清州城・岐阜城まで汲んで運んだと伝わる。

*六角堂は、室町時代(1510)年建立・

*鉄地蔵(菩薩立像)は、鎌倉時代・文歴□年(二年)の年銘(1235年)

 

*追記!

*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!