父の日記 昭和17年
昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う
 



8日 (月) 曇り

日対英米開戦

今日は全世界の歴史に重大な一頁を劃すべき日本
対英米の開戦の日だ。
今朝日米開戦という人声に目をさます。朝六時
ウラヂヲニュースで日米英が戦斗態勢に移ったと
報じたと皆言ってゐたがどうもはっきりしたことは分ら
ない。或いはデマかなどと半信半疑で聞いてゐ
たが九時のニュースで事実と知って驚いた。
今早朝西大平洋に於て日本は英米に対し
戦争態勢に入ったとラヂヲが明らかに傳
えてゐる。我々がフィリピンに上陸しない中に既
に 陸海軍の先鋒は戦端を開いてしまった
のだ。ラヂヲは刻々と戦況を傳へる。今日の戦
況は、朝の中にグワム島爆撃* ハワイ島ホノルル
爆撃、シンガポール爆撃、及秦に侵入せる英
軍を秦口から追い出し、香港爆撃、陸軍の
香港攻撃、上海にある英砲艦轟沈、米
艦○○、マレイ半島上陸、シンガポール攻撃
等々、実に素早い電撃作戦だ。満を持してゐ
た海軍が遂に堪忍袋の緒を切って今朝
一斉に始めたのだ。海軍々人の喜びや察
すべしだ。
 遂に、大詔揆発、英米に対し宣戦は布
告された。東条首相は大詔揆発に対し、全国
民の一致協力全力○○○を強調せられる。
ハワイの爆撃なぞは今朝三時頃行はれた
らしい。もう前から八日を期して先端を開く
事が決定してゐたのだらう。各方面に於ける
陸海軍の電撃的な急襲は、実に驚異に値
する。ドイツの電撃作戦も顔負けだろう。
ドイツも24時間以内に対米宣戦を宣言
するかも知れないと言はれている。
ラヂヲは一時間毎に重要ニュース発表でラヂヲ
はスヰッチを入れ放しにしておいて下さいと言って
ゐる。実に今日のラヂヲは血沸き肉踊る
ニュースばかりだ。
我々のフィリピン上陸もこの分では我々が
行かぬ中に戦斗が終ってしまいそうだ。我々が
対米戦の先陣かと思ったらとんでもない、他の
部隊がもう早くから準備してゐたのだ。
フィリピンも陸軍が爆撃したと。
二三日で戦争は終ってしまいそうだ。
今日歩兵小隊は上陸演習をやる。その間
に船倉の自動車を入れ換えし、上陸の際
火砲が一番先に出られるやうにする。牽引
車を全部始動してみる。船○は○々が
○いので二十分位で転把で○かゝる。一車両
354号がどうしてもかからぬ。最后にしらべてみた
ら燃料濾過キに空気が入ってゐた。それを直
したらすぐすぐかゝる。昼迄に終了。
午后はラヂヲの前を離れず。
夕食には日米開戦を祝してビールが出る。
我々もあと幾日もなく出帆。フィリピンに
敵前上陸を敢行するだろう。上陸地点は
アリンガエレ湾のアリガレ附近。もう作戦計画
も命令もすっかり決まってゐるらしい。あゝ全く胸が
おどる。
今夜から非常灯火管制。戸外へは少しも灯が洩れぬ
やう。部屋の中は防空用電球一ヶでウス暗い。皆ラヂ
ヲの前に集まってニュースに耳をかたむける。大詔○発
に対する東条首相の講演 奥村情報部長の講
演、皆言々火を吐く熱論で聞く者の手に汗を
握らせる。兵隊が聞いて喜んでしまふ。
今夜のニュースによると、フィリピンの空襲には敵機
九十機撃墜大破、ハワイ奇襲により、米戦
艦二、撃沈、戦艦四、大巡四大破、空母*1隻
撃沈。グワム島にて米艦ペンギン号(?)撃沈、と
いふ物凄い戦果。ハワイで撃沈した戦艦は
オクラホマ号とウェストバージニア号の二隻と言はれてゐる。
両方供三万屯位の戦艦だ。
夜中隊長は中隊附将校を集めて作戦の概
要を説明する。膨鼓島出帆は十八日、二十二日、
未明敵前上陸。地点はリンガエレ湾のアリンガイ
○。此処に入江大佐指揮の野重Ⅰが先づ上
陸し、南方のカルメンと言ふ町に向い前進と。
今夜はおそくまでニュースを聞かうとしたが知らずに眠って
しまふ。

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5日 (木) 晴れ 暖し

九時過ぎに隊に着く。十時に本部に集合、聯隊長に
申告、此れで待望久しかりし召集解除の日が来たわけ
だが、満州にゐるときのやうに嬉しい気持がせぬ。ボーっと
した気持だ。衣料切プを貰ひ、経理室で給料、
移轉料等200円余を貰ふ。思はぬ高額の収入だ。
十一時に隊を出る。木村中尉等と江戸川堤を通っ
て市川駅へ。前の島村で除隊者一同中食を食べて
お別れをする。我々十心会の仲間で今後の会合其の他に
就き相談したが議まとまらず、そのまゝ別れる。木村中尉
と二人で有楽町へ出て映画を見る。日劇の磯川兵助功
名噺。行列を作って入場。白昼から将校が映画をみる
のに行列で全く恥をかいた。夕方六時頃出て、木村と別れ
市ヶ谷の軍服屋へ行く。假縫。出来上がりは二十日、料金
38円。八時頃家へ帰る。
昭和十四年六月二十六日大命を奉じ軍務に服してより、数
へてみれば三年四ヶ月。長期の軍隊生活も此れでやっと
無事終了したのだ。而し乍ら今になってみると何の感慨もない。
東京は相変らず賑やかだし、大東亜戦争は何処でやってゐ
ると言ふやうな風景だ。すっかり気抜けがしてしまった感じ
だ。当分何をするのも嫌になった。

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召集解除となり軍隊生活の終了と共に この日記も終了いたします
今まで読んで下さった皆様 ありがとうございました

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4日 (水) 晴れ 暖し

今日は故田所大尉以下148柱の慰霊祭。
九時頃隊へ着く。今日は畧帽でなく軍帽と指揮刀を
つけて行く。十時から開始、僕は五中隊について参列した
ら中隊長が委員でゐないので僕が先任、中隊の指
揮をとる。大隊指揮の若い中尉に敬礼してしまった
が、僕の方が先任らしかった。
慰霊祭は内地だけに流石に立派だ。遺族其
の他の参列者数百人。僧侶20数名、立派な
荘厳な式だった。終ってから遺骨は皆遺族に渡し、
遺族は自分の夫、息子、兄等の遺骨を胸に抱いて帰った。
其の胸の中は如何、考へても感慨無量、涙を禁じ
得ぬ。僕の部下にも数十名の戦没者があり、遺
族の方も来てゐられた筈だが会って話をすれば、
必ず泣かれてしまふと思ひ僕などにはうまい口が聞け
ないので遂に遺族には会はずにしまった。卑怯な
フルマヒだったか。中村中尉、下山中尉等は遺族
にアイサツして泣かれてしまって困ったと言ってゐた。
中食時に将校団、両大隊長に召集解除の申告
してしまふ。すぐ帰る。
慰霊祭に来た川代、佐藤両氏が先に帰って
佐藤君の家で待ってゐるから是非来いと言はれ
僕と、大野と行く。下山、木村等は始めは行く
と言って乍ら行かないで帰ってしまった。三時頃
京橋の佐藤君の家へ行く。川代氏は来ない。
途中から下山氏が来る。麻雀を半卓やってから
近所の宮川と言ふうなぎ屋へ案内され御馳
走になる。此の所人の家へ行っては御馳走になるばか
りだ。下山氏、大河原氏等に大変御馳走になって
ゐるのに又佐藤氏から御馳走になる。帰還者だ
とて此んなに迷惑をかけていゝものか。
九時頃家へ帰る。軍服の假縫は今日だったの
だが佐藤君の家へ行ったため行きそこなって
しまった。

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第三次 小泉内閣
こんな内閣でいいんだろうか?日本はこれからどうなるんだろう?
こんな不安な気持で内閣改造のニュースを聞くのは初めてだ。

息子や孫を戦場へ送り出すことだけはしたくないという思いがつのる。

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