やっぱり雨。仕事を片づけて、送り出してからベッドに飛び込んだせいか、寝つきが悪くて、最後に
見た時間は午前6時半。まあ、寝つきが悪いといっても、ほんとうに目が冴えているわけでもなさそう
だから、3時間もうとうと、悶々としていたってことか。でも、正午直前に起きてみたら、やっぱり少し
ばかりまぶたが重い・・・。
月曜日。あちこち買い物に走り回るつもりだったけど、雨だからダウンタウンでだけのショッピング。
やっぱり慣れっこのバンクーバーっ子でもだらだらと雨が続くと「やる気」が低下するものらしい。ま、
「季節性へたれ症候群」とでもいったところ。ツレアイ君がDVDのディスクを買いに行っている間に、
極楽とんぼはHマートで、郊外の店で見つけられなかったものを買い足し。ついでに今日の漁獲は
「yellowtail」の半身2パック(つまり1匹分)。たしか「ハマチ」だったっけと、辞書を引いてみたら、あら
「ブリ」と書いてある。へえ?と思ってググって見たら、「カンパチ」ともいうそうな。成長にしたがって
名前がくるくる変わるから「出世魚」というらしいだけど、今日のyellowtailは頭と尻尾を取った長さ
が25センチくらい。ふむ、出世街道のどこらへんで網にかかっちゃったのかな、これ?
とんぼもだらついた気分で、小町横丁の井戸端会議を冷やかしに行く。だけど、タイトルを見ただけ
では「はあ?」とか「ええっ」というお悩み相談が多いもので、つい座り込んでしまう。たとえば、「幸せ
な結婚生活は、努力だけでは得られないのでしょうか」という切実そうな悩み。「飲む、打つ、買う」の
三拍子夫に手を焼いているのかと思ったら、「努力すれば望みは叶うと思って生きてきたのに、望ん
だ結婚生活が得られなかった」と、これまたえらく落ち込んでいるようす。大学院まで出て、共働きで
収入も夫より少し多めだというから、ほんとうに努力ひと筋だった人なんだろうけど、そういう人の理
想の結婚生活が「旦那様が奥様をお姫様のように大切にしてくれる」イメージ。それが得られない、
まだ努力が足りないのか、と。「具体的な不満は思いつかない」というから、ご当人は「幸せ感」がな
くて悶々としていても、傍目には「どこにでもいる普通の夫婦」なんだろうに。
だけどなあ、「努力すれば望みは叶う」って、誰がそんなことを信じ込ませたんだろう。文科省のお役
人が作った教育指導要領か?「努力すること」と「望みが叶う」とでは、とんぼには何となく矛盾して
いるように感じる。要するに、「求めよ、しからば与えられん」ではなくて、「努力せよ、しからば与えら
れん」。でも、「求める」も「与える」も他動詞。一方、「努力する」は自動詞。望みが「叶う」のと「叶え
る」のとを見ても、向こうから来るのと、こっちから行動するのとで、エネルギーの向きが正反対。努
力すれば与えられる・・・やっぱり矛盾しているんじゃないかなあ。早い話、望みが叶うのは棚ぼたで、
望みを叶えるには自分の努力が必要ってことじゃないかと思うんだけどなあ。でも、「努力すれば望
みが叶う」と思って生きてきたこの人にとっては「努力すること」そのものがすべてになってしまったん
だろうな。努力さえしていれば、望みは誰かが叶えてくれる(実現してくれる)、と。
もちろん、「人事を尽くして天命を待つ」という格言もあるけど、これは「やれるだけのことをやったか
ら、後は運を天におまかせ」ってことで、天が与えてくれるものを受け入れるという心構えがあっての
こと。全力を尽くして努力したからって、天は必ずしもこっちの望む通りにしてくれるわけじゃないし、
人と交わって生きている以上はいくらがんばっても思い通りに行かないことの方が多いかもしれない。
まあ、恋愛や結婚生活、子育てなんてのは思い通りに行かないことの最たるもんじゃないのかなあ。
でも、「自分にできることはすべてやった」という一種の(自己)満足感が天命を受け入れる心のゆと
りにつながるんだと、とんぼは思うんだけど、まあ、自己のつく言葉が否定的に使われる文化ではそ
れも難しいのかもしれないなあ。
見た時間は午前6時半。まあ、寝つきが悪いといっても、ほんとうに目が冴えているわけでもなさそう
だから、3時間もうとうと、悶々としていたってことか。でも、正午直前に起きてみたら、やっぱり少し
ばかりまぶたが重い・・・。
月曜日。あちこち買い物に走り回るつもりだったけど、雨だからダウンタウンでだけのショッピング。
やっぱり慣れっこのバンクーバーっ子でもだらだらと雨が続くと「やる気」が低下するものらしい。ま、
「季節性へたれ症候群」とでもいったところ。ツレアイ君がDVDのディスクを買いに行っている間に、
極楽とんぼはHマートで、郊外の店で見つけられなかったものを買い足し。ついでに今日の漁獲は
「yellowtail」の半身2パック(つまり1匹分)。たしか「ハマチ」だったっけと、辞書を引いてみたら、あら
「ブリ」と書いてある。へえ?と思ってググって見たら、「カンパチ」ともいうそうな。成長にしたがって
名前がくるくる変わるから「出世魚」というらしいだけど、今日のyellowtailは頭と尻尾を取った長さ
が25センチくらい。ふむ、出世街道のどこらへんで網にかかっちゃったのかな、これ?
とんぼもだらついた気分で、小町横丁の井戸端会議を冷やかしに行く。だけど、タイトルを見ただけ
では「はあ?」とか「ええっ」というお悩み相談が多いもので、つい座り込んでしまう。たとえば、「幸せ
な結婚生活は、努力だけでは得られないのでしょうか」という切実そうな悩み。「飲む、打つ、買う」の
三拍子夫に手を焼いているのかと思ったら、「努力すれば望みは叶うと思って生きてきたのに、望ん
だ結婚生活が得られなかった」と、これまたえらく落ち込んでいるようす。大学院まで出て、共働きで
収入も夫より少し多めだというから、ほんとうに努力ひと筋だった人なんだろうけど、そういう人の理
想の結婚生活が「旦那様が奥様をお姫様のように大切にしてくれる」イメージ。それが得られない、
まだ努力が足りないのか、と。「具体的な不満は思いつかない」というから、ご当人は「幸せ感」がな
くて悶々としていても、傍目には「どこにでもいる普通の夫婦」なんだろうに。
だけどなあ、「努力すれば望みは叶う」って、誰がそんなことを信じ込ませたんだろう。文科省のお役
人が作った教育指導要領か?「努力すること」と「望みが叶う」とでは、とんぼには何となく矛盾して
いるように感じる。要するに、「求めよ、しからば与えられん」ではなくて、「努力せよ、しからば与えら
れん」。でも、「求める」も「与える」も他動詞。一方、「努力する」は自動詞。望みが「叶う」のと「叶え
る」のとを見ても、向こうから来るのと、こっちから行動するのとで、エネルギーの向きが正反対。努
力すれば与えられる・・・やっぱり矛盾しているんじゃないかなあ。早い話、望みが叶うのは棚ぼたで、
望みを叶えるには自分の努力が必要ってことじゃないかと思うんだけどなあ。でも、「努力すれば望
みが叶う」と思って生きてきたこの人にとっては「努力すること」そのものがすべてになってしまったん
だろうな。努力さえしていれば、望みは誰かが叶えてくれる(実現してくれる)、と。
もちろん、「人事を尽くして天命を待つ」という格言もあるけど、これは「やれるだけのことをやったか
ら、後は運を天におまかせ」ってことで、天が与えてくれるものを受け入れるという心構えがあっての
こと。全力を尽くして努力したからって、天は必ずしもこっちの望む通りにしてくれるわけじゃないし、
人と交わって生きている以上はいくらがんばっても思い通りに行かないことの方が多いかもしれない。
まあ、恋愛や結婚生活、子育てなんてのは思い通りに行かないことの最たるもんじゃないのかなあ。
でも、「自分にできることはすべてやった」という一種の(自己)満足感が天命を受け入れる心のゆと
りにつながるんだと、とんぼは思うんだけど、まあ、自己のつく言葉が否定的に使われる文化ではそ
れも難しいのかもしれないなあ。










