まだ手をつけるつもりはないんですけど、本棚の整理をしてみようという気持ちがあって、現状がどうなっているのかをもうちょっとチェックしておいてもいいんじゃないかと思いました。
庭に面した掃き出し窓の両側に本棚を置いています。この写真は+5の露出補正をしていて、そのことからわかってもらえる人もいると思いますが、本には直射日光があたりません。なかなか良い場所に設置できたと思っています。
この写真のあたりは、現代の日本の作家たちの作品を集めていて、左側が男性作家(宮城谷昌光など)、右側が女性作家(塩野七生など)になっています。ある意味では、古代中国vs古代ローマみたいな構図もあったりします。
坂口安吾は、高校生になってから読み始めたと思います。たぶん、最初に読んだのは『堕落論』で、そのときは何とも思っていませんでした。有名な作品を読み終えた・・・というところでしょうか。
でも、3年の夏休み、ある本(何だったのかは覚えていません)の巻末にある著者略歴で、新潟中学(旧制)を退学するときに机の天板に「余は偉大なる落伍者となつていつの日か歴史の中によみがへるであらう」と彫りつけたというエピソードを読んで、何故か、はまってしまいました。受験勉強がうまくいかなくてイライラしていた心情とシンクロしてしまったのだと思います。
それからしばらくは、安吾ばかりを読んでいたと言っていいかもしれません。当時、角川文庫から出ていた安吾作品は全部読んだと思います。
どういう作品をどういう順番で読んだかということは覚えてないのだけど、最初の頃は、外国作家の作品が多かったと思います。あえて一冊をあげるとすれば、アガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』ですね。メモをとったり、時系列の表をつくったり、ウンウンうなりながら読んでいたのだけど、突然、犯人がわかったのです。うれしかったですね。
クリスティはけっこう読んでいるはずなんだけど、本棚には1冊しかありませんでした。処分しちゃったんだと思います。1冊だけあるのは、残しておいたんじゃなくて、処分し忘れたんだと思います。
でも、この記事を書きながら考えてみたんですけど、筒井康隆は高校生の時に読んでいるんですよね。どこで買ったか、どこで読んだか・・・などということをそれなりに覚えているんですよ。
高校3年の夏から秋、冬にかけて、本を読んでばかりいたことになります。それで、春が来なかったんですね。現役のときに受験した大学はすべて落ちました。