ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

パラグアイとグアラニの魂に祝福を!

2005-10-14 02:54:26 | 南アメリカ

 南米諸国の中にあり、アルゼンチン、ブラジルといった音楽大国に囲まれて、なんとなく宙に浮いたようなと言うか、あまり特有の音楽のイメージがはっきりしないのがパラグアイという国ではないだろうか。少し音楽に詳しい人なら、南米独特の小型ハープである”アルパ”の優秀な演奏家を多く排出している国である、なんてあたりを知ってはいようが。
 実際、今回のこの小文のための映像を求めてパラグアイ音楽に関して検索をしてみたが、引っかかってきたのはアルパやその演奏風景ばかりだったのだ。

 実はこの国の音楽で興味深いのが、アメリカ大陸先住民であるグアラニ人の文化が、色濃く影を落としている点である。たとえば、パラグアイ国民の人種を検めると先住民とヨーロッパよりのスペイン系移民の混血であるメスティーソが多数を占めるのだが、同じような状況にある他の南米諸国でも、パラグアイのように先住民の言葉がここまで”公共のもの”として生き残っている国も珍しいのではないか。
 ブラジル以外の南米圏では、大衆音楽もほぼスペイン語で歌われているわけだが、ここパラグアイにおいては先住民の言葉、グアラニ語で歌われるものも数多いのだ。それゆえ、つまり聞きなれたスペイン語で歌われていないがゆえにパラグアイ音楽を苦手とするラテン音楽ファンもいると以前聞き、それはいかがなものかと首をかしげながらも、半分くらい気持ちは分かるようにも思えた記憶がある。実際、聞きなれない者の耳には面妖な響きを残すグアラニ語である。
 パラグアイにおいてなぜ、先住民文化がそのような生き残り方をしているのか、浅学にして詳細を知らず、このあたりは勉強の余地ありと自戒しておく。

 ここにあるのはパラグアイの大歌手である、Rafael Acosta Vallovera が1998年に発表した、その名も”パラグアイ”という真正面のタイトルのアルバム。パラグアイの愛国歌とでもいうべきレパートリーを中心に歌われているそうな。もちろん、グアラニ語の歌も収められている。
 聴いてみると、なんとも清々しい美声が朗々と響き渡る。いかにも”国民的歌手”という貫禄。ふと三波春夫先生のことなど思い出したりする。歌われるメロディも、素朴で美しい民謡調が多く、国威発揚歌とはいえ、ヒステリックな絶叫調とは対極にあるのどかさである。
 もちろん、国民的楽器であるアルパも大活躍。それをメインに、ギターやアコーディオンが活躍する、サウンド作りもまた実にのどかな愛国歌集である。

 ヨーロッパから持ち込まれたポルカのリズムが八分の六拍子と四分の三拍子の混合リズムに変化した、そんな歴史があるという、ウルグアイ音楽独特の流れるようなリズムに乗り、歌声は高く高く舞い上がる。こせこせした日常を送る我が国とは、まるで別の時間が流れているのがパラグアイなのだと思い知らせてくれる。
 なんだか静かな田舎の街で日向ぼっこをしているみたいな気分になってくる、などと言ったらパラグアイの人に叱られてしまうかも知れないが、いや、これは誉めているつもりなのだが、実際、このゆったりとした時の流れに乾杯をしたい気分だ。パラグアイとて、今日の過酷な国際政治の気流と無縁でいられる筈もないのだが、ともかくこのような音楽が存在できる現状を祝福しておきたい。


(写真は、パラグアイの街角でアルパを弾く男。Rafael Acosta Vallovera の写真は、WEB上では見つけられませんでした)



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