ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

時間鉄道の旅

2012-05-16 02:24:00 | アジア


 ”remake Romantic 1”by Soe Young Eun

 このジャケ写員、電車の乗降口なのだろうか。駅の向こうに広がる情景を眺める彼女は、何を想っているのか。この電車で、どこかへ行くところなのか、それとも彼女は、元いた場所に帰るところなのか。
 彼女に関しては、確か2年ほど前、出たばかりのアルバム、”Rainbow”をここで取り上げたことがある。You-tubeのコメント欄に「美人じゃないけど歌はうまいね」とか書かれちゃった彼女が、人の良さそうな笑顔で粉雪舞う空を見上げ、クリスマス近い街角の叙景を歌っている、そのアルバムが大好きだったから。(ちなみに、私は彼女を可愛いと思っているのだが)

 という訳で、韓国の実力派ポップス歌手、ソ・ヨンウンである。元々はジャズ歌手であり、その後、テレビ番組のBGM用の歌手を経てポップスの世界に足を踏み入れた。彼女の韓国ポップス界における立場を私は、日本で言えば岩崎宏美みたいな感じかと推察しているのだが。
 これは、そんな彼女が2004年に世に問うた懐メロ集、”remake Romantic”の第一集である。韓国で過去にヒットした歌の中からセレクトしたものをカバーした、とのことだが、それらの歌のどのあたりに韓国の人々が特別の感慨を持っているのか、もちろん当方もよくわからず。ただ、彼女の達者な歌声の向こうに浮かぶ感傷の蜃気楼を眺めるのみ。

 一体自分はどの時代あたりの韓国の街をさまよっているのだろう。どの曲も過度に思い入れず、軽い仕上がりが心地好い。特にボサノバ・アレンジのものが出来が良く、このあたりにソ・ヨンウンの資質があるようだ。
 などと気持ちよくなっていると、終わり近く、急に聴き知った曲が飛び出してきて、しかもその曲が曲なのでドギマギする。それは「離別」というタイトルで我が国でも知られている曲であり、このタイトルに「イビョル」とカナが振られたりする。「いつかは思い出すでしょ、優しい人だもの〜♪」とかいう日本語詞がつき、サラリーマンのオヤジたちが演歌の扱いでカラオケで歌っているのをご記憶の向きも多いだろう。
 そういや、あの頃は韓国の幻想と言えばオヤジたちの専売特許ではなかったか。韓流などは思いもよらず。

 ソ・ヨンウンのヴァージョンは演歌よりは賛美歌に近い仕上がりとなっている。で、次の曲は本物のクリスマス・ソングで締めとなり。なんか彼女のアルバムって、どれもどこかにクリスマスの気配が秘められているって気がしないか。などと思ってしまうのは、ソ・ヨンウンのポヤッとしたキャラクターに引きずられているのか。
 ともあれ。季節外れのクリスマス幻想のうちにも、時はさらに過ぎて行く。


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エチオピアにおける爆発

2012-05-14 02:53:50 | アフリカ

 ”Ale Gena - Ethiopia”by Badume's Band

 ああ、こりゃ良いや。なんかエチオピアの新バンドらしいんだけど、あの国のアフリカ音頭というかソウル追分というか、泥絵具をに塗りたくったようなえげつなくも濃厚なコブシ&ジャンプの音楽世界が見事に躍動している。
 ”バンド”と名乗っているように、その躍動がセッション的じゃなく、タイトにバンドとしてきっちりまとまっている感じがとても良い。

 ボーカルのゼメネ女史もパワフルで泥臭くて、素敵であります。また、冒頭のサイケなフレーズで、一発でもっていってくれたギターなど、なかなか達者にバンドをリードしていて、こいつも心地好い。でも楽器のソロなど聴くと、ホントの狂気を秘めているのは、サックスの奴のような気はする。
 でも、このバンドも、楽器のプレイヤー連中はヨーロッパ白人が主体ってところがちょっと寂しいような・・・まあ、出てきた音が良ければそれでいいってことなんだろうけどね。

 収められている曲も面白いものばかりで、嬉しくなりますなあ。
 3曲目の、アタマは”五木の子守唄”みたいで、サビで”新撰組の歌”みたいになるジャパネスクなメロディなんか傑作だね。私はこの曲、ゼメネ女史が袴を履いて金の扇を持って剣舞を踊りながら歌っているに違いない、金屏風の前で、なんて図を思い浮かべながら聴いて、ニタニタしていたのさっ。


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短調の風吹く街角

2012-05-12 05:44:26 | その他の日本の音楽

 アイドル・グループの”嵐”が毎回ゲストのチームと、運動会の余興のごときゲームに興ずる、という番組があるが、あそこで演じられる、なんといったかな、サッカーの要領で大きなボールを蹴り、点数の記された缶の積み上げられたものを倒す、というゲームがあるのだが、そのバックで流れる音楽はなんなんだろう。以前から気になってならない。
 女の子たちの嬌声に囲まれて行われる楽しいゲームのBGMの割りには、なんだか物寂しい短調のメロディであり、奇妙に耳残りする。ふと遊びに出かけた隣町で、迷子になってしまった子供の脳裏にずっと響き続けている、みたいな手触りがある。

 まあ、検索一発であの曲の素性は分かるのかも知れないが、あえてそのままにしている。そのまま正体しれずにしておいたほうが、我々には感知し得ない、隣り合って存在するもうひとつの世界から、なんらかの意図をもって送り付けられたメロディがこっそりこちらの現実に紛れ込み、そこで鳴っている、みたいな幻想を弄べるからだ。

 こんな幻想を初めて抱いたのは、子供の頃、街に流れる小林旭の”ズンドコ節”を聴いて以来である。
 あの歌に当時の私は、冒頭の「街のみんなが振り返る」という辺りのメロディに、なんとも言えないうら寂しさを感じてならなかったのだ。
 そいつは例えば、見知らぬ町で迷子になった子供の、夕闇迫る街角に立ちすくむ孤独な胸に吹き込む薄ら寒いメロディ、そんな風に受け取られた。「街のみんなが振り返る」のも、見知らぬ子供が泣きべそかいて日暮れの街角に立っているからではないのか。

 今、あの歌を聞き返してみると、むしろ恋する若者の幸福な心情を描いた歌であるのであって、ガキの頃の私は、なんであの歌をそんなに悲しいものと受け止めていたのか。
 いや、あの頃の日本は暗かったから。そんな時代だったから。街角は普通に泣いていたんだよ、いつも。戦後の復興はしたと入っても、傷痍軍人なんてのも、まだまだ普通に見かけたしね。
 なんて訳の分からない答えを胸中に用意しているのだが、「なんでお前は子供の頃にそんな幻想を・・・」なんて問いかけてくる者も、いはしないのである、もちろん。


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カンボジアのロックな日々

2012-05-11 05:59:47 | アジア

 ”cambodia rock spectacular!”

 1960年代の終わりから70年代初めにかけて密かに燃え上がり、そして儚く消えていったカンボジアのサイケデリック・ロック。もちろんそれはそのまま歴史の闇に消えてよいはずのものではなく、すでに素早い人々のアンテナはその存在を受信済みであり、その全貌は徐々に明らかにされてゆくのだろうが。
 そのための鍵の一つが、このアルバムだろうか。
 とにかくここに収められている当時のレコーディングの数々には、まさに口をあんぐり。あの国の、しかもあのような時代背景において、ここまでぶっ飛んだ”ロック”が演奏されていたとは。唖然とするばかりである。

 それまでのカンボジアにどのようなポピュラー・ミュージックが存在していたのかは知らない。が、ある日、ジミヘンやらクリームやらといった連中がかの国の大地に降臨し、一夜にして天地はひっくり返り、ファズ(ディストーションなんてナウい言葉は使いたくない。似合わない)の効いたギターのサイケなソロがカンボジアの夜を切り裂いていったのだ。
 同じ時代のアジアにおいて、などと言って我が国のGSやら韓国のシン・ジョンヒョンなどを持ち出すのも我ながら芸がないが、思いついたんで書いてしまう。 
 それら東北アジアのサイケデリック・ロック勢は、ゴールデン・カップスにしてもジョンヒョンにしても、生真面目に真正面から”サイケ道”に対峙していたのだが、こちら南のカンボジアの地では、山があるから登る、ロックがあるからロックする、といった、より身軽なノリが支配していた感がある。

 各楽器も歌手勢も、ともかく出す音に屈託がない。めいっぱい行く。容赦なくロックである。取り上げられる楽曲は、当時のカンボジアの人々が創造した”ロック的なるもの”であったり、アーシーなカンボジアの伝統音楽色濃いもののロック化であったり様々なのだが、どれも奔放な感性で歌い上げられており、聴いているうちにこちらの心まで広々としてくるようだ。特に、駆け回りっぱなしといった感じのギターやキーボードには、拍手を贈りたい。
 そんな彼らのほとんどがこのレコーディングの後に、悪名高きクメール・ルージュ政権により惨殺される運命にあるのだが、それは今のところ、その事実を一行記せばいいだろう。それよりも彼らが生ある日々に成し得たロックな時間に光が当てられる事を切に祈りたい。


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アララテの山発、ダマスカス行き

2012-05-09 04:06:08 | イスラム世界

 ”Hal Asmar Ellon”by Lena Chamamyan

 今、一番気になっている盤といえようか。彼女はシリアの歌手で、この盤でもシリアの古謡を今日風にアレンジしたものを歌っているとのことなのだが、どうも”シャマミアン”という苗字の響きが怪しい気がする。ジャケ写真の顔立ちなど見るにつけても、純粋にアラブ人である、とも考えにくいのだ。
 で、You-tubeを覗いてみれば、彼女の名の後に(アルメニア人)と断っているものがあったりする。

 ははあ、アルメニア人なのかとジャケの解説を見直すが、彼女の経歴に関してはシリアのダマスカスに生まれて幼い頃から歌い始めた、なんて記されているだけ。アルバム全体の解説を見ても、伝統音楽に関する簡単なコメントがあるだけで、このへんの疑問に答えてはくれない。わずかに一言、「彼女はアラブの伝統音楽の他にジャズやアルメニア音楽、その他のオリエント音楽に関心がある」とあるだけ。
 ダマスカスの生まれということであるならば、親の代にアルメニアからシリアに移住してきて今日に至る、ということなんだろうか?「アルメニアから来た」というエキゾチシズムで売っているとか?
 まあ、アルメニアもシリアも、いろいろ困難を抱えた国ではある。掘り返されたくない事情もありなのかなあ?と、ここは疑問符で終わっておくが。

 収められている曲も、相当に想像力を刺激するものばかりで、冒頭の曲にしても使われている音階は日本民謡に極似、サビのあたりはほとんど日本の歌謡曲である。それがシャンソン風味のアコーディオンの伴奏で歌われるのだから。
 その他、不思議な曲調の連発となっているが、標的をシリアやらアラブやらに限ったわけではなく、広くオリエント世界の古謡を題材にとった訳で、古代オリエント世界の未知の展開図が透けて見えてくるような幻想が広がる。

 伴奏陣はシンプルな中にジャズ色を漂わせ、カーヌーンなどが鳴り響いてもあまり濃厚にならない民族色、というかたちでミステリアスな楽曲の個性を生かし、好感が持てる。何より軽いのが良い。
 Lena Chamamyan女史の歌唱も、やはり濃厚さを排し、それこそ中央アジア高原を吹き抜ける風みたいな、透明感の中に一筋の哀愁が過ぎる、そんなさりげなさがまた、異郷の旅を行く切なさを、物静かに伝えてくるのだ。
 なにか今後も、折りに触れて聞き返したくなる盤になりそうな気配がある、心に残る一枚である。


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月は今でも明るいが

2012-05-08 05:02:50 | 番外編

 先日は、スーパー・ムーンなんて現象が空では起こっていたんだそうで。そういうことには疎い私も、皆のネット上のやりとりを読んでいるうちに、部屋に座り込んでいるのも惜しい気がしてきて、夜風の吹く海岸通りにうろつき出たのだった。
 スーパー・ムーンがどのような原理か知らないが、月の光の下を歩いていると、このくらいの月の大きさが丁度いいな、という気がして来た。月は大きめの方が心が落ち着く感じだ。

 ふと思いだしたのが、イタリアの小説家、イタロ・カルビーノが著した幻想小説、「コスモコミケ」だった。かって地球の一部だった月が、ゆらゆらと戻ってくる。粘り気のある液体状になってボタボタと地球の上に落ちてくる。そのすっとぼけてのどかな破滅のイメージは、月の美しい初夏の夜にはなんとも似合いの気がする。
 オールディスの「地球の長い午後」なんてのもあったな。とてつもなく長い時を経、すっかり年老いた地球と月が、巨大クモの織り成す糸によって繋がってしまい、クモたちがのんびりと宇宙空間を糸伝いに行き交う、そんな風景。

 ブラッドベリの「火星年代記」に、バイロンの詩だったかを口ずさむシーンがあった。もう、どんなストーリーの流れの中だったかも覚えていないが。
 「月は今でも明るいが、我らはもはやさまようまい。月の光のその中を」
 そこでその一節が読み上げられる意味はよくわからなかったが、詩の発散する甘やかな喪失感とでもいうのか、そんなものが気に入ってしまい、いまだにこの部分だけ忘れられずにいる。

 月とエンタティメントと言えば落とせないのが、あれはなんだったのだろうな、私がほんの子供の頃、アメリカ製の漫画映画が頻繁にテレビから流れていたが、そのエンディングに、「主人公が空飛ぶ月に追いかけれられて走って逃げるが、いつの間にか月は黒人歌手の顔に変化していて、その顔はニヤニヤ笑いながら空から歌を歌いつつ、やはり主人公を追い続ける」といったものがあった。
 その漫画シリーズのエンディングは毎回そうだったが、意味が分からなかった。あれにはどういう意匠があったのか。また、今にして思えば”もっとしっかり見ておけばよかった”というレベルの歌手が”月の顔”をやっていたのでは?という気がして、これはなんとも気になるところだ。

 月の歌、となるとなぜか私の場合、カントリー・ミュージックの開祖、ジミー・ロジャースを思い出してしまう。彼ののんびりとした声で歌われるアメリカ南部の空に浮かぶお月様の姿。
 エイモス・ギャレットが”ジェフ&エイモス”のアルバムでカバーしていた”キャロライナ・サンシャイン・ガール”などをまず、口ずさみたくなる。空に上がった月に別れた恋人の面影を歌いかける曲。”ロールアロング・ケンタッキームーン”とかもあった。また、彼の代表作、”ウエイティング・フォー・トレイン”なんかも、歌われる風景にはずっと月の光が見守っている感じだ。
 これが今日の歌い手、たとえばトム・ウェィツあたりの歌に出てくる月は、やはりちょっと狂気の影が差してしまう感じだな。



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荒れ野の果てに

2012-05-07 04:59:35 | ヨーロッパ

 ”Translucida”by Qntal

 ドイツのエレクトリック古楽バンド。という紹介で合っているのかどうか。
 ともかく演奏されるのは、何百年も前にヨーロッパ各地で書き記された詞、散文などにメンバーが曲をつけたもの。
 歌詞に使われた字句の出どころの多くは”何世紀頃、××で”といった表記で作者名もなく、全体としては”トラディショナル”とクレジットされているので、それこそ古文書に見つけた落書きのたぐいの、無名氏による片々たる文字列の採取のようだ。

 それに対してメンバーが書下ろしたのは、古楽っぽい、あるいはトラッドっぽい汎ヨーロッパ的香気の漂う、アルカイックなメロディである。
 打ち込まれる、パワフルな機械のリズム。古楽器の音色を模したシンセのアンサンブルが刺激的な音の流れを形成する。
 そんな電子楽器メインの演奏に乗せてボーカル担当の女性メンバーが、クラシック・ルーツっぽい、優雅な響きのある発声で歌い上げる。その、どこか悲嘆の響きもある美声は、電子楽器たちの黒く渦巻く流れと絡み合いながら、ヨーロッパの枯野をさすらう。

 収められた歌の全てに、挽歌の佇まいを感ずる。過ぎてしまった運命を深く悼む響きがある。ディープヨーロッパのブルース、なのかも知れない。


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ハリージー湾岸最前線

2012-05-04 01:54:35 | イスラム世界

 ”Benet Ousoul”by Diana Haddad

 レバノンのベテラン女性による、アラブ世界最新流行のハリージー・サウンドに挑戦盤!という感じなんでしょうか。なんて言ったら怒られるかもしれない、堂々の真打ち登場!みたいな貫禄の出来上がりです。

 ところでですね、辛味というのは実は味ではない、なんて話を昔、聞きました。あれは甘味や苦味なんかと同じ舌の味蕾で感じる”味”ではなく、痛みの一種なんだそうで。そうすると、このようなサウンドの中でビシバシ鳴っているのも実はリズムではなく、別の何かなのかもなあ。
 などと滅茶苦茶なことを言い出したくなってしまったのも、アラブ湾岸民俗リズムがグラグラと煮込まれ揺れ動く窯をドスドスと拍ごとに、もうそれこそドイツ民族の得意とするハンマービートの如き容赦のなさで置いて行くような身も蓋もなさに、うわ凄えな!と嬉しくなっちゃったから。

 なんて、誰にも意味が取れないようなことを書いてみてもしょうがないんですが、頭に浮かんだことをそのまま書いたらこうなっちゃいました。まあ、ノリで読んじゃってください。
 こんな訳の分からないことを言い出したくなったのも、この身も蓋もないリズム処理と、それに動ぜず、むしろノリノリでハスキーな声を張り上げコブシを廻し倒す歌手Dianaの姿に、遠世界未来世界のサド・マゾ・ショーを見る、みたいな気分になってきてしまったから。いかん、書けば書くほど意味不明になって行く。

 それにしても、どの曲もさんざん盛り上がった末に、エンディングは「以上、時間となりましたので終了します」みたいな感じでパタッと終わるのが面白い。このあっけなさがまた、コンピューター支配のイスラム社会を幻視させてくれたりしてね。いやあ、刺激的だこと。
 ところでこのCD、ジャケが左右逆になってますね。なんというか、プラケースを開けようとすると、ジャケ写真の歌手を逆立ちさせるようにしなければならない。左利きの人には、これでちょうどいいんだろうか?この処置、何か特別の意味があるとして、その真相をご存知の方、ご教示いただけたら幸いです。


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スターと歌と、、あともう一つのもの

2012-05-03 04:01:32 | アジア

 ”Her Story ”by Star (Byul)

 韓国の、バラードが売りの女性歌手であります。キラキラとゴージャスに光る厚紙を使ったジャケには大きく、”STAR”とネオンサイン風に書いてある。これが芸名なんだからすごいよね。
 なんでもレコード会社が彼女に「空の星のごとくのビッグネームに育て!」との願いを込めて付けたステージ・ネームだそうだから、強力です。なんかデビューするにあたっては英才教育というか、ハードなレッスンがあったようですよ。期待の新人てことで。
 タイに”アーン・ザ・スター”なんて芸名の人がいるが、あの人も同じような事情なのかなあ。

 ジャケを開くと、健康的な人柄をしのばせる明るい笑顔で、彼女が、”スター”嬢が微笑んでおります。その清潔そうなキャラクターをある意味裏切るような彼女のグラマラスな姿態は、いやでも目についてしまいますが、いや、すまんこってす、男のサガです、許しておくんなさい。そういやあ、このCDを買うにあたってもレコード店主氏と、「この巨乳がどうのこうの」とか、そんな話しかしなかったなあ。

 もちろん、期待の新人として会社が命運をかけた彼女ん歌手としての資質になんの問題もある訳はなく、この4枚目にあたるアルバムも充実の内容となっております。
 溌剌としたダンス・ナンバーも心地よく、そして売り物のバラードものは、夢見るような美しいメロディの連発はするものの、その甘やかな世界に酔い過ぎないある種カラッとした”スター”嬢の歌唱が爽やかです。
 そしてまあ、その音楽世界に魅せられるにつけても、やっぱり気になってくるのは彼女の巨乳であります。なんでまた神様は、こんな清純な娘に、こんなにエロい体をお与えになったのか。そういやあ、60年代アメリカのロックバンド、ラビン・スプーンフルに、「そこまで君は素敵でなくともよかったんだ」なんてヒット曲があったなあ。

 スケベなこと言ってんじゃねえよって?はい、そりゃなんと言われても仕方がないと自分でも思いますがね、
 でもまあ、本国である韓国でも皆の考えることは同じのようでして、彼女に義乳疑惑が囁かれている、なんて記事を、韓流好きの人が読む雑誌で立ち読みしたことがあります。まあしかし、そんな噂までたてられちゃうんじゃ、胸がでかいのも喜んでばかりはいられないなあとか、私は”Star”ちゃんの怒りの反論文など読みなら思ったものです。

 その後は、彼女の活動の噂があまり伝わってこなかったから私もStarちゃんのことはしばらく忘れていたんですが、ふと覗いてみたYou-tubeで彼女の出た映画の一場面を見て、唖然とさせられることにあります。彼女は、韓国の女性コメディアンと共演でセクシー・コメディに出ていたのであります。
 それは、日本語字幕がついていないんで詳細はわからないが、セクシー姐さんとブサイク・ギャルの人生を面白おかしく描いたもののようでした。そして我がStarちゃんはもちろん、頭がパーでオッパイばかりが大きいケバい女の役を快調に演じておりました。
 ありゃりゃ、結局、そういうことになっちゃうんだねえと嘆息し、でも一応、見るべきシーンは記憶にとどめねばな、とか思いつつ画面に見入った、その夜の私なのでした。

 それにしても気になるのはStarちゃんが映画のその役を、あくまでも演技としてやっていると受け取るにはあまりにも身につき過ぎた雰囲気で演じていたことだったのであります。染めた髪も厚化粧も、ごく自然にその時の彼女には似合っていたのですね。時は流れるお城が見える、無傷な心がどこにある、と呟いておきしょうか。



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おい、泉谷

2012-05-02 06:23:49 | 時事
 昨日は不思議で仕方なかったのさ、あちこちの会社で「クールビズ」を始めた、なんてニュースでやってたんで。あれは夏の電力消費を抑えるために、暑い日には薄着をしよう、とかいう趣旨だったんじゃないのか。
 なんでこの薄ら寒い気候の日に、クールビズとか言い出すのかと。薄着をしたら、むしろ寒かろうによ。
 あんまり異様だから当方、着ていたTシャツを脱ぎ、長袖のトレーナーに着替えて違和感の表現としてやったのだ。ざまあみろ。

 〜〜〜〜〜

 塩谷とか言う奴が、「フタマタかけました、すみません」とか涙を浮かべて謝ってたが、その必要があるんだろうか。
 そもそも奴に誠意はないかもしれないが、別に犯罪を犯したわけでもなく、そもそも全国民に謝る理由なんかない。

 それにしても汚いのは、その騒ぎの尻馬に乗って、塩谷の旧悪(それも小さなことだ)など持ち出して、無理やり話題に乗ってきた泉谷しげるだ。塩谷が抵抗できない立場であることを見定めた上で。
 品性下劣とは、この泉谷みたいな奴を言うのだろう。

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  山梨の農道で90歳の女性が首輪を離れた土佐犬に噛まれて亡くなったというひどいニュース。
 mixiに、「殺した犬は屠殺、飼い主は死刑では」との書き込みあり、当方もその意見に賛成である。
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