読書日記と読書ノート 第三部(2013年6月~2015年6月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

60、鶴見俊輔全集第一巻「アメリカ哲学」-その2-(2/3)

2016-10-25 06:57:06 | 読書記録
(2)ノートから
パースは、どんな哲学上の意見でも、「これこれの実験をするならば、これこれの経験に出会うだろう」という形に翻訳しなおす。そして、かかる実験条件に翻訳できないような主張は意味なき主張として投げ捨ててしまう。
➁パースの間違い主義。
…われわれの知識は間違いを何度も重ねながら、間違いの度合いの少ない方向に向かって進む。間違いこそはわれわれの知識の向上のためのもっともよい機会である。
③「信念」とは、それに従ってわれわれが行動する用意のある考えのこと。
ジェイムス
➀われわれに出現する個々の経験はバラバラではなく、あるまとまりを持ったものとして出現する。まとまりをつけるものは我々が持つ興味だ。
➁教育とは行動のためにあるものだ。そして、行動は習慣のつながりからなっている。
③習慣を生徒に植え付けるためには、生徒自身が興味を持ち自発的に肉体を動かし試してみようという気を起こさなくてはならない。
④自我の同一性とは。
過去-現在-未来を連続の意識でとらえること。
⑤思想はわれわれを何らかの行動に導くものとしてのみ意味がある。
ホームズ
➀法律(憲法も)の生命は論理ではなく経験にある。
➁憲法は成長するものである。憲法もまた一つの実験的な命題である。憲法の条文の意味は、新たに現われる社会事情によって試され、修正され、変化する。
ミード
➀自我は、ある個人が自分以外の他人の役割を想像できるときに、初めて現れる。
➁どんな自我も、自我としての自覚に達している限りにおいては社会的自我である。しかし、その社会性は、彼が自分が属していると感じている集団の内部における自分の役割の意識に限定されている。
③個人も、自我も、精神も経験も、社会的なものとして発生の時からあり、それらは「コミュニケーション」を通して出現する。
⇔鶴見説
➀私は「自我」であることにおいて、他人の立場を取って自分を見ている。「自我」はすでに「他人」の役割を演じる。その自我がさらに意志によって他の「自我」のパースペクティブを自らの中に取り込んで、より普遍的な新しいパースペクティブを作ろうとする。このようにして精神は、自然の中にさまざまなパースペクティブの組織の原理として働き続ける。
➁自我が自分が取りうるさまざまな社会的役割を内面的に演じてみることを通して、一つの他者としての自我(=me)を意識するとしても、それでは尽くされない自我の能動的な側面(=I)が残る。自我は与えられた役割の総和ではない。自我からは常に予測不能な何か新しいものが現れる。これは一つの新しい出現なのである。

(つづく)
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