読書日記と読書ノート 第三部(2013年6月~2015年6月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

124、ケルゼン「社会学的国家概念と法律学的国家概念」(市立図書館から)-下-(3/3)

2017-03-14 06:41:53 | 読書記録

(2)ノートから-つづき-

①特殊な規範的法則性としての国家的及び法的秩序の理想的体系に対して、現実の生活の一部分、すなわち事実的因果法則性によって導かれるところの人間の行動の一部分が常に対立する。

②法の体系の内容と、これに対立する自然の体系の各部分の内容との間に、ある最高限度を超えないが、ある最小限度をくだらない一致が存在しなければならない。

③何々すべしという当為命題が現実に100%実現されているならば、そのような命令は不必要であって、あえて定立される必要がない。

④逆に、100%ではないにしても、その規範命題が現実に行われていないにしても、その事実によって規範が無効となるわけではない。この意味で法規範体系は自律的である。

 

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…国家は政治的結社である。政治的結社は目的によって定義できず、手段によってのみ定義できる。すなわち暴力を手段とする政治的結社が国家である。

②暴力の独占を法律学的に言えば主権となる。

③権力関係について

…強制する者とされる者とはどちらも強制を根拠づける法規範に服している。両者の間に上下の秩序関係はない。この意味で権力的関係と契約的関係との区別はない。公法・私法の別はない。

④統治権によって権力関係が作られるのではない。統治権は憲法によって作られる。

 

①秩序なき国家の概念は矛盾である。この秩序は法的秩序であるので、すべての国家は法律国家である。

②国家人格、国家法人は擬制である。国家意思もまた国家を人に擬することから生じた擬制。この考えは、意志が帰責の原因であるので、それゆえ国家を意志ある人格とみなした。

③法律学における国家とは、物理学における力、エネルギーのようなもの。現象を統一的に把握するための名辞にすぎない。

④事物の背後に実体を仮定する思考法は、世界の擬人的神話的解釈である。国家もまた法の統一を表現するもの以上ではない。法の背後に実体としてあるようなものではない。

⑤国家は実在ではなく観念である。概念的統一点、法律学的帰責点。

⑥国家と法の関係を神と世界の関係のアナロジーとして理解すると、

 国家-唯一神

 国家学-神学、となる。

⑦国家の主権性は国家の絶対性として主張する。

⑧国家と法の一致は歴史的事実ではなく、論理的仮定である。

⑨汎神論と法・国家一元説との類似。

 神=国家=王(天皇)

⑩「意思」と「人格者」とはともに規範的体系の擬人化。意思は帰責点で、その限りで自由な意思と措定される。自由な意思は原因と理解される。

 (了)


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