読書日記と読書ノート 第三部(2013年6月~2015年6月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

55、権左武志「ヘーゲルとその時代」(岩波新書)-前半-

2016-10-15 06:21:50 | 読書記録
(1)日記から
・2013年11月26日(火)
権左「ヘーゲルとその時代」を読了。あのヘーゲルの難解な所説を最大限に噛み砕いて丁寧に説明している。著者のヘーゲル理解は並大抵ではない。精神という語の含蓄、自己意識や反省といった語の意味、主体と客体の押さえ方、カントの認識論の批判、分離と結合、否定と統一の弁証法など、ヘーゲル哲学の用語のつまずきの石を、地上に降りて説明する。初めて知ったのは、ヘーゲルの柔軟性。ある意味、日和見の政治姿勢。国家主義者=ヘーゲル、は誤解だ。保守主義とも言い切れない。フランス革命と啓蒙思想の落し子だ。自由と理性をあくまで擁護した思想家、ヘーゲル。好著だ。

(2)ノートから
①カントの道徳法則の評。
自ら立てた普遍的法則に従う理性的存在者は「尊厳」をもつから、理性的人間の『尊厳』は、市場で付けられる価格にかかわりなく、無条件の内的価値を持つ。カントは、自分が立てた法にしたがうのが自由だというルソーの自由観念を自律の思想に読み替え、意志の自律から人間の尊厳の理念を引き出している。
②自律的意志は、「傾向性」という自然法則に従う『恣意の他律』から厳格に区別される。

①ヘーゲルは、対立を取り入れた再合一を要求し、生を「結合と非結合の結合」として捉える。←矛盾し対立するものを結合する思考様式。

※自己反省とは、自己を対象化して分離すること。
※分裂に媒介された高度な統一へと回帰する。

②「私が対象を意識する」という意味では、主体と客体は分離した状態となる。だが、抽象化により取りだされた客体も、さらに反省作用を加え、これ概念により構成された思考活動の所産だと自覚するならば、「対象の中に自己自身を見出す」ことになる。主体と客体は高度な状態で再統一される。
③自己意識の反省的構造をモデルとする精神の概念。
④「実体」とはそれ自体で独立して存在する対象を指し、「主体」とは自己自身を自覚する自己意識を指す。倫理的実体は、自己意識が知りうる対象だから、自己意識から区別された『個人の意志を拘束する義務』と意識される。

(つづく)
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