読書日記と読書ノート 第三部(2013年6月~2015年6月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

59、遠山敦「丸山眞男」

2016-10-22 06:43:33 | 読書日記
日記から
・2013年12月4日(水)
遠山敦「丸山眞男」を読了。現実の勢いに流されないために何が必要か。現実を超えた普遍的な価値に依拠し、そこから現実を相対化し、批判する思考法が必要ではないか。この超越的な普遍的価値を理念・イデーと呼ぶ。理念への帰依とそれによる現実批判は、一つは中世カトリシズムの自然法、もう一つはプロテスタンティズムの個人の内面的自由。普遍的価値に依ることで個人の精神の自由が確保され、かくて何ものにも束縛されない主体が形成される。が、意外だったのは、丸山にあっては主体とは実体としてあるのではない、ということ。主体は実践的行為の基点として、いわば点としてあるものだ、という。行為において、実践において人は人である、ということか。
 絶対主義が中間集団の権力をはぎ取り、主権を持った国家とその構成員たる平等な国民を析出した。この国民は無制限な主権行使の対象であるが、同時に内面的な自由を持った主体として国家に対峙する。その論理が現世を超越する価値に起因する自然権=基本的人権だ。理念・イデーへの帰依というのは時間を超越したもの-永遠なるもの-を観念することだともいう。自然のまま、あるがままの現実を突き放し、客観視するためには観念・抽象化の思考過程が必須だ。信仰無き現代人はどんな超越的な普遍的価値に依拠できるのだろうか。

(了)

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