読書日記と読書ノート 第三部(2013年6月~2015年6月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

56、新藤宗幸「教育委員会」(岩波新書)

2016-10-18 06:54:14 | 読書日記
日記から
・2013年11月26日(火)
新藤「教育委員会」を130頁読む。制度論・組織論を主に叙述。おおよそ知っていたことも、はっきり法的に制度化された内容がわかって勉強になる。首長による教育統制が叫ばれているが、実態はすでにそれに近い。教育の一般行政からの独立とは、実は文部省が内務省による影響力を排除する文脈で語られたものだった。その意味で、教育の政治的中立の主張は文部省による官僚的な中央統制の隠れ蓑の役割を果たしてきた。教育行政の上意下達の仕組みは、明治の初めから、戦後の一時期を除いて、今に至るまで一貫してきたことがわかる。教育委員会から首長へとトップが代わっても上意下達のシステムは何ら変わらない。なぜ、こうも上から下への統制が貫徹されるのだろう。もっとも自由であるべき教育がもっとも統制されていて、挙句は政治的に利用されている。公共を官僚が独占してきた典型的な現れだ。

・11月28日(木)
新藤「教育委員会」を読了。考えさせられた。教育の政治的中立とは教育行政の一般行政からの独立とは同じではない。教育の政治的中立のテーゼで、教育委員会の聖域化、といより、文科省による教育委員会を通じた教育統制を可能にしてきた。文科省の実体は自民党の文教族であって、政権与党の教育観を強く反映している。決して政治的中立ではない。著者は教育委員会の独立性を叫ぶよりも、分権化を徹底すべきだと主張する。文科省を解体する。市町村教育委員会と基礎自治体による教育自治権を確立すること。教員人事、教育財政、教育課程、教科書採択などを、こうした基礎自治体に任せるべきだという。国は教育のミニマムな条件のみを定め、後はスタンダードをしめすだけとする。今のような、指導助言・勧告の名で、実質的には中央統制している仕組みを抜本的に改める。教育の独立よりも分権を。これが著者の主張の核心だ。もちろん、橋下のような首長の独善を許さないような制度設計は必要だが、まず、何よりも今の中央官僚統制を廃棄することが大事だという。なるほどと思う。東京都のあの偏向教育は都教委によって行われたものだ。教育委員会の聖域化だけでは解決にならない。考えさせられた。

(了)
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