読書日記と読書ノート 第三部(2013年6月~2015年6月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

閑話1 三陸海岸をまわりました(友人へのメール報告) (10月28日、記)

2016-10-29 08:17:42 | 閑話
3時間ほど前に、家に着きました。柳田国男の「遠野物語」の舞台=岩手県遠野市を朝8時に出発して、花巻から東北自動車道を南下し、雨をついで9時間、距離にして850kmを走破して帰ってきました。往復1700kmを三日かけて廻った計算です。26日(水)にこちらを発ち、圏央道から常磐自動車に入って、ひたすら北上。福島原発の脇を通ったときには、道に設置された放射線の計測器は一気に10倍に跳ね上がりました。車の通行量も少なく、深閑とした感じを受けました。宮城県に入り宮城野原から仙台空間にかけての地域は、建物も何もなくただ一面に平地が広がるだけ。復興計画も緒についていないようでした。一日目の宿は松島海岸駅の近く。土産物店街や五大堂などの観光スポットは観光客であふれていました。それにもまして密度が濃かったのは交通量。車の列が切れず、横断することもままならない。ダンプやミキサー車がひっきりなしに通り、まるでダンプ街道。二日目は、三陸海岸沿いを岩手県の釜石まで北上し遠野へ。R45線沿いの三陸の港町や住宅街はすべて津波で洗われ壊滅しました。5年経った今どうなっているか。海岸線のいたるところで、盛り土工事や海岸堤防工事が行われていました。山側はあちらこちらで斜面を削って宅地造成工事。東北一帯のダンプやブルトーザやクレーン車をすべて集めたような、ものすごい工事です。道路から見える人家の数よりもダンプの数の方が間違いなく多い。松島海岸で見たダンプとミキサー車はこれでした。ヘルメットを被った作業員は目にしても、住民と思しき人はほとんどいませんでした。今、被災地では復興のための大土木工事が金と重機の力で猛烈に進められています。5年前の鎮魂の時と空間は、今はダンプと重機のけたたましい音に変じました。これから5年経ったときにはどんな姿になるのか……。自分の目で見たいと思って出かけた三陸旅行でしたが、実際に行って見ると、自分とはどうしようもなくかけ離れた世界だと思わざるを得ない現実がありました。
 宿泊ホテルから眺めた遠野の朝は雲が立ち込め、ひっそりとしたたずまいで5年前と変わりありませんでした。

(了)
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