読書日記と読書ノート 第三部(2013年6月~2015年6月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

124、ケルゼン「社会学的国家概念と法律学的国家概念」(市立図書館から)-中-(2/3)

2017-03-13 06:50:44 | 読書記録

(2)ノートから

①群衆の結合は心理的には愛(リビドー)の作用である。

②群衆を指導者に結びつける感情もそれと同じである。

③群衆は指導者なしには存在しえない。

④この場合、指導者は具体的人間であるか、ある観念である。

⑤指導者は、群衆中の一個人にとって、自我観念に代置される。個人は己の自我観念を放棄して、これを指導者に変える。


①国家は観念、イデオロギーである。群衆は具体的人格である指導者によって結合されるのではなく、抽象的な指導的な観念の下に統合される。統合は心理のうちにではなく、制度において実現される。


①デュルケームは社会を個人の外に立つ実体であるという。そして、個人に対して命令的性質を持っているという。ケルゼンはここでいう社会とは規範の総体に他ならないと指摘する。

②エルザレムは、個人の外に社会的財と社会集団があると考える。社会的財とは宗教、言語、慣習、法律、等である。それらは、外から個人に強制的に従わしめる力を持つだけでなく、個人の精神を豊かにもする。

※ここでいう社会的財とは、人間が歴史的に作り出した文化のこと。

③テンニースは国家を利益社会とする。観念的・擬制的結合として特徴づける。現実的・有機的結合として特徴づけていない。

④国家は自然の産物ではなく、観念の中で作られたもの。人為的に仮設せられた人。思惟によって初めて構成される観念的存在。

⑤国家(国家意思)とは秩序の、人間の意思または行為の命令秩序の統一体に対する擬人的表現にすぎない。


①集団意思は規範の体系であり、秩序である。

②国家ならびに法は規範体系として当為の世界に属し、存在の世界に属さない。

③自然事象の因果法則性と、法の世界の条件と帰結(要件と効果)の規範法則性とは全く別のもの。

④国家の存在を信じ、秩序の観念が行為の動機となる時、国家は現実存在となる。秩序の観念が動機を与えるとき、そこに権力が成立する。

⑤強制作用は人の心理に働きかけ行為を規制する。

⑥国家は一の秩序の観念以外の何物でもない。

 (つづく)

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