読書日記と読書ノート 第三部(2013年6月~2015年6月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

169、三成・姫岡・小浜 編「ジェンダーから見た世界史」(大月)-後半―

2017-06-02 06:35:30 | 読書日記

日記から-つづき-

910()

「ジェンダーから見た世界史」を120頁ほど読む。女は家庭、男は外、という二領域論が明確な規範として打ち出されたのは近代-啓蒙期以降。このような二領域論に対する批判も近代後期に起こった。それには次のような歴史的理由があると思う。フランス革命後の国民国家の形成と中央集権化が、女は家庭にいて対外的な行為能力を持たない、という規範を作った。ここでは、

・女性を含めたすべての人間の国民化が、国家のために果たすべき役割が、公定された。男は兵隊、女は兵士を生み育てる役。

・中央集権国家はすべての家庭と国民を把握する制度を作った。法律婚主義を全国民に強制できる仕組みを作った。

・キリスト教のマリア像や国王一家の家庭像が、観念的にこうした家庭と女性の役割の公定かに寄与した。

 と同時に、このような良き家庭像-女を家の中に閉じ込めるもの-を批判し、女性の自立と権利主張を求める運動も起こった。その原動力となったのは、やはり人権思想の広がりだったのではないかと思う。当初は男だけの権利だった。が、同時に普遍性-すべての人への適用可能性-を持っていた。身分差別や職業差別など、社会のなかに差別構造がビルトインされているところでは女性の権利主張も生まれない。こうした差別批判の人権意識が生まれるとき、同時に女性差別もまた問題視角にはいる。フェミニズムは近代の産物だ。それにしても、女は内、男は外、の二元論と、リベラリズムの公私二元論はまったくの別物だ。後者は対国家の関係で、自由を確保するために主張された政治論だ。混同してはならない。

911()

「ジェンダーから見た世界史」を読み終わった。近・現代史を中心に-資料の制約もあって-ジェンダーに絡む問題を多方面から多地域にわたって、記述している。ボリュームのある本だった。ジェンダーといえば、今日M先生から葉書が届いた。俺が女性部の定期大会にK先生を呼んで「女性が働くことの意味」と言ったタイトルで講演してもらったらどうか、と手紙に書いたことに反発したもの。女性が働くことと男性が働くこととでは何か意味が違うのか、という趣旨だ。おかしな議論だと思う。女性が働くことに独自な困難があるのは明らかではないか。賃金だけではない。介護のために早期退職せざるを得ないのは女性だ。M先生のように「外で働くのも家で家事をするのも一緒」と捉えていては、いつまでたっても「介護は女のするもの」という差別意識はなくならない。M先生のフェミニズムについて感じるのは、男と女は全て同じにすれば良い、という機械的で教条的な考え。現実は違うにもかかわらず、観念の上で同じだといっていたら、いつまでたっても現実は変わらない。性差を無視したフェミニズムは観念的だ。

 (了)

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 169、三成・姫岡・小浜 編「... | トップ | 170、熊谷奈緒子『慰安婦問題... »

コメントを投稿

読書日記」カテゴリの最新記事