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1949年10月1日、毛沢東は天安門の楼上に立ち中華人民共和国の成立を宣言した。

しかし人民の名前を冠した政権を樹立した毛沢東は、人民のための施策を何一つ打ち出さなかったのである

今でも民主主義人民共和国を名乗る北朝鮮の金正日が、食糧不足の人民のための施策を打ち出さないのと同じである。

5億5千万人の中国人の絶対支配者となった毛沢東は、政権樹立の1年後の1950年10月全国規模で反革命鎮圧運動を開始した。

標的になったのは旧国民党政権にかかわったことのある国民で、毛沢東は反革命という大義名分を造り、国民党に関係があったという理由だけで1年間で300万人を殺している

その際に人民は暴力行為や処刑を見るように強制され、全人民の脳裏には新政権の恐ろしく残忍な光景が刻み付けられている。

この難を逃れた国民党関係者数百万人は大部分が強制労働収容所に送られ、重労働の果てにその多くが死んでいった。

27年に渡る毛沢東の支配下で、強制労働収容所に送られて処刑され又、獄死した中国人は2千7百万人にも及ぶと中国人のユン・チアンは書いている。

1951年末には引き続いて国民を恐怖の力で押さえつける政策として反横領、反浪費、反官僚主義の三反運動が始まっている。

このときに毛沢東は三反運動犯罪者の捕獲ノルマを示し、全国の省を競わせ、383万人の公務員が厳しい尋問と審査にかけられたが、この三反運動そのものが国家による浪費の最たるものとなった。

次に民間の実業家を対象にした5反運動が開始され、まだ資産を没収されていない実業家から無理やり金を吐き出させるための拷問を伴う取調べが実施されている。

汚名を着せられ辱められて生きる犠牲者の姿を見て、国民は毛沢東政権に刃向かうことの恐怖をまたしても肝に銘じることになる。

この結果中華人民共和国5億5千万の人民は、一人残らず毛沢東の奴隷となったのである。

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