幸福的結局

幸福的結局

で仕の匂いを

2017-04-25 12:29:53 | 日記


もともとユリウス暦でも
2月は29日までしかなかったはずですが
(ユリウス暦をつくらせたのは当然カエサルです)、
それは全部の月を30日と31日にわけると
366日になってしまうからなんですね。
うーん、
どうして2月から1日引いたのかは忘れてしま跟團去歐洲いました。
ま、そういう巡りあわせの月なんでしょう。



ここで、
もうひとつの『カレンダーの不思議』が出てくるんです。
「なんで7月、8月って31日の月がつづくの?」
ってやつです。
アウグストゥスは生まれ月を
自分の名前にするだけじゃ満足できなかったんですね。
なんてったって、
《アウグストゥス=尊厳者》って
名乗ってるくらいだから気位が高かったんでしょう。



「いやいや、ボクの生まれ月が30日までで
終わるのなんて許せない。カエサルと一緒じゃなきゃ嫌だ。
嫌なんだよぉ!」って泣き叫び、
2月からなけなしの1日を奪ってしまったんです。


いやはやまったく――と思いますね。
何千年も前の権力者がワガママだったばかりに
2月は28日までしかなくなっちゃったんですからね。
そう考えると腹もたつし、
しかし、あまりにも壮大な話すぎて
どうでもよくなってきます。


いえ、
うろ覚えの話なので、
こうじゃなかったかもしれませんよ。
とくにアウグストゥスが泣き叫んだという件は
潤色しすぎたかもしれませんね。

「一言あれば、まあ、納得もできるんだけどなぁ」って

思うことありませんか?
突然むちゃな仕事をふられたときなんかに
ごくあたりまえのよ日本旅行團うな顔をされると、

僕は思いますね。

もう1年も前のことなのですが、
僕の所属していた店が
ひと月ばかりマネージャー不在に

なったことがあったんですね。
そのときも
なんの説明もなく
ごくあたりまえのように
僕ともうひとりのスタッフとで
マネージャー代理のようなことをさせられたのです。



日月は巡り、
春はきちんと来ていたんですね。
僕たちが気づかなくても
植物たちはすでにそれを知っていたんです。


『クリエイティブ』って言葉がありますよね。
けっこういろいろなシーンで使われる言葉ですけど
なんか曖昧なものに思えます。



日本語であれば
『創造的な』になるのでしょうが
これも若干の曖昧さを感じさせます。


では、
そもそも『創造』ってなんでしょうか?
調べてみると、
1.新しいものを初めてつくり出すこと。
2.神が宇宙?万物をつくること。
(『デジタル大辞泉』より一部引用)
ーーと出てきます。


ま、
想像通り(ダジャレのつもりです)の結果ですね。
ただ、そうなると、
僕たちがよく使う『クリエイティブ』というのとは
すこしだけ齟齬があるように思えます。


すくなくとも
『新しいものを初めてつくり出す韓國旅行團こと』の
『初めて』という部分については
そんなことが日常的に行われているとは思えません。



それなのに
『クリエイティブ』という言葉が日常的に使われていることには
ちょっとした違和感をおぼえてしまいます。
いや、
まあ、そんなことをずっと考えてるわけでもないのですが、
なんとなく気にはなるんですね。



これは、
《我々は真にオリジナルなものを生み出せるのか?》
という疑問を僕が持っているからなのでしょう。

あらゆることが出し尽くされた感のある世界で、
これまで誰も思いつかなかったことを
僕たちは生み出すことができるのでしょうか?
また、
小説でも、絵画でも、音楽でも、
これまで経験したことのないようなものを
読んだり、観たり、聴いたりできるのでしょうか?



そういう
ちょっと悲観的なものの見方をしているので、
僕は『クリエイティブ』という言葉が多用されることに
違和感をおぼえるのでしょうね。



またそれは
曲がりなりにも
小説を書いている人間として
若干の怖れをともないつつ思うことでもあります。
能力の問題もあるのでしょうが
僕は書いているときに
既視感に苛まれたりしているんですね。
自分の書く文章が
すでにどこかで書かれているものに思えるんです。
使い古しの、ありきたりなものにです。



そういう思いを持つことなく
なにかをつくれたらーー他のものに替えがたいものを
つくりだすことができたら、
それは『クリエイティブ』なのでしょう。



死ぬまでにひとつでもいいから
真に『クリエイティブ』といえるものをつくりたいと
僕は願っています。

僕の家には幾つかの置物があります。
あまり無駄なものを持とうとしない夫婦なので
さほど多くはないですが、
どうしても欲しくなってしまったものは
部屋のそこここに配置してるんですね。



たとえば、


これは奥さんが雑司ヶ谷の『手創り市』で
買ってきたクマの置物ですね。
彼の居場所は幾度か変わったのですが、
最近は窓枠に突っ立っていることが多いです。
たまにドングリを持っていたりもするんですよね。




このカラス氏は、
たしか銀座からやって来たような憶えがあります。
けっこうな都会派なんですよね。
彼はたいていテレビ下の棚に鎮座されてますね。
今回は撮影のため外に出てきていただきました。



ウサギが2羽並んでいますね。
彼らも銀座からやって来たんでしたっけね。
だいぶん前のことなので忘れてしまいました。
彼らはここ何年かテレビの前に座りっぱなしですね。


で、
ごく最近、玄関近くにいる2人組なのですが――


うーん、
この置き方にはちょっと問題があるように思えますね。
いえ、
たまたまそうなったというだけなんでしょうが
カエルくんが猫さんかいでいるように見えます。



もちろん、
彼らをこのように配置したのは僕ではありませんよ。
僕にはこんなふうに置くなんてできません。
仕事から帰ったらこうなっていたんです。

でも、
まあ、これはこれで面白いかなと思って
そのままにしてありますけどね。

今日も風が強かったですね。
天候が荒れているようです。
僕はお休みだったので、
午前中は小説書きに費やし
午後は髪を切ってきました。



夕方に美容室から出ると、
風が吹きすさんでいました。


飛行機雲があらわれたかと思ったら、
風にその線をすぐに滲ませていきました。



こういう日には
僕はこの歌を口ずさんでしまいます。

『春だというのに北風にあおられ
街の声にせきたてられ
彼らにあわないから追いまくられ
さすらう気はさらさらないのに



誰が呼ぶ声に答えるものか
望む気持ちとうらはら
今はただすきま風を手でおさえて
今日の生き恥をかく』



泉谷しげるの『春のからっ風』です。
ま、
知ってる人の方が少ないでしょう。
だって、もう40年以上も前の曲ですからね。



しかし、
この歌はなぜか僕のどこかに眠っているようで
ふと、なにかの拍子に口ずさんでしまうのです。



『何でもやりますぜいたくは言いません
頭を下げわびを入れ
すがる気持ち事をもらい
今度こそまじめにやるんだ』



この部分は、
前の仕事が突然なくなってからしばらく
頭を離れませんでしたね。
今の仕事に就いてからも
地下鉄を待つあいだに歌っていたりしました。

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