遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



 

9月15日 十五夜

多くの語り手は それと知らず 自分を癒すために語っています。 演劇をめざすひともそうですが 自覚されないトラウマを持つひとは多い。それが認められたい欲求とかさなり たまさか 自我の溶解という至福を 知ってしまうと もはや 乞食と役者と語り手は三日やったらやめられない....。

けれども 認められたい欲求(一概にいけないわけではない) 幼時のトラウマを抱えたままだと 偏頗な語りになる。特定のものがたりを好み タブー(たとえば性的なもの)が生まれ ものがたりのうつわになれない。なぜなら 知らず知らず自分が癒される語りを繰り返すからです。

つまり 聴き手の心を癒し 再生させ 輝かしい そのひと本来の人生に押し出すような語りはできないのです。

語り手としてはまだ卵ともいえる これらの方々には 語り手としての軸がない。なぜ語るか 根源的な問いがない .... 表向きは子どもたちのため...とか でも根本は 語ると自分がしあわせ.... 語る自分が好き .... ですから えらぶものがたりは 語りやすいもの うけやすいもの やった感があるもの .... 小奇麗な見てくれのよいものになりがちです。

軸というのは生き方そのもの なぜ生きているのかわからない... では糸の切れた凧。天地のあいだに立つ 大地をふみしめ 立つ。生かされていることに 天地の恵みに感謝し 喜び 悲しみをひきうけ からだと魂を 弦にしてものがたりを響きにし 差し出すのです。

軸がないひとは 何度おしえても からだや魂で受け止められない。なんどもなんどもそのたびにつたえる もはやその時間はない。

聴き手のこころに響く語りをするのは簡単なことです。 自分と向き合い みずからの傷をみとめ 癒すこと。からだを調律し 共鳴 共振の楽器とすること。こころとからだをあらため 清め 再生すること。語りのちから を 信じ ひとを信じること 自分を信じること。愛すること。

 



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )



« 十五夜と満月... ヒラリー ウ... »
 
コメント
 
 
 
ブログを始めから読んでみて.… … (結貴)
2016-09-19 00:52:04
lukaさんのブログ今漸く06.4ご子息の結婚式の所です、今日はトータル8時間ぐらい 引き込まれ読んでしまいました。で!!思いました。ブログだけなんて勿体無いと。本という形でブログをUP出来たら私は語りや人生のエスプリとし即買いです
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。