艦船、つれづれ雑記帖

艦船模型好きの筆者が、つれづれなるままにつづる考証とか批評とか

終戦時の「出雲」

2011年07月29日 | 巡洋艦・海防艦「出雲」
「JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR」(第2復員局、1947年刊。昭和館に所蔵あり)によると、終戦時の「出雲」の武装は、15センチ単装砲4門、12・7センチ連装高角砲2基、8センチ単装高角砲1門、25ミリ三連装機銃2基、同連装2基、同単装4基、13ミリ単装機銃2基となっています。

同書から引用すると、配置は次の通りです。

(言わずもがなですが、「出雲」は下です。透かし文字を入れております。取り扱いご注意願います。)

ちなみに、残された転覆状態の写真から考えると、図では、後艦橋の後甲板側に張り出しているように書かれている機銃座ですが、後艦橋ウイング両端(昭和12年頃では40ミリ単装機銃が装備されていた場所)にあったと考える方がいいと思います。

それがうかがえる、写真を貼付します。写真はネットから拾ったものです。

これをみると、図では、後艦橋ウイングに設置されていた13ミリ単装機銃は、後艦橋直前の副砲ケースメートの上の甲板に設置されていたのではないかと思います。

いずれにしても、主砲換装後の「出雲」の健在な姿を写した写真を私は見たことがありませんので、「JAPANESE~」の本に頼らざるを得ないのが現状です。

海防艦「出雲」おまけ

2011年06月10日 | 巡洋艦・海防艦「出雲」


海防艦「出雲」昭和13年上海における写真です。
「昭和13年度第1次練習艦隊巡航記念」写真帖より。

艦載水雷艇が、短艇甲板の右舷前寄りに乗せられているのが珍しい写真と思います。
臨時的な措置なのかもしれませんが、この方が、左舷後ろの「定位置」より、あげおろしに便利だったのでしょうか。

海防艦「出雲」の昭和13年ごろの武装について

2011年06月01日 | 巡洋艦・海防艦「出雲」

昭和12年海軍省年報極秘版(防衛研究所図書館所蔵、昭和13年3月31日調べ)を見ていて、海防艦「出雲」について、ちょっと気づいたことがあります。

それは武装について。20センチ砲4門、15センチ砲8門はいいとして、あと、40ミリ機銃が「6門」となっていたことです。
後艦橋ウイング両端に設けられた40ミリ単装機銃各1基はよく知られていますが、「あと4門は何だろう?」と思ったわけです。

世界の艦船増刊「日本巡洋艦史」の昭和12年上海における「出雲」の写真では、前艦橋下の短艇甲板?(艦橋ウイング一段下の甲板)の前に、機銃台が2つ設けられ、それぞれに連装機銃が装備されているのがわかります。これまでの模型誌やネットなどでは、ここは25ミリ連装機銃2基とされてきました。私もそういう風に思いこんでいました。

しかし、「戦前船舶」第5号(戦前船舶研究会発行)に載っている「機銃型別一覧表」(昭和14年10月11日)を見ると、たしかに、毘式40ミリ単装機銃の欄に「出雲2」と記載されていますが、それどころか、毘式40ミリ連装機銃の欄にも「出雲2」と記載されています。
つまり、「出雲」には40ミリ単装機銃2基と、40ミリ連装機銃2基が装備されていたことになります。そう考えると、年報に載っている6門と一致します。
「日本巡洋艦史」の「出雲」の写真に見られるあの連装機銃は、25ミリでなく、40ミリ連装なのではないでしょうか。

そう思って写真を良くみると、たしかに25ミリにしては太い気もします。
しかし、私は明確に機銃を識別できませんし、写真の機銃は、40ミリにしては細いような気もしているので、自信はありません。
また、「出雲」は日中戦争中、臨時に、後甲板などに25ミリ機銃を設置したこともあるようなので、故障が多かった40ミリを25ミリに換装したということもありえない話ではないとも思います。

私が知らない資料もまだまだたくさんあるでしょうし、今後もリサーチを続けていきたいと思います。一応、みなさんに注意喚起という意味を込めて紹介しました。