『禁じられた遊び♪』

2005~2007年に発信していたブログの保存用です。
『赤土に咲くダリア』&『red』が生まれました。

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62 涙と涙の出会い

2006-07-24 00:19:27 | 心にグッときたこと

 またまた陸上の大会に出かけた。だいたい感動屋の私だが、今日(23日)は思いがけない大きな感動が待っていた。

 前回(『57 宝ものを見た』参照)と違い、東三河の総合大会なので、雨にも関わらず、競技場は大賑わいだった。私のふるさとの中学も参加している。陸上競技場へ来ると、かつての血が騒ぎ、どうでもいいところで走ってしまう。でも、中学生からすると、私は「オバチャン」なんだよな~と思いながら、勝手な定位置(第一コーナーの手前、スタートもゴールも選手の素顔も見える場所)に辿り着いた。

 今日は傘を差しながらの観戦だった。お目当ての鈴木選手が登場すると、私はまるで恋する中学生のような気分になった。スタート直前の走りを見て思わず「ホレボレするよなあ・・・」と独り言を言っていた。前回も書いたが、本当に走りがきれいなのだ。陸上の「全力」とか「一生懸命」とかいうイメージはどうも肩に力が入ってしまうような感じで、見ている側も時に苦しく感じるけれど、鈴木さんは一生懸命でも、どこか余裕が感じられる。その優雅さやしなやかさは、見ているだけで快感を覚えるくらい。これまで様々なスポーツ選手を間近で見てきたけれど、初めて感じる感覚なのだ。

 鈴木選手の近くには、お母さんと思われる女性がいた。色白でかわいらしい方だった。時折激しく降る雨の下、鈴木選手を心配そうに眺めながらも、「これ以上は入っちゃいけない」というラインを守っているように見えた。今日のような雨だと、思わず子供に傘を差し掛けたい親御さんもいるだろうけれど、2人の間には程よい距離感があった。雨に打たれる娘を背後からやさしく見守る様子を見て、「いいお母さんだな。きっといい親子関係なんだろうな」と思った。

 雨の中、800m決勝がスタートし、予想通り(予想以上)の大差をつけて、鈴木選手は圧勝した。全国レベルの力とは本当にすごいものだと感心した。

 前回同様、鈴木選手の身支度が終わった頃を見計らって声をかけに行った(もう、完全に追っかけファンである)。憶えてくれてるかな?と思いながら・・・。少しだけお話しすると、鈴木さんが急に「お父さん」と呼び、現れたお父さんが「ああ、藤村さん」とおっしゃった。これにはビックリした。私は佐藤先生や鈴木選手に本名の○○○は名乗ってあるが、「フジムラ」は伝えてなかったので???と思った。するとお父さんが私のブログを読んだことを教えてくれた。これまたビックリだった。聞くところによると、鈴木選手のお兄さんがネットで検索して行き当たってくれたらしい。「すみません、無断で書いてしまって」とお詫びすると、「いえいえ、家内(←何とお呼びになったか忘れてしまったが)なんて、もともと藤村さんの小説を読んでいたこともあったんで、泣きながら何度も読んでましたよ」と言ってくださった。これまたこれまたビックリだった!!!

 お父さんが競技場内にいるお母さんに電話して、お母さんが慌てて駆けつけてくださった。お互い初めて会うのに、涙涙の再会という雰囲気だった。お母さんが「新聞で知って藤村さんの小説は読んでいたので・・・今回娘のことをやさしく愛情を持って書いてくれて嬉しかったです」と言ってくださり、私の方も、「本当に素晴らしい選手で感動したので書かせてもらったんです。こちらこそありがとうございました」とお礼を言った。お互い雨の中手と手を取り合い涙を浮かべ、といった様子で・・・。

 と書きながら思い出し、今また涙を浮かべつつ、なんだか笑えてきた。

 お母さんと私のやり取りを見ている鈴木選手はきょとんとしていた。お父さん、お母さん、亜由子さんとともに、今度は佐藤先生のもとにお礼を言いに行った。佐藤先生は電話の印象通りとてもさわやかな方だった。佐藤先生もこのブログのコピーを持っていてくださった(笑)。お母さんの話によると、「親は走るのが速いわけでもなくて、突然変異の娘に一番驚いているのは家族なんです」とのことだった。鈴木選手は幼い頃、喘息で苦しみ、無事に育つかな?と心配したほどだったそうだ。私の周りにも喘息持ちの子供さんを持って苦労している友達が何人かいる。その友達に今の鈴木選手の活躍を伝えたいと思った。

 私は母と娘の両方の気持ちに共感し、とても不思議な気持ちになった。この20年が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。私自身、この競技場で20年前の同じ大会、800mを走り自己ベストを出した。健康で何の悩みもなかった。その私が10年後、病気に悩み手術も受けた。そしてさらに10年後の今、2人の子供に恵まれ、こうして陸上の大会を見に来た。お目当ての素晴らしい選手のお母さんは偶然私の本を読んでくれていた・・・。

 不思議な感慨に包まれていた。運命って本当に分からないものだ。身体が強いと思っていてもいつ病気になるか分からないし、身体が弱いことを嘆いたとしても、いつ思いがけない力を発揮するのか分からない・・・。

 私は、鈴木選手が今後陸上で伸びていって欲しいという願いよりも、面白いなあ、幸せだなあと思う人生を歩んでいって欲しいなあと姉のような気持ちになった。

 もっとゆっくりお話がしたかったが、たまたま幼稚園の行事(仮装カーニバル)が夕方からあったので、連絡先をお母さんに渡し、慌てて競技場を後にした。

 帰りの車の中で例のごとく泣きながら、本が縁を深めてくれて良かったなあと思った。鈴木選手のお母さんと話しながら自分の母親に感謝する気持ちでいっぱいになっていた。というのも、私が小説を本気で出版しようと思ったきっかけは母のひとことだった。子宮の病気の話だったので、賞に残っても子供を授かる前は積極的に本にする気になれなかった。その後、無事に出産できた長男が1歳になり、出版を思い立った時、あちこち出版社を当たってみたが、なかなか良い返事がもらえなかった。そんな中、新聞に広告が出ている自費出版専門の会社からは安易に良い返事がもらえた。しかし「お金さえあれば本が出せる」のは違うような気がしていた。でも、お金で本が出せるのも事実なわけで、質に関わらず、あっさりと本を出している人は多くいた。

 胃を痛くしながら悩み、出版の計画を初めて母に伝えると、母がふと「それなりの質はあってもお金で出せないんだったら、そんな金出してやる」と言った(働く母ならではの男前な発言だった)。この言葉が後押しとなってふっと心が軽くなり、私は出版社を本気になって探した。そして出会ったのが作品社だったのだ。小さくてマイナーだけれど、感度の高い本を出していて気になっていた出版社だった。小説を読み、GOサインを出してくれた編集者は元『文藝』編集長で山田詠美さんたちを発掘したひとだった(デビュー作『ベッドタイムアイズ』は好きな小説だった)。

 母の一言がなければ、本は出せなかったかもしれない。農家に嫁ぎながらも自分の道として「生け花」を諦めなかった母ならではの言葉だった。

 子供が親の想像や能力の及ばない先へ進もうとしている時、詳しいことは分からなくとも、親が大きな愛ややさしさで包み安心感を与えることで、子供は伸びていくし、チャンスをつかめる。うちの親にも、鈴木選手のご両親にも共通する深い愛情を思った。

 振り返れば、うちの親も仕事で忙しかったが、私が走る大会をたま~にこっそり見に来ていた。緊張で男子以上のスピードで飛ばし、最後にバテた小学校の町大会。炎天下、できたばかりの競技場で砂のような土を踏みしめて走った郡大会。名古屋での県大会に内緒で来た時は道に迷って私の走る時間に間に合わなかった(予選敗退だったので決勝を見せられず申し訳なく思ったのと、肝心なところで道に迷うのが私の親らしいと思った)。親の気持ちを面映く感じながらも、嬉しかったし、がんばろうと思った。これまで親を困らせるような行動やケンカも多くしてきたけれど(今も時々あるけど)それでも、親からは一貫した深い愛情を感じ、親として駆け出しの今、余計に身にしみる。

 鈴木選手のお父さんとお母さんはとても若々しくて温かい方だった。健全な親子関係は子供を確かに伸ばすと思う。健全な師弟関係も・・・。根底にあるのは信頼だと思う。佐藤先生の素晴らしい指導のもと、ぐんぐん力を発揮している鈴木選手はとても素直な心を持っているんだろうなと思った。

 ぶっちぎりの走りに感動した後、思いがけない出会いから親への感謝を思い出し、自分の今後についても気を引き締めたステキなひとときだった。

                     ☆

 

 帰宅後、昼寝していた子供たちを起こし、園の仮装カーニバルに向かった。毎年恒例の園の夏祭りといった雰囲気で、先生たちも仮装してお出迎え、園児たちはアニメのキャラクターや浴衣、法被、お姫様、天使ちゃん、妖精等々に変身し、華やかで賑やかだった。そんな中、うちの息子の格好は、本人希望の「タコ」!赤い帽子に赤いTシャツ、新聞紙に赤いガムテープをぐるぐる巻いて作った8本の足(針金を忍ばせ、いちおうクネッと曲げて)を付け、口をとがらせ、タコになり切って過ごしました(彼はなぜか今タコブームでここ最近の写真はすべてタコ顔)。息子をタコにするために競技場を足早に去ってきたことがなんだかおかしかった。・・・これも「愛」かな?

********

後日(25日)この感動を伝えたいと、中学時代の陸上の恩師に電話した。先生(今では某小学校の校長先生)も、鈴木選手の存在は当然のように知っていた。同じ日に先生のところへ一つ上の男の先輩(中学時代1500mや800mで県1位だったヒーロー)が20年ぶりに訪ねてきたとのこと。反抗期まっしぐらだった中学時代、私にとって当時も今も素直に恩師と呼べるのはその先生だけだ。大人の愛情が本物かどうか、子供はよく見ているものだとつくづく思う。

 

                                     

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