ありがとうのブログ

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映画「羅生門」を観て

2017年09月21日 14時49分04秒 | Weblog
ウイキペディアより抜粋
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『藪の中』は黒澤明により『羅生門』のタイトルで映画化された。以下、同作により提示された事件の真相である。

激しい雨の中、荒廃した羅生門で雨宿りをする男2人に対し、木樵(映画では杣売りとされている)が語り部となって『藪の中』が語られていく。原作では死体の第1発見者にすぎなかった木樵は、映画では事の顛末を目撃した唯一の人物となっており、その目撃談が最後に語られる。それによれば、盗人は手込めにした武士の妻に情が移り、土下座して求婚する。しばらく泣いていた妻はやがて顔を上げ、武士の縄を切り、2人に決闘を促す(つまり、決闘に勝った方の妻となるとの意思表示)。しかし武士は、盗人の求婚を拒絶しなかった妻に愛想を尽かし、離縁を言い渡す。盗人はその武士の言動を見てためらい、考え込み、最後は武士に同調し、その場を去ろうとする。すると泣き伏せていた妻は突然笑い出し、2人のふがいなさを罵る。罵られた2人は刀を抜き、決闘を始める。しかし両人とも場慣れしておらず、無様に転げ回って闘う。辛くも盗人が優勢になり武士にとどめを刺す。しかし妻は盗人を拒み、逃げ去る。1人残された盗人も、武士を殺した恐怖心から逃げるようにその場を去った。この木樵の目撃談により、映画では「証言者は各々の保身のために嘘をついていた」という一定の結論が出されている。

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1950年放映の作品をBS放送で観た。
主演は三船敏郎、京マチ子、志村僑など、知っている高名な俳優陣だ。

人間のエゴイズムを丹念に表現されていた。
「生きていくために、強盗をすることがなぜ悪いのだ、みんなやっているじゃないか」の主張を問うテーマだった。
登場人物の武士の妻は、男性に寄りかからないと生きていけない女性だから、夫と自分を強姦した後に求婚した男と、どちらによりかかろうか、迷った瞬間があった。
夫の目の前で強姦されたのだから、夫ともやっていけないだろう。
夫を縄で縛った近くで強姦するような男の求婚を受けるような不倫理はないだろう。
ただ、自立できない当時の女性の弱さ醜さが目立った。

現代にある社会保障がまったく受けられない時代に、貧しい人間はいかに誠実に生きていけるのかと考える。
これは今、発展途上国で貧しい生活から抜け出せない人、難民社会で生きている人たちで、希望を見いだせられない人のことを考えた。

自分とて、経済的には豊かではない。
いかに生きていくかは、常に頭の隅にある。

それでも人を押しのけて騙してお金を盗むことはしない自負はある。
餓死しないように、生きる。
最低限の交流ができるような生活をしたい。

いろいろ考えるのはいい。
シンプルな作品はいいな。

すべてに感謝。


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