「フラニーとゾーイー」の「ゾーイー」を読み終わった。
「フラニー」に比べて「ゾーイー」はややこしい文章でなかなか読み進まなかったけど、それら全てがエンディングで昇華され、とてもとても美しかった〜。
(もちろん途中も泣けた箇所あったけど。)
しかし固有名詞や引用が多くてわかりづらい!
聖書の世界観を共通認識としてるから、キリスト教徒じゃない私にはわからないとこが多かった。
私は聖書は読んだことはないが、留守番中に宗教の勧誘おばさんからむしり取った「聖書ものがたり」絵本を一応読んだことあるし、(ありゃ旧約だったが。)わりかし宗教には関心があるつもりだったが、実のとこカソリックとプロテスタントとイエズス会と正教会とバチカンとユダヤ教の何がどーでなんなのか知らない。
アッシジの聖フランシチェスカが小鳥と話せる聖人だなんて、こないだ母とハプスブルグ展を見に行って教えてもらわなきゃ知る由もなかったし、ディキンスンだって今の日本で知ってる若者はそんな多くないんじゃないの?まあ村上春樹ほどにはさ。
どちらも注釈がついてないのには訳者の野崎孝の読者に求めるオタク仲間意識を感じなくもないが、単に時代性の問題なのか?現代において、サブカル雑誌で「エヴァンゲリオン」という名詞の後ろに注釈がつかないように、それを知らない者はこの本を手にとらないだろう、みたいな暗黙のルールがあったわけかな?
現代でも、ディキンスンはアメリカ文学を専攻していた大学生なら知ってるのものなのか、詩や女性文学が好きな人が知ってるものなのか、とにかく(一部の人間にとって)有名な詩人です(よね?)。
私は榛野なな恵の漫画と「KATHY」のダーティーさんのパーソナルジン「CARSON」(綴り合ってないかも。)で知りました。
さて「ゾーイー」の話に戻ると、サリンジャーの遺したグラース家シリーズの2冊目がこの「フラニーとゾーイー」なんですが、私が偶然にも「ナインストーリーズ」を先に読んでいなかったら、この難解な人物設定の兄弟物語を読むのはさっさと放棄してただろうなと。
だって、まるで実在の人物・家族の話を、読み手の私も身内とした上で話されているような、無遠慮で不親切な、「いまさらクドクド説明させないでちょうだい」と親戚みたいな態度で、なんだかこちらの意志や都合は全く知らないみたいな筆者の気持ちが、時にとても温かい、誠実なものに感じられるとは言え、その自尊心の強さ故
の媚びの無さに、カチンと来るものが無いとは言えない。(ごちゃごちゃしたな。要するにむかつくような好ましいような不思議なかんじってこと!)
ただナインストーリーズで読んだ長兄シーモアが、(記憶の片隅でなんとなくだが)魅力的な人物であったことと、自殺した彼が、やはり魅力的な人物故に自殺した友人二人を思わせて、残された兄妹(フラニーとゾーイー)の気持ちが少しわかるような気がしたからかもしれない。
そして読み終わってしばらくして気付いたが、読後感が誰かと似てるな思ったら、大島弓子でした。
てか大島弓子がサリンジャーに影響を受けてるのでしょうね。
「バナナブレッドのプディング」はフラニーの物語みたい。
とか書いたら大島弓子を読み返したくなってきた。
「フラニー」に比べて「ゾーイー」はややこしい文章でなかなか読み進まなかったけど、それら全てがエンディングで昇華され、とてもとても美しかった〜。
(もちろん途中も泣けた箇所あったけど。)
しかし固有名詞や引用が多くてわかりづらい!
聖書の世界観を共通認識としてるから、キリスト教徒じゃない私にはわからないとこが多かった。
私は聖書は読んだことはないが、留守番中に宗教の勧誘おばさんからむしり取った「聖書ものがたり」絵本を一応読んだことあるし、(ありゃ旧約だったが。)わりかし宗教には関心があるつもりだったが、実のとこカソリックとプロテスタントとイエズス会と正教会とバチカンとユダヤ教の何がどーでなんなのか知らない。
アッシジの聖フランシチェスカが小鳥と話せる聖人だなんて、こないだ母とハプスブルグ展を見に行って教えてもらわなきゃ知る由もなかったし、ディキンスンだって今の日本で知ってる若者はそんな多くないんじゃないの?まあ村上春樹ほどにはさ。
どちらも注釈がついてないのには訳者の野崎孝の読者に求めるオタク仲間意識を感じなくもないが、単に時代性の問題なのか?現代において、サブカル雑誌で「エヴァンゲリオン」という名詞の後ろに注釈がつかないように、それを知らない者はこの本を手にとらないだろう、みたいな暗黙のルールがあったわけかな?
現代でも、ディキンスンはアメリカ文学を専攻していた大学生なら知ってるのものなのか、詩や女性文学が好きな人が知ってるものなのか、とにかく(一部の人間にとって)有名な詩人です(よね?)。
私は榛野なな恵の漫画と「KATHY」のダーティーさんのパーソナルジン「CARSON」(綴り合ってないかも。)で知りました。
さて「ゾーイー」の話に戻ると、サリンジャーの遺したグラース家シリーズの2冊目がこの「フラニーとゾーイー」なんですが、私が偶然にも「ナインストーリーズ」を先に読んでいなかったら、この難解な人物設定の兄弟物語を読むのはさっさと放棄してただろうなと。
だって、まるで実在の人物・家族の話を、読み手の私も身内とした上で話されているような、無遠慮で不親切な、「いまさらクドクド説明させないでちょうだい」と親戚みたいな態度で、なんだかこちらの意志や都合は全く知らないみたいな筆者の気持ちが、時にとても温かい、誠実なものに感じられるとは言え、その自尊心の強さ故
の媚びの無さに、カチンと来るものが無いとは言えない。(ごちゃごちゃしたな。要するにむかつくような好ましいような不思議なかんじってこと!)
ただナインストーリーズで読んだ長兄シーモアが、(記憶の片隅でなんとなくだが)魅力的な人物であったことと、自殺した彼が、やはり魅力的な人物故に自殺した友人二人を思わせて、残された兄妹(フラニーとゾーイー)の気持ちが少しわかるような気がしたからかもしれない。
そして読み終わってしばらくして気付いたが、読後感が誰かと似てるな思ったら、大島弓子でした。
てか大島弓子がサリンジャーに影響を受けてるのでしょうね。
「バナナブレッドのプディング」はフラニーの物語みたい。
とか書いたら大島弓子を読み返したくなってきた。









