先週末、神戸まで中学の友人の結婚式に出てきた。良いとこのお嬢さんなので、わりとお金のかかった披露宴だったと思う。
(まあうちの父のときの披露宴ほど金かかってないが。)
彼女とは13〜14歳の時にすごく仲が良かったが、高校の進路が分かれてからは疎遠になった。
私に対しての態度が極端なところもあったのも付き合いづらく感じて、近年はたまに会う程度で、
彼女の12年来の恋人であるとこの結婚相手も今回初めてお会いした。
神戸から帰ってすぐ、マスダユキさん(レーベル「漫想社」主宰、俺はこんなもんじゃない、スッパバンドの鍵盤奏者。ブログ→http://d.hatena.ne.jp/mansoka/)
にケーニヒスクローネのお菓子を渡すために一緒の渋谷のなぎ食堂に行った。
12/9の対談の時に知ったが、彼女は私と同じくケーニヒスクローネが好きで、別にクローネが好きなんじゃなくて、
あの高級感があるようでないような、ナチュラル系ぶってるわけでもなく、オバチャン向けであり子供向けな、生活感のある神戸っぽさが好き。
親しみやすいしちゃんと美味しいし、実があるかんじ。安いし。(喫茶はそこまで安くないけど。)
マスダさんと会うと怖くて目が泳いでしまう(ていうか私は誰と話すときも目が泳ぐ。なので逆に相手の目を見ようと意識しすぎて相手を威圧しがち。)
のだが、なぜか話し出すとけっこう長く話せてしまう。友達の結婚の話、その友達の話などをしていくと、話しながら彼女(その友達)が何故私に固執するのか、自ら分析する流れに。
人に何か話すと、やはり前後関係を説明しなくちゃいけないので、自然そうなるのか。
とか書いてたらitunesで中谷美紀の「砂の果実」が流れてきた。図書館で借りてから最近この曲をまたよく聴き返すわ。
そして結婚式に行く前から成田美名子の「NATURAL」も読み返しだしている。
「これから過去を旅する」
って、この漫画の中で出てくる曲のタイトル?歌詞にあって、作品のテーマの一つを示してるんですが、
なんか正に今、私はそんな時期ってか気分。
だから無意識に手が伸びたのかな。何度も何度も読み返してるので内容は覚えてるんですが、読むたびに泣くし、考えさせられる。
話を戻して、マスダさんと話していて、私とその友達の間にあるものは多分、自分たちの親子関係の問題なのだと説明して、
説明しながら自分も考えるというか、探っているうちに、最近父に対する確執をどう言葉にすればいいのかと悩んだ末に
「愛してるけど、許せない」っていうことかなとわかったんだけど、それだけじゃ片付かなくて。
彼女の親子関係と自分の親子関係を照らし合わせたときに「許したいけど、許せない」「愛してるから許せない」ってのが出てきた。
彼女が時々、自分の親への不満と取れるようなことを言っては、私が「それはヒドいじゃないか」と彼女の親を責めると
「そんなことはない。うちの親に問題はない」と庇う、そういうことがたびたびあり、会話が発展しなくなった。
多分彼女は親に不満を持つ自分自身を許せないんだと思う。親に問題があるのではなく、自分に問題があるのだと思ってる。
でも実際には無意識に親に対する不満や要求がこぼれてしまい、そのたびにそれを覆い隠す。
彼女は私にとってとても救いになった存在で、それはまず父が私の親として半ば育児放棄をしていることを指摘してくれたことが大きい。
彼女と仲良くなって、一緒におめかしして心斎橋まで遊びに行こうとなったとき、私が制服と近所をウロつける程度の服(てか小学校の時の服。ほぼ部屋着。
しか持ってないのを知って「おじちゃん(父)はちゃんとしたメーカーの洒落た服を着ているのに、るんちゃんが生協のトレーナーしか持ってないなんておかしい。おじちゃん、ひどいよ。」
そう指摘してくれたのは彼女だけだった。中学生が高い服を着る必要はないとは思うが、彼女はお嬢様だったし「流行通信」なんか読む中学生だったので父と私の被服の格差に気づいたのだ。
父のフォローをすると、6歳までは母の友人たちが先に産んだ娘たちのお下がりをたくさんもらったり、身近にいた祖父母に服を買い与えられていたが
男手一つで育てるとなってからは、すぐに成長して着れなくなる子供服にはお金をかけていられなかったし、女児服がわからないので男児服しか買ってもらえなかったのもわからないでもない。
時々、父がジーンズを買いに行くときにリーバイスの子供服も一緒に買ってくれたりした。それが父的には奮発して買ってあげたオシャレ着らしいのは、感じた。(Tシャツは今も持ってる。)
彼女のおかげで「男手一つで育ててくれてる」父に対して批判的な目を持つことが初めて出来た。
ずっと、そういうことは思っちゃいけないと思っていた。
だが彼女は、私にそう言っておきながら自分自身は親を批判しなかった。
「十分な親だ」と思うように努力してるようにみえた。
しかし、どこの世界に「申し分ない親」なんかいるっていうんだ。
完璧な人間がいないのと同じように、完璧な親なんかいるわけない。不満はあって当たり前だし、愛情とは別問題だ。
「愛してるから」って理由で全て片付けようとするから、自分の気持ちは抑え込まれ、自分の心を見失って、私を救うことで自分を救おうとしたり、
私を貶めることで自分の苦しみを顕在化させようとしたり、他人を巻き込む。
まあ誰でもやることだけど。
なんとなくだが、私が親に対して精神的に期待してない、てか親を見限ってるようなところを感じ取って、私に何か期待する人がいる気がする。
単に、強がってるだけなんだけど、そういう姿勢をとり続けていられるのは母親のフォローありきだし。
「親から逃げたい」「親から独立したい」なんてのは、生き物が本能的に持ってる当然の欲求だし、それをフォローするのも親の仕事だし、
乳離れさせるために泣きながら子離れするケモノたちと同じでさ。
独立を、親が手伝う。
矛盾するようだけど生き物として種族をつなげるためとしては当たり前のシステムなのだが、
なんでか人間はそれが難しい。独立を親への裏切りだと思ったり、親のフォローを独立の妨げと思ったり。
私は独立したいし、まだ出来てない。群れ動物だから相互扶助なく生きていくシステムには合わないはず。
一匹狼になれるやつは、そうなるしかなかった不幸な人間で、それは推奨される生き方ではない。
もちろん、その人が悪いわけじゃないんだが。
なんだろ、頭グルグルしてきた。
過去を旅するレポートは今日はこのへんで。
(まあうちの父のときの披露宴ほど金かかってないが。)
彼女とは13〜14歳の時にすごく仲が良かったが、高校の進路が分かれてからは疎遠になった。
私に対しての態度が極端なところもあったのも付き合いづらく感じて、近年はたまに会う程度で、
彼女の12年来の恋人であるとこの結婚相手も今回初めてお会いした。
神戸から帰ってすぐ、マスダユキさん(レーベル「漫想社」主宰、俺はこんなもんじゃない、スッパバンドの鍵盤奏者。ブログ→http://d.hatena.ne.jp/mansoka/)
にケーニヒスクローネのお菓子を渡すために一緒の渋谷のなぎ食堂に行った。
12/9の対談の時に知ったが、彼女は私と同じくケーニヒスクローネが好きで、別にクローネが好きなんじゃなくて、
あの高級感があるようでないような、ナチュラル系ぶってるわけでもなく、オバチャン向けであり子供向けな、生活感のある神戸っぽさが好き。
親しみやすいしちゃんと美味しいし、実があるかんじ。安いし。(喫茶はそこまで安くないけど。)
マスダさんと会うと怖くて目が泳いでしまう(ていうか私は誰と話すときも目が泳ぐ。なので逆に相手の目を見ようと意識しすぎて相手を威圧しがち。)
のだが、なぜか話し出すとけっこう長く話せてしまう。友達の結婚の話、その友達の話などをしていくと、話しながら彼女(その友達)が何故私に固執するのか、自ら分析する流れに。
人に何か話すと、やはり前後関係を説明しなくちゃいけないので、自然そうなるのか。
とか書いてたらitunesで中谷美紀の「砂の果実」が流れてきた。図書館で借りてから最近この曲をまたよく聴き返すわ。
そして結婚式に行く前から成田美名子の「NATURAL」も読み返しだしている。
「これから過去を旅する」
って、この漫画の中で出てくる曲のタイトル?歌詞にあって、作品のテーマの一つを示してるんですが、
なんか正に今、私はそんな時期ってか気分。
だから無意識に手が伸びたのかな。何度も何度も読み返してるので内容は覚えてるんですが、読むたびに泣くし、考えさせられる。
話を戻して、マスダさんと話していて、私とその友達の間にあるものは多分、自分たちの親子関係の問題なのだと説明して、
説明しながら自分も考えるというか、探っているうちに、最近父に対する確執をどう言葉にすればいいのかと悩んだ末に
「愛してるけど、許せない」っていうことかなとわかったんだけど、それだけじゃ片付かなくて。
彼女の親子関係と自分の親子関係を照らし合わせたときに「許したいけど、許せない」「愛してるから許せない」ってのが出てきた。
彼女が時々、自分の親への不満と取れるようなことを言っては、私が「それはヒドいじゃないか」と彼女の親を責めると
「そんなことはない。うちの親に問題はない」と庇う、そういうことがたびたびあり、会話が発展しなくなった。
多分彼女は親に不満を持つ自分自身を許せないんだと思う。親に問題があるのではなく、自分に問題があるのだと思ってる。
でも実際には無意識に親に対する不満や要求がこぼれてしまい、そのたびにそれを覆い隠す。
彼女は私にとってとても救いになった存在で、それはまず父が私の親として半ば育児放棄をしていることを指摘してくれたことが大きい。
彼女と仲良くなって、一緒におめかしして心斎橋まで遊びに行こうとなったとき、私が制服と近所をウロつける程度の服(てか小学校の時の服。ほぼ部屋着。
しか持ってないのを知って「おじちゃん(父)はちゃんとしたメーカーの洒落た服を着ているのに、るんちゃんが生協のトレーナーしか持ってないなんておかしい。おじちゃん、ひどいよ。」
そう指摘してくれたのは彼女だけだった。中学生が高い服を着る必要はないとは思うが、彼女はお嬢様だったし「流行通信」なんか読む中学生だったので父と私の被服の格差に気づいたのだ。
父のフォローをすると、6歳までは母の友人たちが先に産んだ娘たちのお下がりをたくさんもらったり、身近にいた祖父母に服を買い与えられていたが
男手一つで育てるとなってからは、すぐに成長して着れなくなる子供服にはお金をかけていられなかったし、女児服がわからないので男児服しか買ってもらえなかったのもわからないでもない。
時々、父がジーンズを買いに行くときにリーバイスの子供服も一緒に買ってくれたりした。それが父的には奮発して買ってあげたオシャレ着らしいのは、感じた。(Tシャツは今も持ってる。)
彼女のおかげで「男手一つで育ててくれてる」父に対して批判的な目を持つことが初めて出来た。
ずっと、そういうことは思っちゃいけないと思っていた。
だが彼女は、私にそう言っておきながら自分自身は親を批判しなかった。
「十分な親だ」と思うように努力してるようにみえた。
しかし、どこの世界に「申し分ない親」なんかいるっていうんだ。
完璧な人間がいないのと同じように、完璧な親なんかいるわけない。不満はあって当たり前だし、愛情とは別問題だ。
「愛してるから」って理由で全て片付けようとするから、自分の気持ちは抑え込まれ、自分の心を見失って、私を救うことで自分を救おうとしたり、
私を貶めることで自分の苦しみを顕在化させようとしたり、他人を巻き込む。
まあ誰でもやることだけど。
なんとなくだが、私が親に対して精神的に期待してない、てか親を見限ってるようなところを感じ取って、私に何か期待する人がいる気がする。
単に、強がってるだけなんだけど、そういう姿勢をとり続けていられるのは母親のフォローありきだし。
「親から逃げたい」「親から独立したい」なんてのは、生き物が本能的に持ってる当然の欲求だし、それをフォローするのも親の仕事だし、
乳離れさせるために泣きながら子離れするケモノたちと同じでさ。
独立を、親が手伝う。
矛盾するようだけど生き物として種族をつなげるためとしては当たり前のシステムなのだが、
なんでか人間はそれが難しい。独立を親への裏切りだと思ったり、親のフォローを独立の妨げと思ったり。
私は独立したいし、まだ出来てない。群れ動物だから相互扶助なく生きていくシステムには合わないはず。
一匹狼になれるやつは、そうなるしかなかった不幸な人間で、それは推奨される生き方ではない。
もちろん、その人が悪いわけじゃないんだが。
なんだろ、頭グルグルしてきた。
過去を旅するレポートは今日はこのへんで。
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