大家族の家

小中高生の学習とスポーツ、遊び、いじめ問題等について昭和50年代に大学入試を経験した世代として書かせていただきます。

結婚観の違い

2010年03月09日 | 結婚
私は2人兄弟なのですが、運動神経抜群の父親に似て、私もスポーツがかなりできていたのですが、弟は、家の中で遊ぶのが好きで、小学校時代、走り幅跳びができなかったり、逆上がりができなかったりで、子煩悩の父親が、グランドに連れて行って、何度も教えていました。

ただ、非常にまじめで、難問は解けないのですが、学校の内申点が非常に良かったです。
運動神経は鈍いのに、体育なんか、10段階評価で、9なんてついたりして、体育の先生
の考えが知れないわけです。

私は、自分で参考書や問題集を見つけてきて、自分で勉強するのが好きで、模擬試験で成績優秀者名簿に名前がいつものように載っていて、塾から、月謝無料で来てくれないかなどと
誘いがあったのですが、母に断ってもらいました。

反対に、弟は、誘われもしないのに、自分から塾に行き、決定的だったのが、高校で数学の成績が、かんばしくなく、母の従弟に大学院生を紹介してもらって、数学の家庭教師に習ったことでしょうか。

医学部を卒業する時、精神科希望だったのですが、当時のガールフレンドが、精神科だけは、かっこ悪いので、止めて欲しいというこどで、消化器内科に入ったのですが、大学院に
入り、基幹病院ばかり勤務で実技が身につかない。(大病院ばかり勤務すると、助手のようなことばかりさせられて、「自分でする」機会が少なく、実技が身につくのが遅くなるのですね)

プライドが高く、母親系のコネで、消化管のペースメーカーの研究をさせてもらい、あと
1本論文を書くなんて言っています。

私などは、精神科など、専攻する気はまったくなかったのですが、やはり、家内に精神科だけは、かっこ悪いので止めてほしいと、言われた記憶があります。

現在は、臨床がいつのまにか、消化器内科から精神科になり、消化管のペースメーカーの
研究と2足のわらじを履いています。

35歳頃までは、何度「早く結婚するように」アドバイスしたかしれません。

私などは、とにかく家事だけは良くできる女性が希望だったのですが、「女医や弁護士でないと結婚しない、食事なんか、コンビニ弁当で充分」という考え。

運動ができないところ、何か性格的に似たところのある、1人息子が弟の影響を受けないように、「私なりの常識」を何度も説いています。

陰湿な「いじめ」なんてなかった

2010年03月03日 | いじめ
幼稚園の頃、背が高くで、体格も並はずれた「暴れん坊」の子が、2人くらいいた。

気に入らないことをすると、どこかを思いっきり叩かれたりしていた。

それでも、反撃して、脚の速い私は、すぐに逃げていた。

しかし、「逃げる」なんていうのは、「しゃくにさわることで」、親父に相撲を

とってもらう時に、「どうしても自分より力の強い子」に勝つ方法を習ってみた。

脚を引っ掛けて、投げ飛ばす方法だった。

実際、やってみると、1人の子は泣かなかったが、もう1人の子は背中までコンクリート

に打ち付けて、大泣きしたが、怪我はなかった。

小学校1年生に上がった時、幼稚園組 対 保育園組で、2人ずつタッグを組んで、

プロレスの物まね。 ちょうど、保育園出身の体格の大きな子に、私が馬のリにのられて

降参したところへ、担任の先生が初めて教室に入ってこられて、かなり怒られた。

プロレスの技なんていうのも、小学校1年生の2学期には「逆えび固め」なんて

していたし、2年生では「コブラツイスト」なども決まっていた。

5−6年生になっても、とにかく腕力勝負で、陰にかくれて、他人の悪口を言うような

子供はおらず、「面とむかって」口げんか をしていました。

まあ、取っ組み合いの「けんか」でしたけど、プロレスの技を決めたり、柔道の

「背負い投げ」などもすることがありましたから、時々、先生には怒られていましたね。

現在でしたら、小学校で 「プロレスの真似事」をするだけで、父兄などから電話でも

かかり、問題になるような時代ではないかと思います。

あるいは、長い休み時間などに、ドッジボールでもして、ボールが当った子が

家に帰っても、ボールが当ったところが「痛い」などというと、まさかとは

思うのですが、「休憩時間はドッジボール禁止」等になるかもしれません。

まあ、当時は5年生対6年生で、角ドッジなどやって、1勝1敗など、

小学校高学年用のドッジボールで、ボールがややホップしたり、低めにくると

砂塵を巻き上げたりする程度の子供が学年120人中5〜6人程度はいましたから。

医学部受験は嫌だった

2010年02月10日 | 医学
自分の場合は、英数国が得意だった。もちろん社会も好きだった。

英数国が基幹科目になるわけだが、社会は世の中にでて、使うので、かなり勉強する

必要がある。

##### ところが、理科といったらどうだろう?

理科系の専門学科に進学しない限り、使わないし、第一、ばかばかしい。

花はどうやって、受粉するだの、おしべやめしべの数が何本だの、

どうだっていい馬鹿げたことだ。

自分は、東大や京大に行きたかった。

ところが、親父が「将来、安定しているから、どうしても医学部に進学

せよ」という。

「東大や京大を卒業したところで、必ずしも成功せず、世間の悲哀を

舐めている人間は、多いというのだ」

「旧 司法試験」−−それは憧れだった。

医学部に進学する人間は、理科にとにかく時間を割く。

数学は”当り、はずれ”があるから、確実に点数の取れる理科

で点数を稼ぐわけだ。

そうやって、数学や理科を一生懸命やるものだから、英語なんてたいしたことがない。

英作文で、ものすごく点数に差をつけてやっていた。

私は、理科はなるべく薄く、内容が濃い本をやって、最低の勉強時間で、医学部の

理科になんとか対処した。

それに、医学部なんていうのは、「そこらへんの工業大学」とレベルの違わない、

私立大学が多くあり、そうした人間と一緒の職場で働いたり、そうした人間で

何年か医師をやっている人間が上司だったりするのが、堪らなく嫌だろうと

考えていた。

英語の学習法

2010年02月05日 | 英語
発音が大切です。

ProgressやTreaserなど、中高一貫教育で採用されている教科書など、まったく必要ありません。

アルファベットでポイントになるのが、BとV,F,L,R,くらいになるのですが、私は高校の英語教諭でした叔父(まあ、国泰寺高校=旧 広島県立広島第一中学校の校長になられて、まったくおかしくない高校〜大学時代の成績でした。広島大学教育学部高等学校教員養成課程
卒業でしたが、東大でも京大でも、軽く合格する成績。また、その頃は、教養から専門課程に上がる時、医学部にも進級できていました)に、発音を習いました。
40人程度の学級に先生一人では、ダメですし、外国人教師を雇って、習わせても、実力は
あまりつかないと思います。

中学1年の1学期は、風呂から上がって、前の鏡を見ながら、30分程度は、口の形の点検と基礎的な発音をやるわけです。
学校で採用になっていたのは、new horizonでしたが、現在でも、口語的表現が多くなって
いますが、new horizonで充分だと思います。

その頃、蛍雪時代か何かで、慶応の経済は入試科目が英語、数学、小論文だと知っていましたから、打算的な私は、英語と数学ができれば、慶応の経済は合格するーーと思っていました。慶応なんて、自慢になるような大学ではないですが・・・

やる気のある子は、new horizonを暗唱しましょう。何度も繰り返し、正しい発音で音読し、教科書がボロボロになるまでやる。

単語や熟語数が少ないですから、市販の単語集、熟語集を覚えましょう。

中学2年生の3学期頃から、高校初級の参考書がマスターできるようになります。

高校になってからは、「英語書き換え問題の急所」「入試英作文の急所」などが、良かった
です。(その頃、灘高校の毛利良雄先生が、他にも「英語正誤問題の急所」など、急所シリーズを執筆され、灘の生徒に使用さされていますが、実際問題としましては、灘の生徒は
他にも教諭が作成した英作文などのプリントを多くこなしているわけです)

絶対に100点はとらせない

2010年02月04日 | 数学
自分の場合、小学校から中学、高校、大学と必ず自分を贔屓して下さる先生がおられ、まだ生きておられる先生とは年賀状などのやりとりがあります。

医師になってからも、医療生協では、可愛がって下さる先生がおられ、その先生は大変激務でしたので、よく当直を代わっていました。〜〜当直をすると、勉強時間がとれますし、小児の喘息の来院がよくあり、小児科が重要だと思っている自分としては、まず非常に細い血管でも、針を入れることが好きでした。

中学1年生の1学期、数学の中間、期末テストでは、ケアレスミスで96点とかで、どうしても100点が取れないわけです。

そこで、700年以上は続いている父の実家に行き、菩提寺で座禅を組ませてもらうように
祖母に頼んだのです。

中一の2学期から、中二の2学期にかけて、中間、期末テストでは、7回だったか連続100点。

可愛がってもらっていた数学の先生が、今度のテストでは、○○君にも絶対100点はとらせないと、みんなの前で言われました。

たしかに、問題用紙だけで、2−3枚はあったと思うのですが、解けないような いじわる
な問題は出題されず、学年で一人100点。

また、数学の先生がみんなの前で「○○君一人100点でした」と誉められるわけです。

母の従弟が、オーロラの研究で「日本物理学会奨励賞」だったかを、与えられ、それを母方の祖母が褒めちぎるので、私は10代で、E・ガロアのように有名になりたくて、かなり
数学に勉強時間をとりました。

核家族はいけない

2010年02月01日 | 家族
先日、「大家族の家」というのを書いていますが、反対に現在の核家族化は大変いけない

ことだと思います。男は、だいたい20代後半から、30歳にかけて一人前になって、

経済力もついてきますから、30歳になるまでに結婚するのが良いですね。

住居は、夫側または、妻側の非常に近くに構える。

主婦は、きっぱり職場は辞めて、家事に専念する。

まあ、最初は上手くいくかもしれませんが、子供が生まれる、食事は外食、家のゴミを

出勤前にだしたり・・〜〜〜〜これではいけません。

夫側または妻側の母親が、食事を作ったり、家事一切を切り盛りするわけです。

そうした住居形態に不満を持つ女性と結婚するべきではありません。

「わがまま」です。

今年は、こんな服が流行して、こんなブーツが流行しているから、それを買うなんていう

のも、「脳ミソ」が足りないわけです。

流行に左右されない、服や靴、小物などを揃えるのが賢明な女性です。
(ちょっと、「女性の品格」という本の引用に見えるかもしれませんが、私の元々の
考えです)

25歳ー30歳というと、男はまだ勉強しなければなりません。

特に、経済や法律に明るく、出身学部、職業に関係なく、資産運用はプロとして通用する

ものでなければなりません。

妻側が、夫の父母の家の近くに住むというのを、反対する場合が多いと思うのですが、

それなら、妻側の父母の家の近くに住めばよいでしょう。

娘婿に対して、料理を作ったり、掃除をしたり、身の回りのこまごましたことを”しない”

母親は人間として、失格です。

私の家族は核家族ですが、妻の実家は広島県で自分の自宅からは遠いのですが、

妻の母親に対して遠慮などしませんね。

それから、いけないこととして、遠くに実家のある男女が結婚すること。

北海道大学に行ってみたり、東京近辺の大学に行ってみたりしますが、そこで恋愛→

結婚というパターンは里帰りなどで一生損します。

18歳頃の年頃の青年というのは、遠くの大学や東京に興味があり、どうしてもそこを志望

する場合がかなり多いのですが、学校の進路指導で矯正しなければなりません。

県内に、必ず良い女性はいます。〜〜ただ、一生懸命探さないと見つかりません。


小学校の時の野球、運動など

2010年01月30日 | 野球
小学校の時、運動で皆の前で誉められたのが、2年生の時、50m走で9.9秒の学年1位の
記録をだした時です。

運動は得意で、小学校6年時は、50m走、7秒ジャストでした。

5年生くらいで、高鉄棒に飛びついて、懸垂の体勢から、逆上がりができていました。

走り高跳びなどは、5年生くらいから、ベリーロールを真似した、体を横にして、飛ぶ方法。

しかし、6年生の背のものすごく高い人には勝てなかったです。

今日は野球、明日は釣り、その次はドッジボールと、家に帰ってカバンを放り投げ、遊び
ばかりの毎日でした。

野球は、6年生の時のソフトボール投げが46mでしたから、肩はまあまあ。

野球の場合、オリンピックランナーが、プロに入っても、盗塁王にならないように、
途中でスピードがでてくるのはダメで、塁間25m程度ですが、スタートから5−6mで決まるといっていいほどだと思うのですが、私の場合、スタートからスピードがでるタイプで、
走塁は得意でした。

バッティングは、3年生の時でしたか、上級生から長嶋に似ていると言われた記憶があるのすが、レフトに引っ張るバッティング。

中学3年の時、勉強では、学年400人中1番でも、偏差値は70台後半。

しかし、運動能力テストでは、初めて模擬試験のように表になって、運動能力がでた記憶があるのですが、偏差値80程度。

運動能力で合否が決まるなら、灘高校、ラサールなどでも、合格していたかもしれません。

大家族の家

2010年01月30日 | 家族
私は幼少時、父が呉の支店に勤務していたものですから、母(一人娘)の父母(私にとっては祖父母の家の祖父母が借家として建てた母屋の奥の借家に住んでいました)
祖父は4人兄妹で、末娘が離縁されて、祖父の許に帰っていたものですから、女手は、祖祖母、祖母、祖父の妹とその娘の4人でした。
生まれて、病院から退院して、初めて家でお湯につけられた時は、祖祖母、祖父の妹3人で
お湯につけたそうです。
家を取り仕切るのは、明治17年生まれだったかの祖祖母でした。
父は、双三郡吉舎町出身で5人兄弟。
父方、母方にも子供は私一人でしたので、ずいぶん可愛がられました。

母方の祖母、祖父の妹3人が三原師範学校(現、広島大学教育学部)出身の小学校の教師でしたので、まあ常識のある人でした。

安芸門徒といって、広島県は浄土真宗が盛んなものですから、ご飯の前には、必ず仏壇の前で線香をあげ、行儀して、短いお経を唱えるわけです。

朝は毎日欄間にはたきをかけ、畳の部屋をほうきで掃くわけです。

お米は、残したり、落としたりすると、祖祖母に何か言われていた、おぼろげな記憶があります。

貧乏だったかというと、そうではなく、祖父が海軍技師(海軍技定養成所教官→石川島播磨)、祖母が教師の2馬力なので、家は石垣を飛び降りると、菊のご紋のついた蔵のある
宮家に縁の深い家の隣で、まあ、住宅地としては、呉では一等地でした。

午前10時に「お母さんといっしょ」というNHKの番組を見て、牛乳とお菓子がでていました。

どちらかというと、母と一緒にいる時間よりも、祖母と一緒にいる時間が長く、祖母の影響を大きく受けています。

私の数学の学習法

2009年01月13日 | 数学
小学校の時には、少々の雨が降ろうが、野球や運動に明け暮れていたのですが、父親が転勤が多いものですから、呉の祖父母の許から、中学に進学することになりました。

中学生になって、勉強もしようということで、数学から手をつけました。

父親譲りの「代数講義」−−これは、旧仮名遣いなのですが、馴れれば読めるようになります。

第一日目は「人間学について」、第二日目は「加法」、第十九日目は「連立方程式」、どんどん進んで、第三十七日目には初等数学のネックともいえる「因数分解」まで進んでいきます。

「解の公式」を使った二次方程式の解き方、高次方程式なども順次でてきますので、中学1年生の夏休みには、高校入試の代数分野の問題は ”軽く”解けていました。

この佐川安宣先生著の本は、「算術講義」「代数講義」「幾何講義」の3部作だったと思うのですが、家にあるのは、「代数講義」と「幾何講義」です。

この先生は、「人間学」について記述されている部分も多く、第一日目は「人間学」のみですが、2−3日おいて、講義の記述が終わったあと、「人間学」を解かれているのです。ーーー「いかに、立派な人間にならんとするか・・・」

教えるのも非常に上手いのですが、「人間学」も解かれる先生って、すごく偉い先生であるような気がします。